happy birthday to me /長谷川美歩(女子12番)


5月31日。梅雨が近い。
その日は見事に雨が降り出して、朝の天気予報を見てなかったあたしは見事に傘を忘れてて。
仕方なく小走りに、水溜りだらけの道を進む。途中で、いつもぼーっとしたり煙草を吸いに来たりしてる公園の屋根付きベンチで、雨宿りした。

5月31日。今日は、世界禁煙デーだったりするらしいんだけど。
長谷川美歩――あたしの、誕生日だったりもする。
あたしはそんな日に生まれた自分を、笑い飛ばしたくなる。

14の誕生日はせっかくだから禁煙でもしようと思って、煙草とライターと携帯灰皿をコンビニのゴミ箱に捨ててみたけど、結局続いたのはその日の夕方、6時30分までだった。
ハンバーガーとウーロン茶で少し早めの夕食を済ませたらふいに煙草が吸いたくなって、気がつけばあたしはコンビニで100円ライターを買い、近所の自販機でマルボロメンソールライトのボタンを押し、ウーロン茶の空き缶を灰皿代わりにして煙草を吸ってたから。
自分がどれだけ意志の弱い人間か、よくわかった誕生日だった。有り難いよね、うん。

今日迎えた、15の誕生日。学校帰りに雨に降られちゃうなんて、結構ツイてない。
なんか縁起の良い名前だなって思って、中二の頃から吸い始めたラッキーストライクメンソールの箱をポケットから取り出して一本咥える。ライターで火を着けて、灰色の曇り空をずっと眺めてた。
ふいに、あたしは何となくベンチの屋根から出て、外を歩いてみる。
こーゆう無意味な事が、あたしは結構好きだったりする。それには不思議と納得できる。だってあたしは自分でも面白いくらい“意味”だとか“意義”という言葉の似合わない人間だと、思うから。
降り付ける雨に、咥えた紙巻きはあっという間に濡らされた。
赤い火の先っぽも雨に濡れて、途端に口の中にシケモクの数倍気持ち悪い味の煙が侵入した。あたしはちょっと顔をしかめて、煙草を濁った水溜りの中に捨てる。フィルターに刷られたラッキーストライクのマークが、水溜りの中を泳いでいく。

水溜りをばしゃばしゃ蹴って、あたしは歩き出した。白いルーズソックスが泥水に汚れたけど、そんな細かい事はいちいち気にしない。セーラー服もびしょ濡れになって、背筋の辺りに強い寒気を感じた。
何やってんだろ、あたし。バッカみたい。急に、自分のしてる事がひどく幼稚に思えた。
間違っても、あたしは水遊びなんてするほど子供じゃない。小学六年の時に生理がきたし、中学二年の夏に処女だって捨てた。今日から15だし。
だけど、結局何一つ変わってないような気もする。ただ毎日、無意味に過ごしてるだけ。
こんなんでいいのかな、なんて思ったりもするけど、じゃあどうすればいいかなんて解らないし。

小さく溜め息を吐いて、あたしは濡れた前髪から滴って頬に流れる滴を振り払った。
なんだか酷く嫌な気分だった。誕生日だからって家に帰る気なんて、起きてこない。どうせ帰ったっていつも通り、誰も居ない。
母親は今日も仕事で遅くなるっぽい。ちっちゃい頃から母親は、あたしの誕生日にはいつも「今日は早く帰ってきてあげる。ちゃんとケーキ買ってくるからね」なんて言ってたけど、それが果たされた事は結局一度も無かった。
毎年毎年、仕事に疲れた母親はいつも通り日付が変わる頃に帰ってきて、そのまま寝室に直行してた。勿論、その片手にケーキの箱があった事だって一度も無い。
そのつもりが無いんだったら、最初からそんな事言わなくてもいいのに。
小学校の頃は、翌日に母親を責めたり、ガキっぽく拗ねてクローゼットの中に隠れてみせたりしてた。だけどそのうち馬鹿らしくなってきちゃって、小学五年の頃にはもう、そんな母親の言葉にも耳を貸さなくなった。
いいじゃん、これで。お仕事お疲れ様、なんて言って帰りを待ってる可愛い娘にはなれないんだし、おめでとうって言ってよ、なんて必死に縋り付くようなウザい娘にもなろうとは思わない。
だからあたしたち母子はいつからか、どこか一線を引いたような付き合いをしてる同居人、って感じの関係になった。あたしは誕生日でも、いつも通りにひとりでコンビニのお弁当なんかを食べてた。
蝋燭の立ってるケーキだって、ちっちゃい頃友達のバースディパーティーに呼ばれた時にしか見たことが無い。一度、コンビニのプリンにひとりで仏壇の蝋燭を一本だけ立てて遊んだことがあったっけ。ハッピーバースディトゥーミー。おめでたいね。

ちなみに、父親は――単身赴任、って事になってる。一応。
だけど、そんなのが母親の吐いたお得意の嘘だって事くらい、アタマ悪いあたしだって解ってる。
小学校に上がったばっかの、ちっちゃい頃のうっすらとした記憶だ。今日みたいに雨の降る日、父親はあたしの頭をくしゃって撫でて、言ってくれた。「美歩、お父さんは今日からお出掛けに行くからね。いいこにしてなさい」。
あたしは、訊いたんだっけ。「なんで?」って。
その頃は、毎晩のように父親と母親が喧嘩してて。ちっちゃかったあたしにはよくわかんなかったけど、きっと父親は母親に怒られたから、お出掛けに行くのかなって訳も無く思ってた。
ある晩、キレた母親がキッチンから包丁を持ってきて、父親に向けた事があった。
あたしは部屋に行ってなさいって父親から言われてたけど、なんだか素直に言う事を聞く気になれなくて、ソファの上で眠ったふりをしながら薄目を開けて、白熱した夫婦のバトルを見守ってた。ホント、アレは子供に見せるもんじゃないって。結構マジに凄かったんだから。
そんな日々が続いてれば、無理もなかったんだと思う。結局、父親はあの日から“お出掛け”に行ってる。そのままずっと、帰ってきてない。いつからか、家の中では父親の事は絶対に話題に出さないのが暗黙の了解になってた。
母親はそれでも、「夫は単身赴任に行ってる」っていう嘘を吐き通してる。
ていうか、もう夫じゃないでしょ? 父親が単身赴任に行ってるんだったら、どうして母親が朝から晩まで働く必要があるっていう訳ですか。あたしはいつも、心の中で小さく母親にツッコミを入れて肩をすくめてた。
“単身赴任”に行ってから、8年間連絡も寄越さない父親のことを待ち続けられる程、あたしは純粋な子供じゃない。母親の見え透いた嘘を信じてられる程、あたしは愚かな子供じゃない。
もう、15なんだし。

ふいに、賑やかな笑い声が聞こえる。あたしはふと我に返って、顔を上げた。
公園の植え込みの向こう側の道を、同い年くらいの女の子たちが歩いてく。色とりどりの傘が、彼女たちの笑い声に合わせてちらちらと揺れる。
きっと、こんな雨の中を傘も差さずにひとりで立ち尽くしてるあたしの存在なんて、あのコたちにとっては変人にでも見えるんだろう。そう思うと、なんだか凄く惨めな気分になった。コンビニの130円のプリンに、可愛らしさの欠片も無い真っ白な蝋燭を立てて遊んだあの頃の気分と、一緒だ。
意味も無く、喉の辺りに込み上げてくる熱をぐっと堪えて、あたしは唇を噛んだ。
頬を伝う雨の感触が、妙にうざったくて、妙に虚しい。
あたしはもう15歳だけど、まだ15歳だ。

「何してんだよ、お前」
ふいに聞こえた声と共に、あたしの体に叩き付けられてた雨が黒い影に遮られる。あたしは思わず振り返って、すっかり濡れた髪から、小さく滴が飛んだ。
「…安池じゃん」
あたしの頭上に黒い雨傘を差し出して、苦笑いしてる彼がそこに居た。安池文彦。同じクラスのヤツだ。
春休みに公園の近くの輸入雑貨屋で出会した時以来、安池とはちょっとした交流があった。あの日のあたしは珍しく上機嫌になっちゃってて、持ってたラッキーストライクを一箱あげたんだっけ。そしたらマルボロくれて、それからたまにその雑貨屋で会った時に、喋るようになって。
お互い暇な人間だったみたいで、よくいつもの公園で偶然会ったりした。あたしのお気に入りのベンチで一緒に座って、ぼーっと空を見ながら煙草を吸う。
そーいう関係を友達っていうのかどうかは判らないけど、不思議なもんだなーって思った。学校じゃあ滅多に話さないのに、不思議といつもの公園でばったり会う事が多くて、一緒にお喋りしたり、適当なトコでお茶したりする。
茶飲み友達、なんて言葉があったっけ。だったら、あたしたちは喫煙友達って言うのかな?
変な関係。だけど、決して嫌じゃない。寧ろ、楽しい…かも、しんない。

込み上げてくる熱がちょっと引いて、あたしは頬の筋肉を動かしてぎこちなく笑顔を浮かべる。泣き笑い。そんな表現がぴったりな笑顔だったんだと、自分でも思う。
安池はちょっと驚いたように目を見開いて、それから笑った。
「あのなぁ、長谷川。将来ハゲても知んねぇぞ?」
その言葉に、あたしは思わず吹き出した。さっきとは違う、自然に頬の筋肉が緩んだ笑顔だ。
「ハゲる…って、何それ。あたし一応オンナなんだからさ、なんか他に言い様ないの? 風邪引くよ、とか」
「んじゃ、風邪引くよ。どうぞ傘入って」
苦笑混じりに言って、安池はあたしにちらちらと手招きをする。
あたしは自分でもちょっとびっくりするくらい狼狽した声で、即座に「いい、いい! 遠慮しとく!」と言っていた。ほんと、意識する間も無く。
安池はちょっと眉を寄せて、怪訝そうな顔をした。
「何、そのまま濡れて帰るの? ホントに風邪引くぞ」
あたしは不覚にもちょっと俯いて、小さく唇を噛んだ。この狼狽ぶりはなんなんだか、自分でもよくわかんない。
「…だって、それ……アイアイガサってヤツじゃん」
小さく呟くと、安池が思いきり笑い出した。本当におかしそうに笑ってる、コイツ。ちょっとムカついて零した言葉は、自分でもやたらと不満気に聞こえた。自分がガキだと実感する瞬間。
「何よー…何がそんなにおかしいっつーの?」
「だってさ、相合傘ってお前…すっげぇ死語。今時そんな事言うか?」
確かに、相合傘は死語かもしんない…けど、そんなんガキ男の藤川あたりに見られた日には、翌日黒板に相合傘書かれてたって文句言えなくなっちゃうじゃない。王子、ハセミホ。勘弁してよ、マジに有り得ないから。
心の中でぶつぶつ抗議しながら(今時そんなガキっぽい事するヤツなんて居ないかもしんないけど、事実それをやられたヤツは居る。先週は沖と久米サンが被害に遭ってたっけ。久米サンは「やぁん☆」とか言って喜んでたけど)、あたしはただ俯いてた。どうにも、コイツと居ると微妙に調子狂う時がある。

「…そっか」
ふいに安池が呟いて、あたしは顔を上げる。
「長谷川は、そんなに俺とアイアイガサすんのが嫌な訳か」
言った彼の口元には、ちょっと意地悪っぽい笑みが浮かんでた。いつもはオトナっぽい安池がたまに見せる、こーゆうちょっと幼稚な意地悪さは、藤川なんかとは全然違って、不思議な可愛さがある。可愛いっつーのも失礼かな。
「…別に、嫌って訳じゃないけど」
あたしが言うと、安池はちょっと肩をすくめて傘を差し出した。
「じゃあ、素直に入ってとっとと帰る。帰ったらすぐ着替えて風呂入れよ、風邪引くから」
「なんか、母親みたい」
あたしは彼の言葉に、笑い混じりに呟く。安池も笑って、あたしは彼の傘に入って、肩を並べて歩いた。
ハッピーバースディ、トゥーミー。こんな誕生日も、悪くないかもしんない。






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