□11

水谷桃実(女子16番)は砂や埃で汚れた、コンクリートの段差に腰掛けていた。その段差に置かれたカマ(荒川幸太(男子1番)の支給武器だった)が放つ鈍い光が、嫌な事を思い出させる。カマから視線を外し、手元の腕時計にちらっと目を落とすと、8時37分を指している。少しはねた髪の毛先を右手で弄りながら、今までのことを思い返していた。
「俺、この道行った先にちょっと隠れられそーなトコ見つけたんだ。ボロくて狭いけど、とりあえずそこ行かねぇ?」
理紗――そう、親友だったはずの
穂積理紗(女子15番)にナイフを向けられ、逃げた先で鉢合わせになった荒川幸太に案内されて、ここまで来たのだった。
幸太が言った通り、確かに大した場所でもなかった。粗末なトタン板の屋根、木の板を貼りあわせた壁はところどころ穴が開いて、今にも崩れそうだった。ウサギ小屋ほどの広さもなく、中は農薬や肥料等が積んであるだけだった(多分、倉庫だったのだろう)。床も地面がむき出しになっていて、壁際にコンクリートの段差があるだけだ。しかし、桃実にはそんな事を気にするような余裕はなかった。一度に色々なことがありすぎて、充分眠ったはずなのに疲れきっていた。
「こんなトコでごめんな、本当はもっとちゃんとした家とかがよかったんだけど…」
幸太はポケットからアメを取り出して、肘で頭を支えてだるそうにしている桃実に差し出した。

「とりあえず、食っとけよ」
「うん、ありがとう」
桃実はアメの包み紙を破って、中身を口に入れた。リンゴの甘い香りが、口いっぱいに広がる。
思わず、ほっと息がもれるくらい美味しかった。
「…おいしい。疲れてる時ってやっぱ甘い物だね」
幸太もアメを口に入れて、桃実の隣に座った。

…やっぱ疲れてんだよな、水谷。

幸太は隣で眠たそうに目を擦っている桃実を見て思った。二つに分けて耳の辺りで結んだ髪は随分ほつれて、いつもはまとまっていて毛先がくるっとはねているのに、何本もの束に分かれてばらばらに散らばっていた。そのまま桃実が顔を伏せて、髪がまた散らばった。顔を伏せたまま黙っている桃実のうなじは、月明かりのせいか青白く光って、健康そうな色をしていなかった。
こんな色、前も見た――人の肌、という感じがしない色。それは、つい数時間前に幸太が瞳を閉じさせた
鬼頭幸乃(女子4番)の肌の色に似ていた。
幸太はぐっと唇を噛んだ。――助けてやれなかったんだ、俺。好きだった奴なのに、助けてやれなかった。二度も。

「…幸太?」
幸太の異変に気付いた桃実が、顔を上げた。
「なんつーか…俺、鬼頭のこと、助けてやれなくてさ」
言って、幸太は俯いた。

「…さっきのこと?」
幸太が幸乃の名前を口にして、桃実の表情が少し固くなったが、幸太は気が付いていなかった。
「それもあるけど…」
幸太は顔を上げて、少し緊張した口調で言った。。
「二年の時のこと、知ってる?」

「…ゆきちゃんと、久米ちゃんたちがケンカした時のこと?」
桃実がそっと、
久米彩香(女子5番)の名前を口にした。
「うん…みんな知ってるけど、3学期くらいから鬼頭、学校に来なくなってさ」
幸太がきゅっと唇を引き締めた。

「イジメられてたらしいんだ。遠藤から、聞いたんだけど」

「…やっぱ、そーだったんだ……」
桃実の口から、それは独り言のように漏れた。

正直なところ、薄々分かっていたのだ。
桃実は、幸乃とは割と仲の良い方だった。部活が同じブラスバンドだったし、一年の時はクラスが一緒だったからだ。幸乃は一見大人しそうな外見をしていたが、話してみると明るくて桃実もすぐに友達になれた。優しくて付き合いやすい性格からか、友達も多かった。
そんな幸乃の様子がおかしくなったのは、二年の秋頃からだった。
桃実が直接それに気付いたのは部活の時間、幸乃と同じクラスの女子があまり幸乃と口を聞かずに、気まずそうにしていた時だった。桃実が理由を訊くと、どうやら幸乃と久米彩香たちの間に何かトラブルがあったらしかった。その頃の幸乃のクラスでは、リーダーシップをとるような女子がいなかった所為か、珍しく彩香たちのグループが女子の間ではリーダー的存在だった。

幸乃も、二学期の初めくらいまでは彩香たちのグループに入っていたのだ。しかし、幸乃と彩香の間でケンカがあってからは、幸乃は彩香たちのグループから抜けていた。そして、幸乃はクラスで孤立してしまっていた。放課には違うクラスの友達のところに遊びに行ったりしていたが、陰で彩香たちがしているイジメにはほとんどの友達が知らないフリをしていた。そして三学期、とうとう幸乃は学校に来なくなってしまったのだ。

「俺、鬼頭がクラスでひとりだったの知ってたんだ。なのに俺、結局鬼頭のこと助けてやれなくて…」
後悔と自己嫌悪が強く込み上げて、幸太はたまらない気持ちになった。
「…幸太、ゆきちゃんの事、好きだった?」

桃実の言葉に、幸太はゆっくり頷いた。

「そっか…」


嘘だった。
本当は、幸太の幸乃に対する想いはずっと前から気付いていた。なのに、何故わからないフリをしていたのか、桃実自身解らない。ただ、幸乃のことで苦しむ幸太を、桃実は複雑な表情で見つめていた。



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