■20



「うっ…ごほっ、ごほっ」
薄暗い部屋の中、
鈴村正義(男子9番)は小さな背中を丸め、洗面器の中に顔を向けるように座っていた。その背中を摩り、安池文彦(男子18番)は言った。
「無理すんな、すずチャン」
正義の頭がこくっと頷いた。文彦は水の入った紙コップを正義に差し出し、立ち上がった。
「すずちゃん、どーしたんだ?」
クラッカーを口に放り込み、
大野達貴(男子3番)は椅子から腰を上げた。文彦は頷き、口を開いた。
「多分――胃にきてるんだと思う。急に食べたのが、よくなかったんだろ」
先程、とりあえず食事にしようと家の中を探した。見つかった食料は缶詰とクラッカーと少しの酒しかなかったが、薬や栄養剤が沢山あったのはありがたかった。正義は食欲がない、と言ったが、文彦が促した事もあり一度は食べ物を口にしたのだ。しかし、食べてもすぐに戻してしまう。普段から人の良い正義の事だ、こんな状況ではかなりのストレスを感じるのだろう。文彦は胃薬の瓶を取った。
「すずチャン、とりあえずこれだけは飲まなきゃ」
一錠を手にとり、正義に差し出した。正義はその青白い顔を上げ、薬を受け取った。
「ごめんね、迷惑かけてばっかりで…」
「オマエが責任感じる事じゃねーんだよ、ごめんとか言うな」
隣で達貴がたしなめるように言った。言葉は悪いが、達貴なりに正義の事を考えているのだろう。
「…うん」
正義は小さく頷き、文彦の勧めるままソファに横になった。
「今は、色々考えない方がいい」
その言葉に正義が頷くのを見て、文彦は奥の部屋に繋がるドアの方に歩いていった。
「俺、ちょっと一服してくる」
「んぁ」
達貴は机に俯せたまま返事をしたが、“一服”という言葉にワンテンポ遅れて気付き、頭を起こした。
「オイ…王子様が一服かよ」
達貴が真顔で言った言葉に、正義は少しだけ笑った。

ドアを閉め、ポケットから煙草を取り出した。一本咥え、ライターで火を着ける。すぐに白い煙が上がった。文彦は部屋の隅にあるベッドに座り、手に持った煙草に目を落とした。ラッキーストライクメンソール。これを見る度に、文彦はある人物を思い出すのだ。
見たところは、それなりに可愛い顔立ちをしていた。しかしいつも一人で、何を考えているのか解らないような女だった。
三年に上がる前、春休みの事だった。
文彦は本屋に行った帰り、何となしに寄った輸入雑貨店(の筈なのに、何故か店内には外国の煙草や酒が大量に並んでいた)で
長谷川美歩(女子12番)を見たのだ。否、最初は美歩だと分からなかった。着ていた少し派手な服とヒールの高いサンダル、茶色い髪。メイクもしっかりしてあり、まるきり20代そこそこのキャバ嬢にしか見えなかった。しかし、店の中ですれ違った時に気がついたのだ。
「…長谷川?」
文彦は驚きのあまり、話しかけていた。確かに美歩の茶色がかった髪、派手な顔立ちは目立つものだったが、それでも学校での美歩と比べると別人のようだった。女子は私服になると変わる、などと
吉川大輝(男子19番)辺りが力説していたが、正にその通りだ。
「あ、安池じゃん」
美歩はその大きな瞳を少し見開き、ごく軽い感じで言った。その態度があまりにも普通だったので、文彦はその後「久しぶり」と言ったのを覚えている。その時、文彦はふいに美歩が左手に提げている袋に目を落としたのだ。輸入物のキャンディーと、煙草。あまり見ない銘柄だった。
美歩はその視線に気付いたらしく――文彦の「意外だ」と語る表情がおかしかったのか、くすっと笑ったのだ。文彦は美歩の持っていた煙草を見て、尋ねた。
「…それ、何?」
美歩はうん、と頷き、袋の中から一箱取り出した。
「ラッキーストライクっつって、輸入もんのヤツ。安池、吸ってんの?」
文彦は頷いた。学校の友達は知らなかったが、美歩がそんな事を言い触らすとは思えない。それに、どうせ知られようが知られまいがどうでも良い事だった。
「じゃ、いっこあげる」
美歩は相変わらず軽い口調で言い、それを文彦の前に差し出した。文彦は受け取っていいものか少し迷ったが、その箱を受け取った。
「うん、吸ってみるわ。俺も、コレ」
文彦は自分のバッグから吸いかけのマルボロメンソールライトを取り出し、美歩に渡した。吸いかけなのは申し訳なかったが、それしか持っていなかったのだ。
「ありがと。じゃ、またね」
美歩はひらひらと手を振って、店を出ていった。

とても自然だった。ごく自然に、昔からの友達のように言葉を交わした。美歩と最後に話をしたのは、もう覚えていないくらい前の事だったというのに、だ。
クラスが一緒になった事はないが、バスケ部で練習が重なった時に少しだけ話した事があった。ほんの少し、軽い話だ。今日は暑いだとか、練習ダルいだとか。しかし、それも彼女が退部してからはなくなっていた。目が合う事すら、数カ月ぶりだった。
特に印象に残る事もない、平凡で少し大人しいだけの女だった美歩があんな風に話すのは、文彦にとってはとても不思議だった。本当に、何を考えているのか解らない。
たった2、3分程度の事だったが、文彦にとっての美歩の印象は大きく変わった。三年になった時のクラス替えで美歩と同じクラスになったが、学校ではあまり話す機会がなかった。美歩の方から接してくる事はなかったし、文彦も元々積極的に話しかける方ではなかった。しかし、たまにあの輸入雑貨店で会った時は、軽く会話を交わしていた。お互い暇人らしく色々な事を喋ったり、一緒にお茶したりだとか、友達みたいな付き合いをするようになった。

あの日から、文彦は銘柄をラッキーストライクメンソールに変えた。
しかし、それは美歩に対して特別な感情を抱いているだとか、そういった類のものではない。確かにあの自然な態度には多少好意を感じていたが、美歩の事を深く考える事もなかったし、ごく普通のクラスメートだとしか思えなかった。とにかく、文彦の中での美歩は“少し不思議だけど、まぁ好きなタイプの人間”だったのだ。
そこまで考え、ポケットから出した愛用しているグレーの携帯灰皿の中に煙草を押し込んだ。あまり長い時間、達貴たちの元を離れるのはよくない。携帯灰皿と煙草をポケットに仕舞い、煙草の匂いが残る部屋を出た。


正義はソファの上で、ぎゅっと身を硬くしていた。
胃がちくちくと痛む。先程の文彦の言葉通り、あまり考えないように意識しているのに、正義の意志とは関係なしに勝手な考えが頭の中をぐるぐると回っていた。
プログラムに選ばれた。生き残るのは一人だけ。僕は、きっと死んじゃうんだ。死んじゃうんだ。死んじゃう。死ぬ。死ぬとどうなるの? 僕はどうなるの? 痛いのかな。あぁ、お腹痛い。このまま死ぬのかな。やだ。痛いのはもうやだもん。死にたくない。でも、みんなが死ぬのはもっと嫌。安池くんすっごく優しいし、大野くんだってちょっと口悪いけど優しいんだもん。みんな優しくて、いいひと。みんなが死んじゃうのはやだ。でも、死にたくない。どーすればいいの? わかんない。お腹いたい。いたいいたいいたいいたいいたいいたい。死ぬのってもっと痛いの? 痛いのはもうやだ。でも、みんなが死んじゃうのもやだ。あぁ、ほんとに、僕はどうすれば――
正義はソファの奥に顔を向けて、静かに泣いた。



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