□21

麻生加奈恵(女子1番)は隣を歩く高橋奈央(女子9番)に見つからないように小さく溜め息を吐き、立ち止まった。
「かな、だいじょぶ?」
奈央は加奈恵の異変に気付き、そっとその顔を覗き込んだ。
「大丈夫だよ。奈央ちゃんの方こそ、疲れてない?」
頬の筋肉を動かして、笑顔をつくる。こんな事には慣れっこだった。無意味でも、笑ってれば人が良く見えるし。
つられて、奈央の心配そうな表情が笑顔に変わった。
「全然平気だよ! でも、おいしい物食べたいねー」
「そだね、お腹空いちゃった」
加奈恵は胃の辺りを少しおさえた。まぁ、これは本音。カバンに入ってたパン、超マズいし。

こんな状況でも本来の明るさを無くさず、元気に歩く奈央を横目に、加奈恵は今すぐこの小汚い雑草のうじゃうじゃした地面に唾を吐きたい衝動に駆られた。
――ったく、なんであたしがこんな目に合わなきゃいけないわけ? やってらんねーっつーか、このバカ明るいヤツ普通にウザイんだけど。とっとと死ねよなぁ……ってかこんなへらへらしてるオンナと逢っちゃうなんて、マジツイてねぇなあたしも。
心の中で毒を吐きながら、加奈恵は頬にかかる髪を弄り、苛立った気持ちを抑えた。極力、顔には不機嫌を出さないように。
「誰かに逢えるといいね」
ふいに奈央がにっこりと笑い、言った。
「うん!」
加奈恵は極上の笑みを浮かべたが、スカートの辺りに垂れた手はぎゅっと握られていた。
奈央の笑顔――加奈恵はこれが好きではなかった。目は一重で、人並の大きさ。唇は少し薄い。それなのに、奈央の笑顔には不思議と人を惹き付けるものがあった。加奈恵は奈央の笑顔を見る度、どうしようもなく苛々した気持ちになるのだ。
加奈恵は自分の顔が大嫌いだった。地味で醜い顔。クラスの中で順位を付けるとしたら(悪趣味な事だが、加奈恵はこういった悪趣味な事が実は大好きだったのだ)
東城由里子(女子11番)と同じ程度のものだろう。
しかし、加奈恵にはプライドがあった。由里子のようにはなりたくなかった。嫌われ、クラスから排除された由里子。自分は、そんな由里子とは違う。自分はもっとうまくやっている。
教室でうまくやっていくために必要な事は、クラス内の人間関係をできるだけ把握しておく事、ぶりっこすぎずに、何気なく“いいひと”だと思われるよう努力する事。簡単だった。そうして、加奈恵は“表の顔”と“裏の顔”を使い分ける事を覚えた。自然と、身に着いた。
友達の前じゃ、優しくていいひとの加奈恵。でも本当は、みんな嫌いだった。ムカつくヤツばっかで、毎日退屈でたまんないと思っている加奈恵。
この二つの加奈恵をうまく使い分けて、ここまで生きてきたのだ。
それをたった15歳になったばかりで、こんな下らない殺し合いで人生に幕を降ろすというのか? 加奈恵は軽く首を振った。そんなん、イヤに決まってんじゃん。今までずっとガマンして、イイヒト演じてきたんだもん。なんであたしが死ななきゃいけないわけ? そんなんマジ無理、耐えらんない。普通に認めないし。ぜってー、みんなぶっ殺す。罪悪感? そんなんある訳ないじゃん、ホントはみんな嫌いだったんだもん。当然。
加奈恵はスカートに差した支給武器のダイヴァーズナイフにそっと手を触れた。奈央のものは何の変哲もないただのスプーンで、役に立ちそうになかった。まぁ、とりあえず一緒にいるんだけど。盾くらいにはなりそーだし、コイツと居ればみんな信用してくれるし。

奈央の信頼は厚い。今まで奈央と付き合ってきて、加奈恵はその事をしっかり解っていた。
穂積理紗(女子15番)のような人の寄り付かない不良(実際には理紗はそんなに悪い事はしていないのだが、加奈恵は多くのクラスメートと同じく理紗を不良だと思っていたのだ)にも気軽に話しかけ、東城由里子のような暗い嫌われ者にも優しい奈央。それでいて盛り上げ上手で明るく、クラスのみんなからも好かれていた奈央。加奈恵は奈央と居れば、大抵のクラスメートは信用してくれると踏んでいた。万一やる気になっている誰か――先程呼びかけを行っていた川合康平(男子5番)黒田明人(男子6番)に奇襲をかけた誰かだ。少し声が聞こえたような気がする。声から予想すると女だろう――に遭遇してしまった時は、奈央を弾避けにするか、置いて逃げるかすればいい。
とにかく、それまでうまくやればいいのだ。今まで、教室でいいひとの仮面を冠っていたように。

奈央はデイパックに入れ替えた私物類の中から、ウーロン茶のペットボトルを取り出した。
少しだけ溜め息を吐き、キャップを開く。そのまま、二口ほど飲んだ。先程封を切ったばかりなのに、もう残りは三分の一もなかった。こんな状況だからこそ、普段のように明るく元気に振る舞わなくてはいけない。そう思っていたが、奈央はやはり疲れていたのだ。
残ったウーロン茶を全部飲み干してしまいたかったが、疲れているのは加奈恵も同じだ。
奈央はそっと、それを加奈恵に差し出した。
「かな、喉乾いてない?」
加奈恵はそのペットボトルにちらりと目を落とし、少し身を引いて言った。
「いいよ、それ奈央ちゃんのでしょ?」
奈央はそれを見て、優しい気持ちになるのがわかった。――かな、やっぱいいこだなぁ。
「あたしはだいじょぶだよ。かな、優しすぎるんだから」
半ば押すように、奈央はまたペットボトルを差し出した。少し強引な態度だと一瞬反省したが、優しい加奈恵の事だ。また遠慮してしまうだろう。
「…ありがと、奈央」
加奈恵は受け取り、こくんと二口だけ飲んだ。
「さすがに疲れたねー。ちょっと休…」
奈央は言ったが、加奈恵が持ったペットボトルを落としたのを見て、続きを呑み込んだ。加奈恵はこちらを見ているのだが、奈央よりも別のものを見ているような感じがしたのだ。
「…かな?」
加奈恵はその言葉に答える代わりに、そっと人差し指で右の方(奈央から見ると、左だったが)を示した。
「あれ、誰?」
加奈恵はすっと目を細めていた。奈央もそこでやっと、ゆっくり振り返る。
少し離れた方の茂みだった。東城由里子が背中を丸めて、隠れるように座り込んでいたのだ。
「…東城さん? かな、東城さんだよ!」
「えっ…東城由里子?」
加奈恵はそこで、少し嫌な顔をした。それは学校では絶対に見せない“裏の顔”が少し滲み出たものだったのだが、奈央は気付いていなかった。それを見る前に、由里子に歩み寄っていたからだ。
「東城さん! こっちだよー」
由里子はびくっと肩を震わせて振り返った。手には支給武器の催涙スプレーをしっかりと握っていたが、「あたし、高橋奈央だよ。わかる?」と優しく言った奈央に思わずスプレーの缶を取り落とした。
「た、たかはし…さん?」
由里子は少し目を細めて、奈央の顔を確認した。間違いなく、高橋奈央だった。それを見て、由里子はほっと息をついた。普段から優しく接してくれる奈央の事は、由里子も信用していたのだ。しかし、由里子は同時に少し複雑な気持ちになった。
「よかったぁ…東城さん、無事だった」
奈央は由里子の体が無傷だった事を確認し、加奈恵の方に体を向き直した。
「かな、東城さんも誘っていい?」
由里子は奈央の背中を、ただぼんやりと眺めていた。――高橋さん、麻生さん…いい人達だけど、私を仲間に入れてくれるのかな。先程の少し複雑な気持ちを、今度ははっきりと感じた。

思い出していた。由里子は今まで、いつもはみだしものだったのだ。
グループ分けの時はあっちこっちにたらい回しにされ、終いにはじゃんけんでどのグループに入れるかを決められた時もある。由里子は暗く見えがちな外見やおどおどした態度、みんなが興味を持たない話題(由里子はアニメやゲームの事しか話さなかった。他の事には全く興味が無かったのだ)ばかり口にしている事などから、学年のほとんどの生徒に嫌われてしまっていたのだ。
他にも色々と酷い目に遇ってきた。
植野奈月(女子2番)などから金品を巻き上げられたり(奈月はまだ優しい方だった。迫田美古都(女子7番)や他のクラスの不良からはもっと恐ろしい事をされた)、男子に罰ゲームで告白されたり(その時由里子は思わず、私もです、と言ってしまった。それを陰で聞いていた者に笑われた)、言い出せばきりがない。どれも嫌な思い出ばかりだった。
三年に入ってからはクラスでも少し浮いていた
長谷川美歩(女子12番)と一緒にいる事ができたのだが(由里子は自分と同じようにひとりぼっちだった美歩に親近感を抱き、よく話しかけていたのだ)、一年や二年の頃はずっと独りだった。
気の合いそうな少しおたくっぽいグループに入ろうとしても、付きまとうなと言われ、受け入れてはくれなかった(その点美歩は無言で受け入れてくれた。由里子の話にはついていけないようだったが)。
どうしよう――また突き放されたらどうしよう。美歩ちゃんだったら一緒に居てくれるかな? 美歩ちゃんは私を追い払うような事はしなかった。美歩ちゃん、美歩ちゃんに逢いたいなぁ…
そんな事を考えている由里子を後目に、加奈恵は今度は露骨に嫌な顔をした。

「はぁ? アンタ何言ってんの? 東城由里子だよ?」
「え…かな? どしたの?」
加奈恵は今まで一度も出した事のない“裏の顔”をとうとう表に出しただけなのだが、奈央はそんな事も理解できず、見た事もない加奈恵の冷たい表情に戸惑いを感じていた。
「ていうかさ、なんでこんなオタクオンナと一緒にいなきゃいけないわけ? コイツ超キモイしウザイし。とにかく、あたしはやだよ」
加奈恵は奈央の足元に唾を吐いた。それは奈央のスカートを少し掠って、汚い雑草の陰に消えた。
「かな、やめなよ! 東城さん、そんな人じゃないよ?」
奈央の瞳には涙が溜まっていたが、加奈恵はそんな事は気にしなかった(ウザイもんはウザイんだもん、しょーがないじゃん)。
それに、加奈恵はこんな状況になっても教室での優しいままの奈央にも嫌気がさしていた。なに偽善ぶってんの、コイツ。あー…東城もウザイけどコイツもマジウザイ。こーゆう八方なトコ、嫌いなんだよね。あ、あたしもヒトの事言えないくらい八方だけどさ、普段は――
そ、普段は、ね。
全く、躊躇しなかった。加奈恵は腰からナイフを抜き出し、奈央の腹に刺した。
「…っ……ぅ」
奈央は声ならぬ悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちる。腹からナイフを抜き、加奈恵は次の“獲物”に狙いを定めた。
倒れた奈央のすぐ向こう、何が起きたのか理解できないといった表情でただただ震えている由里子に向かい、加奈恵は正面から突っ込んでいった。
――何? 何が起きてるの? 私、死ぬの? やだ、やだやだやだ…助けて、美歩ちゃん……
由里子はぎゅっと目を閉じる。しかし次の瞬間、無情にも加奈恵の握るナイフは由里子の首を掻き切っていた。由里子は喉の辺りが熱くなるのを、感じた。
すぐに由里子の首から血が噴き出し、白いセーラー服を真っ赤に染めたが――すでに絶命していた由里子自身には、関係の無い事だった。
血は加奈恵のセーラー服にも噴きかかった。加奈恵はところどころ赤く染まったセーラー服を忌々し気に見つめたが、すぐに足首に触れた感触に振り返った。
「…か、な………だめ…」
足首から、奈央の腕が伸びていた。奈央の体はがくがく震え、その震動は足首から加奈恵にも伝わっていた。
「こんな…の、まちが…ってる…よ……」
奈央はごほっと咳き込み、血を吐いた。それは赤い霧となって、地面に生えた雑草に降りかかった。加奈恵は奈央を冷たく見下ろし、言った。
「あのさぁ奈央、そーゆうトコ本っ当ウザイよ? あたし、前からアンタ嫌いだったんだよね。明るくて優しくて友達多くてさぁ。あたしがこんなにがんばってんのに、奈央は余裕って感じで…マジ目障り」
加奈恵はナイフを強く握り、それを思いきり奈央の左胸に突き立てた。
――マジ、大っ嫌い。あたしが欲しいもん、全部持ってて。



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