■22

「てゆーかぁ…あのヒト、なんなんですかぁ?」
分校の会議室(3年4組の面々が出ていった教室の、一つ下の階にあった)のパイプ椅子に座って資料の整頓をしながら、
リナは声をひそめて榎本あゆ(担当教官)に話し掛けた。あゆはリナの少し関西訛りの残る声に気付き、書類から顔を少し上げた。

リナがちらちらと送る視線の先には、薄桃色のカーディガンを羽織りロングスカートを履いた上品な感じの若い女性が立っている。女性は少しも動かず、ただ静かにモニターのざわざわとした画面を眺めている。最後に彼女が動いたのは30分前、ソファから腰を上げて今の位置に立った時だった。
「だからさっきも言ったじゃーん。このプログラム、見たいんだって。軍のお偉方の娘さんらしーし、特別にね」
あゆはくちゃくちゃとガムを噛みながら言い、手にしていた書類を縦長のテーブルに投げ捨てた。
「でも、ヘンなヒトですよねぇ。さっきからずーっと動かないし」
リナはテーブルの上の書類を拾い上げ、左腕に持った書類の束に挟もうとしたが止めた。書類は
植野奈月(女子2番)に関する資料だった。
「あれ? あゆセンパイ、植野に賭けたんですかぁ?」
リナはアイラインまでしっかりと引いた瞳を見開き、素っ頓狂な声を上げる。リナの言う、“賭けた”という言葉の意味――プログラムの際、お決まりで行われる優勝者予想の事だ。
優勝する生徒を予想し、その生徒に金を賭ける。上流階級の役人たちのささやかな楽しみになっていた。
「愛地さん、教官の事は榎本さんとお呼びなさい」
小泉がたしなめたが、リナは「別にいーじゃないですかぁ」と頬を膨らませた。女子高生のようなリナと、仕立ての良いスーツに身を包んだ小泉が並ぶと、さしずめよく居そうな年頃の娘とその父親のように見える。
「うんー。あゆは植野に20万。小泉さんとリナちゃんは?」
あゆは人差し指と中指を立て、ピースの形をつくった。
「私は運動神経と体力を買って、土屋雅弘に10万です」
小泉は
土屋雅弘(男子10番)の資料をあゆに差し出した。
「スポーツテストはクラス1位、バスケ部でもエースとして活躍…やっぱすごいねぇ」
あゆは受け取った資料をざっと眺め、小泉に返した。
「リナは穂積に8万です☆ 関西出身の仲間だしー」
リナも
穂積理紗(女子15番)の資料を束から引っ張りだした。「やっぱ強いですよぉ。土屋くんと組んでるみたいやし」
「穂積はダメだよー。弱味あるもん」
はしゃぐリナを横目に、あゆはテーブルに頬杖を突いて言った。
「えー! なんでですか?」
リナが唇を少し尖らせて言う。あゆはその様子に少し笑い、再び口を開いた。
「あゆ的にねー、穂積に水谷桃実は殺せないと思うよ。モトから平気で人殺せるよーなタイプでもないだろーしね。でも植野は水谷だって殺せるじゃん?」
でもぉ、とリナが言おうとしたが、先に小泉が口を開いた。
「しかし…穂積にも勝算はありますよ。水谷が先にリタイアする可能性だってあるし、なんでも穂積にはなかなか壮絶な過去が…」
「そろそろ放送の準備、お願いします」
ヘッドフォンを着け、盗聴記録を整理していた兵士が言葉を遮った。
「はいはぁい」
あゆが面倒そうに腰を上げる横に、先程までモニターを見ていた女性がいつの間に歩み寄り、テーブルの上に投げ出された植野奈月の資料をそっと拾い上げた。
――植野。植野奈月。
彼女は左上に貼られた顔写真に目を落とした。久しく見ていなかった、否、見たくもなかった奈月の顔。
写真の中の奈月はいつものように、誰もが不思議と和む、人懐っこい笑みを顔いっぱいに広げている。それが彼女の瞳には、童話に登場する悪魔か魔女のものに映った。彼女の手に力が入り、書類がぐしゃっと形を崩した。
彼女の名は
久喜田鞠江(くきた・まりえ)。つい6時間程前まで、丹羽中学校3年4組の担任教師を務めていた。



残り27人/序盤戦終了

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