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『皆さんこんばんわぁ。担任のあゆだよー』

榎本あゆ(担当教官)
の、気の抜けた声が島中に響く。マイクを通しているせいか、分校の教室での声よりも一段とけだるい感じに聞こえた。
手の平に、リキッドファンデーションをチューブから小豆大ほど取る。それを空いた右手の指先で伸ばし、顔全体に薄く塗る。右頬だけは、少し濃く。
『みんながんばってますかぁ? 午前0時になったよー。夜食食べてない? 夜遅くに食べると太るから女の子はほどほどにしなきゃねー』
太ったところでどうしようもない。三日経てば、生き残る事のできる一人以外は全員死んでしまうのだから。
パウダーのコンパクトを開き、ファンデーションに重ねる。パフを仕舞い、鏡に映る顔を見てむらが無いか確認する。

「よっしゃ、バリいー感じだし♪」
殴られた頬の赤みも退き、すっかり普段通りの肌だ。うん、けっこー上出来。
植野奈月(女子2番)は黒いエナメルのポーチにリキッドファンデーションとマスカラ、コンパクトを適当に投げ入れ、ファンデーションの残る手を黄色いハンドタオルで拭った。
『じゃ、まず死んだオトモダチの発表からいくよ。男子からねー』
奈月は鏡台を離れ、部屋の真ん中に置かれたテーブルにもたれ掛かった。テーブルの上には、名簿と地図、それと派手な蛍光ピンクのペンが置かれている。
『男子5番、川合康平くん。7番、佐々木弘志くん。11番、永田泰くん。12番、畑野義基くん。17番、宮田雄祐くん』
呼ばれた名前の上に、奈月はしゃっしゃっと軽く線を引いていった。こーちゃん、佐々木っち、ゆんち、畑野、宮田。
『次、女子ねー。4番鬼頭幸乃ちゃん…あ、もーみんな知ってるね。続いて7番、迫田美古都ちゃん。9番、高橋奈央ちゃん。10番、多村希ちゃん。11番東城由里子ちゃん。14番、福原満奈実ちゃん。以上11名ー』
ゆきちゃん、みこ……奈月は細く剃った眉を持ち上げた。――美古都、もー死んだの? 意外とザコいじゃん。
それだけ考え、続けた。奈央、たむちゃん、東城、福ちゃん。一人一人の顔が浮かんでは消えたが、何も感じなかった。
『みんないいペースだねー。このままがんばってよぉ?そんじゃ、次は禁止エリア言うよー。場所と時間言うから、ちゃんとメモってねー』
奈月は地図を取り、ペンを握り直した。
『まず、今から1時間後の1時。1時からF=07が禁止エリアになりまーす。みんな書けたー? じゃー次、3時からJ=03。3時からJ=03だよ。じゃ、最後ねー。5時からG=02。5時までにG=02を出ましょー。しっかりメモったかなー? 時間守んないと首輪爆発しちゃうよー。ちなみに畑野くんはエリアに引っ掛かっちゃったから、みんなも気を付けてくださーい。そんじゃ、また6時にねー』
地図にチェックを入れ、奈月はペンを置いた。

どうやら、今自分が居るD=08には関係ないようだった。あの後、奈月はタワーを離れ、このフードセンターの裏部屋(経営者が暮らしていたのか、こちらはごく普通の家だった)に入ったのだ。
タワーではなかなかの収穫があった。ビスケットや缶ジュース、コーヒーも見つかった。当分食料には困りそうにない。ここの食料まで持っていく必要はないのだが、奈月はここに来れば誰かが居ると思ったのだ。食料が欲しくなれば、大抵は家かここが相場だろう。奈月はポケットからセブンスターのソフトパックを取り出し、一本咥える。ライターで火を着けると、煙を深く吸い込んだ。
彼女が何故、
黒田明人(男子6番)を見逃したのか――奈月は白い煙を吐き、明人の呆然とした顔を思い出して少し笑った。理由は簡単、かつ単純。明人を生かしておいた方が、奈月にとっては何となく面白そうに思えたからだ。
奈月の行動の基準は“楽しいか、そうでないか”だった。楽しくなければ生きている実感がしない。笑っていれば、大抵の事は楽しく可笑しく思えた。
奈月はずっと、ごく普通の家庭環境で育ってきた。仕事は忙しいが、休日は遊びに連れ出してくれる父。少し口うるさく怒る時以外は優しい母。しかし、奈月は退屈だった。楽しくないという事は無かったのだが、もっと大きな楽しさを求める奈月には刺激が足りなかったのだ。
そんな生活をやり過ごしていた奈月の転機になったのが、小学三年生だった時の両親の離婚だった。原因は父親の浮気だった。奈月は幼心に、やはり父もこんなごく普通の楽しみでは満足できないのだ、と思った。奈月は金に困りそうにない父が引き取る事となり、父は再婚した。
父の連れてきた不倫相手は奈月に興味を示さず、ごく普通の家庭環境は、少し育児放棄気味な家庭環境になった。奈月は少し懐かしく思い、半分ほどしか吸っていない煙草をテーブルの端で揉み消した。
ちょうどその頃だったか、初めて万引きをしたのは。
万引きを始めた頃は、そのささやかなスリルに奈月は夢中になっていたのだが、飽きるのは早かった。奈月は更に楽しさを求め、次第に大物を狙うようになった。小学五年生になった奈月は、たった一人でもデパートの電化製品売り場からCDラジカセを盗み出せるまでに腕を上げていた。
酒や煙草にも手を出した。中学に上がり、違う小学校の不良とも付き合いだした(クラスは違ったが、その頃知り合った連中とは今でも一緒に悪さをしている)。喧嘩や恐喝、売春、他には麻薬の売買にも関わっていた。奈月にとっては全て、楽しいものだったのだ。
久喜田鞠江(元担任教師)が学校に来なくなったのも、ほとんど自分や古宮敬一(男子14番)たちの所為だったが、奈月が気にする筈はなかった(センコーの分際で登校拒否? ちょっとウケるかもね)。
とにかく奈月は、今を楽しんで生きてきたのだ。プログラムに選ばれたという事実は自分の力でどうにかできるものではない。それも、変える事の出来ない“今”なのだ。
植野奈月、14歳。ちょっとした事情があって、只今殺し合い中。どう足掻こうと、これがあたしの“今”。いつ死んじゃうかだってわかんない。だったら、この状況を楽しむしかないじゃん?
奈月は煙草をリュックに突っ込み、部屋を出た。少し息を吸い込み、奈月は辺りを見渡した。目の前には畑が広がっている。
――誰か居ないかなー。こーゆうギリギリっぽいトコで喧嘩すんのも、結構楽しかったんだけど。
喧嘩で勝った時のような軽い恍惚感に、奈月の顔には自然と笑みが広がった。



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