□25

茂みの奥から微かに聞こえた、がさっという音に
志田愛子(女子8番)の体は震えた。
地図上ではD=05に位置する雑木林に、愛子はずっと留まっていた。隠れていれば大丈夫――そう思っていたのに。ぶるぶると震える手を地面に突き、恐る恐る腰を上げて愛子は植え込みから向こうを覗いた。
誰も、居ない――
愛子はほっと息を吐き(それすらも愛子は音を立てないようにそっとした)、膝を抱えるように座り直した。可能な限り、体を小さくして。隠れていなければ。誰にも見つからないように、体を動かすのも呼吸をするのも、静かに。
愛子の丸いメガネに、頭の上の方から結った黒髪の束がぱらりと落ちる。しかし愛子はそれを払おうともせず、ひたすら体を縮めていた。鬱陶しかったのだが、動けば物音がしてしまう。そうすれば、誰かに見つかってしまう。見つかれば、殺されてしまう。
誰もが生き残りたいと願っている筈だ、まして自分のような特に好かれてもいない者など、すぐに殺されてしまうだろう。だから、隠れていなければいけない。ただひたすら、待つのだ。ここで、クラスメート達の殺し合いが終わるのをじっと待つ。息をひそめ、体を小さくして、自分の存在を消すように――
しかし、愛子の思考はまた微かに聞こえた物音で遮断された。今度は少し近い。
やだ、来ないで。気付かないで。誰もいない、ここには誰も居ないの。だから早く、どっか行って。膝を握る手に力を込め、愛子は唇を引き結んだ。来ないで、来ないで、来ないで…
また、音がしていた。それは随分大きくなり、少しずつ愛子の元に近付いて来ていた。
来ないで、来ないで――来たら、撃たなきゃ。撃たなきゃ、撃たなきゃ――
がさがさっ、ばさっ、という音が愛子の耳に届いた。実際には少し離れていたのだが、愛子の耳には植え込みのすぐ向こうでしたように聞こえていた。
それが決定打になり、愛子は弾かれたように立ち上がった。右手に握るベレッタM92FSを両手で持ち直し、躊躇なく一発、撃った。しかしそれは植え込みの向こう側に立つ木に当たり、枝を数本折っただけだった。瞬間、愛子の腕に叩かれたような衝撃が走り、ベレッタは雑草の茂みの中に落ちた。
「愛子ちゃん」
何が起きたのかわからず、それでも愛子が声の方に顔を向けると――そこには、
遠藤茉莉子(女子3番)の美しい顔があった。
「ひぃっ!」
愛子は驚きのあまり声を上げ、素早く地面に落ちたベレッタを拾おうと振り返った。しかしすぐに茉莉子に肩を掴まれ、それは敵わなかった。
「待って。聞きたい事、あるんだけど」
茉莉子の口調はしっかりとしたものだったが、愛子にとってそれは不気味なだけだった。
「久米彩香、見なかった?」
茉莉子が
久米彩香(女子5番)の名前を口にしたが、愛子の耳には届いていなかった。撃たなきゃ、撃たなきゃ、撃たなきゃ!
「ねぇ、見なかった?」
愛子は肩を掴む茉莉子から逃れようともがいたが、無理だった。普段の茉莉子からは想像できないような力だったのだ。
「久米彩香、見なかった?」
茉莉子は言葉を繰り返しながら、空いた左手で愛子の細い首を掴んだ。続いて、肩を掴む右手も首に移した。
「見なかったか、聞いてるんだけど」
身長168センチの茉莉子の手の高さに合わせ、愛子の足が浮いた。首を締め上げられたまま、愛子は足をばたばたと動かしたが、それも徐々に力を失っていった。
「ねぇっ! 久米彩香、見なかった!? あいつ、ぶっ殺さなきゃいけないんだよ!」
茉莉子が声を荒げたが、顔は奇妙な事に全く怒りの色を示していなかった。それどころか、茉莉子は――無表情だったのだ。赤くなっていく視界にそれを見て、愛子は足をぶらぶらと動かした。
撃たなきゃ――殺される、早く――生き残れるのは――高校受験――撃たなきゃ――ひとり――

「久米彩香、知らないの? ほら、幸乃にひどい事した性悪女だよ。知ってる?」
愛子の足が、またぶらぶらと動いた。しかしそれは愛子自身の意志ではなく、茉莉子が愛子の首を揺らしている所為だった。茉莉子の口調は穏やかになっていた。既に事切れた愛子に向かって、茉莉子は言い聞かせるように話し掛けていた。
「だから、殺さなきゃいけないの。久米彩香、殺さなきゃ」
茉莉子の腕から力が抜け、愛子の体は地面に崩れ落ちた。鬱血した顔からメガネがずり落ち、ぱきっと音を立てて割れた。
「久米…久米彩香、殺さなきゃ」
茉莉子は辺りを見回し、地面に落ちた水のペットボトル(茉莉子はこれを投げて愛子の腕を叩いたのだ)を拾い上げ、それからベレッタも拾い上げた。コレ――久米殺すのに、使えるよね。
少し考えてから愛子の死体に振り返り、茉莉子は言った。
「借りるね、コレ」
茉莉子はベレッタをスカートとベルトの間に差し、植え込みの向こう側にあった愛子のデイパックを拾うと、黙ってその場を去った。
早く探さなきゃ。久米彩香、早く探して、殺さなきゃ。



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