■30

地図上ではD=08、フードセンターの店先だった。缶詰類や保存食を震える手で握り、
横井理香子(女子18番)はそれをデイパックの中に入れていた。
少し青ざめたその表情は、丹羽中女子バスケ部キャプテンにして3年4組女子学級委員、面倒見が良くてしっかり者の横井理香子のものとは思えなかった。いつもバスケ部のコートで、冷静にボールを見つめていた瞳は忙しなく動き、しゃんと背筋を伸ばしていたその背中も、小さく震えている。理香子は菓子類の棚からクッキーを取りながら、自分に言い聞かせていた。
ちゃんとしなきゃ――もう、11人も死んじゃったんだ。
明るい笑顔でいつも皆を元気づけてくれていた
高橋奈央(女子9番)も、バスケの時にパスをしっかり受け止めてくれた福原満奈実(女子14番)も、もう居ない。他にも、色んな時に自分を支えてくれていたみんな。それも、ひとりひとり、確実に減っているのだ。

頼れるものが、居ない。
理香子の父親は、理香子が産まれてすぐ死んでしまったらしく、母親は昼も夜も生活のために働いていた。小学5年生の時に、母親がどこかの男との行きずりの行為で身籠った妹を産んでからは、その世話はほとんど理香子が行う事になっていた。
仕事の忙しい母はあまり構ってくれず、小学生だった理香子は学校から帰ってすぐ、駅前の保育所に預けられた妹の麻美を迎えに行き、幼い妹の世話をひとりでする生活を送っていた。
そんな環境が、理香子をしっかり者に育て上げたのかもしれない。
泣きたくなっても、泣けない。愚痴を言いたくても、言えない。あたしがちゃんとしなきゃ。麻美だってまだ小さいし、お母さんは頼りになんない。あたしが、しっかりしなきゃ。
しかし、年の割にはしっかりし過ぎてしまって理香子にも、やっと頼れるものができた。
それが、友達だった。
いつだったか、珍しく塞ぎ込んでいた理香子に、バスケ部の練習が終わり一緒に帰っていた
長谷川美歩(女子12番)が、何となしに言ったのだ。
「リカはさぁー…なんつーか、ひとりで色々抱え込み過ぎてんじゃない? バスケの事とか、学校の事とか」
それを聞いた満奈実も、口を開いた。
「あーしもそれ、思った! リカってしっかりしてんのはいーんだけど、なんでもひとりでなんとかしよーとか思ってない? もっとさ、うちらのこと頼っていいよー? グチくらいだったら聞けるし」
満奈実はにこにこ笑っていた。美歩も、うんうん、と頷いていた。
その日の帰り道、理香子はクラスの友達と、些細な事でケンカしてしまった事を二人に話した。二人は時折頷きながら、それを聞いてくれた。全て話し終え、別れ道に差し掛かったところで、美歩が言ったのだ。
「…電話、してみたら? 電話って、面と向かって言うより、けっこー素直になれるもんだよ」
家に帰った後、妹を保育所に迎えに行き、寝かし付けた。美歩の言った通り、受話器を取った。少しためらってから、ケンカした友達の携帯電話の番号を押した。
「ごめん」を言う勇気をくれたのは、美歩と満奈実。それから少し照れ臭そうに返ってきた「こっちこそごめんね」の言葉が、堪らなく嬉しくて。張り詰めていた何かがふっと緩んだように、力が抜けた。
安心していたのだと思う。「頼っていいよ」という友達の言葉を思い返すたび、ずっとずっと幼い頃母親にぎゅっと抱きしめられたときの感覚に似たものを感じていた。
頼っても、いいんだよね。
ハッチも福ちゃんも、みんなみんな、頼っていいんだよね。
その時初めて、理香子に“頼れる存在”が出来たのだ。しかし、理香子にとって頼れるものだった友達も、この腐ったゲームのお陰で次々と消えていってしまう。まだ、
麻生加奈恵(女子1番)志田愛子(女子9番)水谷桃実(女子16番)などは放送で名前を呼ばれておらず、生きているという可能性があるのだが――
理香子はどうしても、美歩に逢いたかった。美歩には、悪い事をしてしまった。
彼女がバスケを辞めたのは、きっと自分の所為だから。

「…っ、ごほっ」
這うようにして、沖に上がった。筋肉痛と疲れで、足どころか体中が痛かった。無我夢中で泳いだ所為で、飲んでしまった海水を吐いた。
落ちていく感覚は、彼女が好きだったジェットコースターなど比べるに値しない程のものだった。物凄いスピードで自分の体が落ちていくのがわかった。
そして、水に叩き付けられた痛み。半袖のセーラー服から出た腕が水に容赦無く叩き付けられ、痺れるように痛んだ。あまりの痛みに、彼女は一瞬、意識を失いかけていた。少しずつ沈んでいく体と、徐々に苦しくなっていく呼吸。――まだ、死にたくない! その思いだけで、彼女は疲れきった体を動かした。痺れる腕を振るい、痛む足をばたつかせて――どうにかして、砂浜まで辿り着いた。

最早一滴の力も入らなくなった細い体をぐったりと地面の上に投げ出し、彼女は目を閉じた。何故か、自嘲的な笑いが込み上げる。
別に、死んでもいい。
死ぬべき時が来たら、死んでも仕方ない。だとすれば、今が“死ぬべき時”だった筈。
それなのに…なんで、あたしは泳いだの? なんで、あたしはあのコの髪に、火を着けて――…
あーあ。なにやってんだろ、あたし。
美歩の意識は、そこで闇に落ちた。



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