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小さな赤い実のついた植え込みの前を歩きながら、
沖和哉(男子4番)は溜め息を吐いた。植え込みの向こう、遠くに広がる海は暗く、月明かりだけがその波間を照らしている。
地図上ではF=09、その崖からは少し離れた畑の側に和哉は居た。人気はなく、和哉の予想では誰も居ないだろう。もう数時間、この島を歩き回っていたが、彼女には逢う事ができなかった。一体、何処に居るのか――
「………恵梨」
足を止め、小さく彼女の名を呟く。和哉が探していたのは、
浜野恵梨(女子13番)だった。
恵梨とは三年に上がってから、二ヶ月半ほど付き合っていた。しかし、クラスメート達は勿論、学校の者は二人の関係を全く知らなかった。二人は誰にも知られないように、付き合っていた。
和哉が親から与えられた、他の市のマンションくらいでしか一緒に過ごす時はなかったかもしれない。それで和哉が満足していたかと言えばそうでもないが、和哉はそれ以上求める事はしなかった。最初から、恵梨が本気ではない事はなんとなく解っていたのだ。それでも、最初こそ遊び半分だった恵梨も、だんだん本当に和哉の事を想うようになり、二人はそれだけの付き合いでも順調だった。
しかし、幾度目かの夜だった。突然、恵梨が言ったのだ。
「今日は…着けなくていいよ、ゴム」
勿論、和哉は断わった。恵梨が何を思ったのかは解らなかったが、避妊をしなければどうなるか、和哉にもはっきり判っていた。しかし恵梨は、今日は大丈夫な日だから、ほんとにしなくていいから、と言い寄り、和哉もつい流されて、その夜は結局、避妊をせずに事に及んでしまった。
つい流されてしまったとはいい、避妊をしなかった事に罪悪感を感じる反面、本当に恵梨と繋がれた事を嬉しく思っている自分が居ることに、和哉は少し苦しんだ。しかし、終わった後の恵梨の笑顔を見ると、そんな事も吹き飛んでしまう。その夜の事を少し気にしながらも、二人はその後も順調に愛を育んでいった。
しかし、一週間ほど前からだっただろうか――恵梨の体調が悪くなり、表情もどことなく沈んだ感じになったのは。
和哉はそれで、もう何となく解っていた。そして、2、3日前、意を決して恵梨に電話をしたのだ。
『明日、学校休める?』
電話の向こうの恵梨は、ひどく元気が無かった。小さな声で、うん、わかった、とだけ言い、電話は切れた。

その日の夜は何だか眠れなくて、一晩中煙草を吹かしていた。
そして翌日、いつものように電車に乗り込み、離れた市のマンションの一室で恵梨と逢った。
二人でペットボトルのウーロン茶を飲み、ごくごく普段通りの会話をしていた。その会話が途切れ、ふいに和哉の目が、空の灰皿を見た。灰も落ちていないそれに、その日恵梨が一本も煙草を吸っていない事に初めて気が付いた。っつー事は、やっぱ――
「妊娠、してるみたい」
俯いたまま、唐突に恵梨が言った。強く握った手で、目をそっと擦り、また口を開いた。
「…ごめん、なさい」
和哉は不思議なことに、とても穏やかな気持ちになった。深刻そうに俯いている恵梨に比べると、まったく能天気なものだったが――確かに、自分が中学三年生である事だとか、中学生の妊娠がどれだけ大変なことであるだとか、そういった事も頭にはきちんとあった。しかし、最早そんな事は和哉にとっては重要ではなかった。
「結婚、しよっか」
はっきりと、和哉はそう言った。
恵梨は一瞬驚いたように顔を上げかけたが、すぐにまた俯いた。
「…適当なこと、言わないでよ。あたしたち、4月に付き合い始めたばっかじゃん。それに、高校とかお金とか色々あるし………」
和哉はひとつひとつに頷いて、それから少し間を置き、口を開いた。
「俺は高校行かずに働くよ。金も貯める。それに」
そこで和哉は、少し言葉を切った。
「なんつか、こういうの…やっぱ、セフレ、みたいに思われてたかもしんねぇけど……俺はずっと、本気だった。ずっと、好きだったよ」
ずっと、好きだった。
その言葉に、恵梨は少し顔を上げた。いつもとは違う、真剣な和哉の顔がそこにあった。和哉はそれから、少し照れたように笑い(普段の調子に戻っていた)、「でも」と言った。
「…でも、やっぱ産むのは恵梨だから。恵梨が産みたくないんだったら…その、堕ろす、とか」
和哉は“堕ろす”という言葉を言うのに、少し躊躇していた。視線を一瞬、空へ泳がせたが、次の瞬間にはしっかりと恵梨を見ていた。
「恵梨が決めていいと思う。お前の体のことも、ある訳だし」
恵梨は思い詰めたように、また顔を伏せた。
「…ちょこっと、考えさせて」
それだけ言うと、恵梨は部屋を出ていった。
和哉は自分を落ち着かせるように、ピーススーパーライトの箱をポケットから取り出した。一本を口に咥え、火を着けようとしたが――止めた。煙草は、止めよう。恵梨がお腹の子供をどうするか決めるまで、煙草は止めよう。和哉はそう思った。

そう思っていた、丁度その時だったのに。
和哉はきゅっと唇を噛んだ。――なんでこうもタイミング悪く、選ばれちまうんだよ。
修学旅行が終わってから、もう一度恵梨と、きちんとこれからの事を話したかった。そう思って煙草を止め、バイトも探し始めたというのに――
和哉は立ち止まって、溜め息を吐いた。
生き残ることができるのは、ひとり。しかし恵梨が生き残れば、お腹の中で今でもしっかり生きようとしている新しい生命がもうひとり、この殺し合いから逃れる事ができる。
だから、和哉は恵梨を救いたかった。恵梨と、その新しい生命を、生き残らせてやりたかった。

「おっきー、見っけ♪」
突然、和哉の思考を遮るように高い声が響く。和哉が驚いて振り返ると、そこにはブローニング・ハイパワー9ミリを構え、いつもの人懐っこい笑みを浮かべた
植野奈月(女子2番)が、赤い髪を揺らしていた。



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