■32

息が切れる。崖に沿った木や植え込み、その反対側には畑があった筈の道。しかし、いつの間に畑は無くなり、道幅はだんだん狭くなっていた。
沖和哉(男子4番)は足を休めずに後ろを振り返った。和哉の支給武器は何故か、ビニールの袋に包まれただけの歯ブラシで、植野奈月(女子2番)が手にしている銃には到底敵う訳がないだろう。あれからかなりの距離を走った筈なのに、奈月は未だに自分を追いかけてきていた。
やはり、三年間部活動に参加していなかった和哉の体力は、平均程度のものだった。その面では奈月も、目立つほど運動能力が高い訳ではなかった。しかし、今思えばそれは、体育の時間も手を抜いていただけなのかもしれない。事実、これだけの距離を走っているというのに、奈月は余裕たっぷりに笑いながら、和哉を追いかけている。
「ほらぁ、撃っちゃうよー? 早く止まっちゃえば?」
奈月はくすくす笑いながら、ブローニング・ハイパワー9ミリを持った右手を、肩の高さまで上げた。和哉の背中に緊張が走ったが、止まる訳にはいかない。恵梨に――
浜野恵梨(女子13番)に逢うまでは、死ぬ訳にはいかない。

しかしこのまま追いかけっこを続けていても、和哉に勝ち目は無いだろう。もうかなりの体力を消耗している和哉と、まだまだ余裕のある奈月。そのうち追いつかれて、銃弾のプレゼントを戴くのが関の山だ。
和哉はスライディングの要領で足元にきゅっとブレーキを掛け、すっと身を翻すと、脇の植え込みを飛び越えた。
「あっ、逃げたなこのやろー♪」
茂みの奥へ消えていく和哉を一瞥し、奈月は足元の植え込みに向けて一発撃った。手入れをされていない所為で随分脆くなった植え込みは綺麗に爆発し、そこには人一人通れるほどの道が開いた。奈月はそこを通ると、続けて遠くなっていく和哉の背中を追った。

「すずちゃん、すずちゃん」
自分を呼ぶ、声がしていた。少し高めで、透き通ったその声は、かなり久しぶりに聞くものだった。
鈴村正義(男子8番)はそっとその身を起こした。そこは見慣れた3年4組の教室だった。朝が早いのか、どこからか雀の鳴き声が聞こえる。朝早くから学校に来ている、という事は、今日は日直なのだろうか? 正義は日直の日はいつも、早くから学校に来ていた。とにかくどうやら、自分の席で寝入ってしまったようだ――否、それは違う。確か、プログラムに選ばれて――だったら何故、自分はここに居るのだろうか。
「おはよう、すずちゃん」
また、声がした。それに振り返ると、いつも空いていた隣の席に、その席の主が座っていた。
「…鬼頭さん!? え、だって――鬼頭、さんは」
隣に座っていたのは、三年になってから一度も学校に来ていなかった
鬼頭幸乃(女子4番)だった。
――え? だって、鬼頭さんは学校に来てなくて、だから僕がいつも一人で日直やってて…それに、何より、鬼頭さんは――死んだ、筈なのに。
「学校、休んでばっかでごめんね。今日はあたしも、日直の仕事するから」
幸乃は綺麗な黒髪を揺らして、笑う。

まだ正義が混乱している中、突然、教室のドアが開いた。
「お、すずちゃん。うーっす」
佐々木弘志(男子7番)が教室に入り、いつものように軽く手を上げて言った。続いて、宮田雄祐(男子17番)も教室に入ってきている。
「なんで…佐々木くんも、宮田くんも、放送で…呼ばれて、死んだって……」
正義がまた混乱して言った。また教室に入ってきたのは、
永田泰(男子11番)畑野義基(男子12番)だった。
「すずちゃんひどいよ、勝手に殺さないでよー」
「朝だからって寝惚けてんじゃねーぞ」
二人は言って、笑った。
――嘘…みんな、生きてる。じゃあ、今までのはなに? 全部、全部夢?
「おっはよー♪」
元気の良い声と共に、
福原満奈実(女子14番)高橋奈央(女子9番)が教室の後ろのドアを開けた。続いて、多村希(女子10番)東城由里子(女子11番)も入ってきている。
「なになに? どーしたの?」
満奈実が机の間をすたすたと歩いて、正義たちの輪に混ざっていた。
「福原、聞けよー。すずちゃん、俺らが死んだとか言ってんのー。ぜってー寝惚けてんべ」
弘志が言うと、満奈実はいつものように明るく笑い出した。
「すずちゃん、しっかりしてよぉー。みんなピンピンしてるよー?」
いつの間に、奈央や希も輪に入って笑っている。
そうだ、全部夢だったんだ…修学旅行にもまた行けるし、みんな、また仲良く――
正義は席を立った。
「ごめん、みんな。僕、日誌取ってくるよ」
おう、と弘志が返事をしたのを聞き、正義は何故か弾む胸を軽く抑えた。普段通りの生活が、こんなにも幸せだなんて、今の今まで考えた事も無かった。教室の後ろのドアから出ようとすると、丁度入ってきた
迫田美古都(女子7番)とぶつかりそうになってしまった。
「ご、ごめんなさい」
少し怯えつつも謝ると、美古都は笑いながら正義の頭をゆるく叩いた。
「今日もかわいーな、すずちゃんは」
美古都がさほど怒っていないことにほっと息を吐きつつ、正義はドアの前に立った。
日誌、取りに行こう――今日は、鬼頭さんも来てくれたし。よかった、ほんとによかった。
正義はすっと、その一歩を踏み出した。突然、場面が暗転し――
廊下があるはずの地面は崩れ、視界が奇妙に歪み、全てが真っ暗になった。いつだったか映画で見た、不気味な化け物が暗い画面に写し出され、甲高い悲鳴が響く。正義の体は、深い闇に果てなく落ちていく――

「わああああああっ!!」
正義はがばっと起き上がり、肩で息を吐く。見えたのは果てない闇ではなく、蝋燭の赤っぽい明かりの広がる部屋だった。
「すずチャン、どーした?」
正義の尋常でない様子に、
安池文彦(男子18番)は見張り窓(と言っても、そこだけバリケードをしていない窓だった。小さな窓で外からは目立たないのに、外の様子は大抵見渡すことができる、見張りには最適の窓だった)の前を離れ、正義の方を振り返った。
先程の放送で親友だった宮田雄祐の死を知り、嘆き暴れ、疲れて机に突っ伏したまま眠ってしまった大野達貴(男子3番)も正義の叫び声に目を覚ましたようだ。何事か、といったように辺りを見回している。
正義はどくどくと脈打つ心臓を抑えた。――夢? あぁ、やっぱり――逃れられる訳、ないんだ。この、殺し合いからは。
「なんか、嫌な夢でも見たか?」
文彦の心配そうな言葉に、正義は少しだけ落ち着いた。
「…ごめん。悪い夢、見ちゃった。でも、大丈夫だから」
「あんま、思い詰めすぎんじゃねーぞ」
達貴も、普段とは違うゆるい口調で言い(内容はほとんど文彦の受け売りなのだが)、正義の青ざめた顔を覗き込んだ。その目は未だに赤く腫れていたが(あれだけ泣きに泣いていたのだ、当然だろう)。
「汗かいてんなー。王子、すずちゃんに水飲ませた方が良くねぇ?」
達貴は正義の額の辺りに触れると、文彦の方を振り返って言った。
「そーだなー。水だったらまだ残り多いし」
文彦が答えながら、見張り窓の前に戻るのを見て、達貴は私物のタオルと水のペットボトルを取った。
――ホントにすずチャン、大丈夫か?
文彦は未だに少し震えている正義の方を、軽く振り返った。
正義の調子は一向に良くならず、食べ物は全く口にしていなかった。震えたり泣いたりを繰り返し、その様子があまりにひどいので、少し寝たら、と勧めれば、今のように悪夢にうなされて目を覚ます。正義は普段から、精神的にも“弱い”方に見られる事が多かったが、本当に参ってしまっているようだ。
ふと、文彦は見張り窓を覗き込んだ。何かが動いたような気配が、していた。
そして――文彦はそれを見た。近くの茂み、誰かが月明かりに影を落として走っていた。白いシャツからすると、恐らく男子だろうか。その影は、少しずつこちらに近付いていた。それが誰だかを確認しようと、文彦は少し身を乗り出して影を見た。突然、追うようにもう一つの影が走り出た。その影は、右手をすっと前に伸ばしている。
瞬間、銃声がひとつ、響いた。前方の影が揺れ、それで文彦はその影が撃たれたのだと判った。影は茂みを突き出て、見渡しのいい表道に倒れかけた。その時、文彦にははっきりと見えたのだ。肩の辺りを撃たれ、少しよろめきながらも走り出そうとしている前方の影は、間違い無く、沖和哉だった。
続いて、文彦の視界から消えつつある和哉を追っている後方の影、その赤い髪を文彦は見た。3年4組で髪を赤く染めているのは一人、植野奈月だけだ。

「オイ、今のって…銃声、だよな…どーしたんだよ」
唖然としている文彦に、達貴が歩み寄り、尋ねた。
「…いや、何でも――」
ないよ、と続けようとして、文彦は口を閉じた。
――何でも、ない? 何でもない事か? 友達が、おっきーが、撃たれてるっつーのに?
おかしい。絶対違う、こんなの絶対、間違ってる。
文彦は拳を強く握って、呟いた。



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