□37

「続いて男子4番、死亡しましたぁー」
元気の無い声で溜め息混じりに言うと、
リナはパソコンのデスクトップを覗きながらキーボードを叩いた。
「はいはい沖和哉くんねー。リナちゃんどしたのー?」
榎本あゆ(担当教官)は名簿の『女子13番:浜野恵梨』に続いて、男子4番の名前の上にも赤いペンで横線を引くと、リナのどことなく萎れた様子に顔に上げた。
「だってぇ、こーんないいオトコが死んじゃったんですよー!? リナ、沖くんの顔超タイプだったのにぃ」
リナが「ふぇ〜ん」と芝居がかった泣き声を出した。パソコンのウィンドウには、生徒の首輪に仕掛けられた盗聴機能から電波を受信してプロットされた盗聴記録が映っている。
「仕方ないよぉ、浜野ちゃんと付き合ってたんでしょ?」
リナの方に歩み寄り、あゆは盗聴記録を覗き込んだ。「それにしても妊娠してたとはねー。全然わかんなかったよー」
きゃあきゃあと騒がしい声を出す、娘ほどにも年の離れた二人の女を眺め、
小泉は軽く溜め息を吐いた。
「元気だなぁ…」
独り言のように呟き、同じ若さでも二人とは全く逆の、一言も話さずにただ立っている女性――
久喜田鞠江(元担任教師)の方をちらりと眺め、彼女のデータを頭から引っ張り出した。
このプログラムの対象クラス、丹羽中学校3年4組の元担任教師。クラスで何やら問題があり、ここ最近は学校にも行っていなかったらしい。確か副担任に
岩本という男の教師が付いていたようだが、そちらの方は3年4組がプログラムに選ばれたと聞くと「そうか、それは残念な事だ」と言っただけだったと小泉も人伝に聞いていた。
それはともかくとして、鞠江は専守防衛陸軍大佐・久喜田稔の一人娘で、この国においてはかなりの権力を持つ、一握りの者だった筈だ。何故、そのような上流階級のお嬢様が、公立の中学校で教師を勤めているのか――それは、小泉の知るところではなかったのだが。
ふいに、小泉は口を開いた。好奇心によるものだと思われるが、何となしに鞠江の方を向き、訊いてみたのだ。
「久喜田先生は、どの生徒に賭けたんですか?」
そこで、鞠江は視線をモニタの画面から小泉に移した。その様子を見たあゆも興味を示したらしく、鞠江の方に歩み寄っていた。
「それ、あゆも聞きたーい。てゆーか、トトカルチョ参加してます?」
それまで微動だにしなかった鞠江の肩が揺れ、二人に向き直った。それから鞠江は口を開き、「76万…」と呟いた。
「ななじゅうろくまん!? すっごーい、誰に?」
あゆはその金額に驚き、目を丸くした。そう言うあゆも20万とかなりの額を注ぎ込んでいたのだが、とにかく。
鞠江は首を軽く横に振り、また言った。
「全員、よ…38人全員。一人2万ずつで、76万」
この言葉には、小泉も目を見張った。あゆも更に驚き、「複数に賭けるってアリなの? じゃーあゆも穂積と植野で10万ずつにすれば良かったぁ」等とぼやいている。

勿論、複数に賭けるなど(2、3人ではともかく、全員に賭けては賭け自体成立しない)無しに決まっているが、久喜田大佐の娘である彼女のことだ、その辺りも権力で適当に揉み消しているのだろう。
「何故、全員に?」
小泉はまた、訊いた。鞠江はその薄い唇を更に薄め、笑みを浮かべた。
「優勝するのなんて……誰でも、構わないのよ…」
鞠江は幽霊のように言い、ふっと笑う。どこか作り物の人形を思わせるような整った顔立ちに、薄く広がる笑み。それを見たあゆは「こっわー」と冗談混じりに言い、ノースリーブのトップスから出た腕を寒くもないのに(確かに冷房は効いていたが)摩りながら、リナの方へと歩いて行った。

もう、どれくらい走ったのだろうか。
安池文彦(男子18番)本人の予想だと、軽く1キロ半は走っただろう。
血痕が途中で途切れていたが、それでも文彦は前を進んだ。やがて血痕はまた現れ、文彦の道標となっていた。この石だらけの道を走る事は、確かにかなりの体力を消耗した。しかし、途中で幾分近くに聞こえた銃声で、文彦は更に先を急ぐ事となった。頭の中に、眠るように事切れている
沖和哉(男子4番)の顔が何度も浮かんだが、その度に文彦は軽く頭を振り、嫌な想像を打ち消した。間に合って、くれよ。
ふいに、ごつっという音を起てて文彦の足が何かにぶつかり、文彦は転びそうになった。転びそうになりながらもどうにか地面に着地し、何事かと後ろを振り返ると――それと、目が合った。
「…たけ、い?」
足をぶつけた所為で体をぐるりと反転させ、じっとこちらを睨んだままの
武井尚弥(男子9番)が、転がっていた。そして、その額には黒っぽい穴が空き、髪には何かどろどろしたものが着いていた。確かめる必要も、無かった。尚弥は間違い無く、絶命していた。
尚弥の濁った瞳は恨めしそうに、一点を睨んでいた。文彦はそっと尚弥の瞼に手を触れ、それを閉じさせようとしたのだが――止めておいた。最期の最期まで、なにかを睨み続けていた尚弥の無念を、自分の手で断ち切ってしまうような気がして、ひどく後ろめたかった。向きがおかしくなった尚弥の体をどうにか整え、文彦は拳で自分の額を軽く叩いた。

文彦は中学三年生という年齢の中では、まぁ大人びていた方だった。外を歩けば高校生、下手をすれば大学生に間違えられる事もあったし、煙草を買う時も、店のおばさんから怪訝な顔でじろじろと見られる事はほとんど無かった。
それに、どことなく冷めた感じの、少し斜に構えたような態度(文彦は意識していなかったのだが、いつだったか
佐々木弘志(男子7番)から冗談混じりに指摘を受けた。いつもやる気が無さそうで、なんとなく長谷川美歩(女子12番)のようだ、と。その弘志も、もう死んでしまっていたが)と、持ち前の冷静さ(何が起きても、あまり動じる事はなかった。これだけ文彦が焦り、慌てている姿は滅多に見られたものではない)の所為か、クラスメートからは「オトナっぽい」だとか「落ち着いてるね」等と言われる事が多かった。
しかし、今となってはその面影は無いに等しい。勝手な事を言って
大野達貴(男子3番)たちの元を離れ、和哉を追う間にはマイナスの想像ばかりを考え、焦って前だけを見て進んだ挙句、すぐ側に転がっていた尚弥の死体にも気付く事ができず、蹴ってしまった。
――どうかしてるな、俺。
文彦は溜め息を吐くと、先に続く血痕を追った。



残り23人

+Back+ +Home+ +Next+