■38

地図上ではI=04、船着場の倉庫の影になっている所に
森下亜貴(女子17番)はひとり、座り込んでいた。先程、遠くで聞こえた銃声――思い出すだけでも身震いがする。亜貴は全身に伝わる震えを抑えるように、自分の腕をぎゅっと掴んだ。
こわい。
亜貴は強く唇を噛み、恐怖の所為か止めどなくその幾分細い瞳を濡らしている涙を拭った。こわい――誰かと、いっしょにいたい。
しかし、自分のような人間と一緒に居てくれる者など居るのだろうか? 亜貴は小さく溜め息を吐いた。普段から仲の良い
久米彩香(女子5番)浜野恵梨(女子13番)ならばともかく、他のクラスメートたちが自分と進んで一緒に居てくれるとは思えなかった。
普段だって、亜貴の入っていた彩香たちのグループの中ではほぼパシリのような扱いを受けていたし(確かに、全体的にギャルっぽい雰囲気だった彩香たちのグループの中で、一人だけ黒髪のおかっぱ頭だった亜貴はどことなく浮いていた)、はっきりと自分の意見を主張しない気の弱い性格の所為で、クラスでのポジションも低い。
それでも、彩香のグループに入っていたので、亜貴はイジメられる事もなかった。彩香を中心に、各クラスを代表するような性悪連中が集まり、彩香のグループはそれなりに大きなものだった。しかし反発すればグループから即追放、イジメも繰り返す彩香たちのグループに関わろうとする者は少ない。多分、学年で一番厄介ごとの多いグループだ(ある意味
植野奈月(女子2番)率いる学年一のヤンキー系グループよりも質が悪い)。
グループ内の人間関係は分刻みにころころと変わる。2限目の休み時間には仲良く話していた二人が、3限目の休み時間になると突然いがみ合ったりしている。それぞれが互いに自己中心的な考えをぶつけ合う為、揉め事は日常茶飯事だった。それも口喧嘩から殴り合いまで様々だ。
イジメについては大抵、学年でも“嫌われもの”の代名詞のような生徒(このクラスで言えば、
東城由里子(女子11番)松岡慎也(男子15番)だろう)を標的にしたもので済まされていたのだが、彩香たちが行った一番規模の大きいイジメは、中学二年の後半から続いていた鬼頭幸乃(女子4番)に対するものだろう。
幸乃は明るくて友達も多く、どちらかというと
高橋奈央(女子9番)のような、いつも人の輪の中心に居る人気者のタイプだ。リスクの大きい事はしない彩香たちのグループが標的にするような人間では無かった筈だった。

亜貴は、決して幸乃の事を憎んでいた訳ではない。
幸乃はグループの他のメンバーのように、亜貴をパシリとして扱う事はしなかったし、亜貴がグループから追放されないようにと、嫌々ながらも彩香たちと共に行っていた万引きにも幸乃は手を出さなかった。「あたしは、やらない。欲しいものは自分のお金で買う」。性悪女どもを前にそう言い放った幸乃に、亜貴は尊敬の念すら抱いた事もある。
しかし、そんな幸乃が気に入らなかったのか――それは、始まってしまった。幸乃はグループから追放され、2年の頃はクラスでも目立つ存在だった彩香たちの意向にクラスメート達は自然と従い、幸乃はひとりになった。そうして、陰でのイジメも始まった。
彩香たちにとっては、それはとても楽しい遊びだったのかもしれない。グループのメンバー達はその残酷な遊びにハマり、時間と共にそれはどんどんエスカレートしていった。勿論、亜貴もそれに参加していた。しかし亜貴は、他の者たちのようにそれを楽しんでいた訳ではないし、罪悪感も少しあった。

でも。
でも、嫌われたくないんだもん。
あやかちゃんだけには、嫌われたくなかったんだもん。

亜貴は、彩香の事が好きだった。同性愛ではなく、友達として、人間として慕っていたのだ。中学に入ってから、彩香との付き合いはあった。その頃から、我侭な姫とその下僕的な存在として、二人はとりあえず、仲良くやっていたのだ。
しかし、亜貴の心に変化が起きたのは中学二年に上がってすぐ、テニス部の後輩から小さな嫌がらせを受けていた時だった。
亜貴は本来の気の弱さとクラブメートたちからもパシリのように扱われている為か、後輩からも少し馬鹿にされたような態度を取られていたのだが、練習の際に後輩の小さな間違いをやんわりと指摘したところ、その後輩の「なんだよ、雑魚のくせに」という気持ちに火が着いてしまったのだ。
後輩にすら雑魚扱いされている辺り、亜貴らしいと言えば亜貴らしいのだが、彩香のグループに守られているお陰でイジメられる事に対する免疫がなかった亜貴はひどく傷付いていた。そんな時、彩香がひとこと言ったのだ。
「元気出しなよー。そんな奴、あやかが注意してあげるからさぁ」
普段の彩香の人柄から考えれば、それは亜貴をイジメから救う事に何かの見返りを求めているか、ほんの気紛れの遊び心だとしか思えなかった(実際、彩香は亜貴を救えば何かお礼を貰える、という打算的な考えのもとにその言葉を口にしたのだ。そうでなければ、彩香が人を助けるような事をする訳がない)。
しかし、亜貴は単純に“あやかちゃんはあたしを守ってくれてる”と受け取った。
だから、その日の帰りには彩香にアイスクリームを奢ったし、週末には4900円の服も買って彩香にお礼として渡した。その日以来、亜貴は彩香に絶対忠誠を誓い、彩香の命令にも意向にも、逆らう事は絶対にしなくなった。
あたしなんかと友達になってくれるのはあやかちゃんだけ。だからあやかちゃんはすっごく良い人。みんなは色々言ってるけど、本当のあやかちゃんはすごく優しくて良い人だもん。あやかちゃんにだけは、嫌われたくないんだもん。
哀れな下僕は本当はとても我侭な姫を、偶像の心優しい姫に造り上げ崇拝していた。

地図上ではF=03、丁度林を抜けて浜辺に出た所だった。木造の小屋のような建物の前(地図で確認したところ、雑貨屋のようだった)、
安池文彦(男子18番)は立ち尽くしていた。
足元には横倒しになった自転車が砂に少し埋もれ、その隣に、眠っているかのように
沖和哉(男子4番)と浜野恵梨が横になっていた。それでも、二人の制服にべっとりと付いた赤い血、そしてその体に空いている風穴が、二人がただ眠っているだけではないという事を証明している。何故、恵梨がここに居るのか――小さな疑問もあったのだが、文彦にはそこまで考える余裕はなかった。
間に合わなかった。救けられなかった。
文彦の口元が歪み、自嘲的な笑みを作った。ふっと溜め息を吐き、文彦はまた、拳で自分の額を軽く叩いた。
何やってんだ、俺。勝手に飛び出してきて、大野に迷惑かけて、おっきーも救けられなくて――
どうにも悔しく、情けない気持ちになって、文彦はぎゅっと唇を噛んだ。噛み切ってしまったのか口の中に血の味が広がったが、そんな事は気にならなかった。
足元の和哉の死体(だとは認めたくなかったが、認めるしかないだろう)から視線を外し、文彦は広がる黒い海を見た。月明かりの下、遠くに黒い影が見える。多分それは、この辺り周辺の島なのだろう。
更に視線をずらした。黒い海から、月明かりに照らされて幾分白く見える砂浜の上を文彦の視線が辿る。ふいに、文彦の視線が止まった。 白い砂浜の上、少し遠くに何やら黒いものが転がっている。かなり遠くだったが――違いない。荷物だか、木材だかよくわからなかったが、確かに何かがあった。

文彦はすっと通った細めの眉をひそめ、そちらに足を進めた。
幾分歩いたところで、“それ”は月明かりに照らされ、正体を見せた。荷物でも、木材でもない。黒っぽい膝上のひだスカートに、微かに見えるセーラー服の、白い線が一本入った襟。間違いなく、人間だった。
それを認識すると、文彦は更に足を進めた。――誰か、倒れてる!
短めのスカートから伸びた脚から更に視線を動かし、脹脛の辺りのルーズソックスを越え、その足先を文彦の目が捉えた。どういう訳か片方しかなかったのだが、遠目にも目立つ明るいオレンジ色のスニーカーだ。見覚えのあるそれに、文彦は目を見張った。
オレンジ色のスニーカー、雑貨屋。
雑貨屋――輸入雑貨屋? オレンジ色の、スニーカー。輸入雑貨。煙草。ラッキー?  LUCKY STRIKE。
テンポの悪い連想ゲームのように、単語が文彦の頭の中を巡った。一巡りもする頃には、次に続く言葉が解った。
「――長谷川?」
文彦は呟き、急ぎ足で駆け出した。“それ”のすぐ前まで駆け寄り、屈んで顔を覗き込む。――連想ゲーム、大正解だ。畜生。
砂浜に体を投げ出し、仰向けに横たわっているのは、間違いなく
長谷川美歩(女子12番)だった。



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