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ふいに、がさっという物音が
森下亜貴(女子17番)の耳に届き、考え込んでいた亜貴を半分ほど現実に引き戻した。
誰か、来た…のかな?
亜貴は震える手で、支給武器の安全ピン(それも10個入りパックだった)を取り出し、ひとつを出して針を立てた。こんなものでどうにかできる訳ではなかったが、何かを手にしていないと安心できなかった。
やだなぁ…男子だったら、どうしよう――武井くんとか、沖くんだったら、まだ大丈夫なんだけど――他の男の子なんて、絶対ダメ。怖いもん。喋った事も、ないし――
倉庫の影から体を半分ほど覗かせて、亜貴は周りを見渡した。数メートル程離れたところに、小さく人影が見える。
「…だれ?」
ふと呟いてしまってから、亜貴はばっと自分の口を塞いだ。思った事がそのまま口に出てしまったようだ。しかし、今更塞いだところで口に出してしまったものは仕方ない。人影は動きを止め、きょろきょろと辺りを見回している。
ど、どうしよう――
亜貴はまた倉庫の影に隠れようと身を翻した。その時、足元のじめじめと湿った土が、ずっと小さく音を立てた。
小さい音の筈なのに、張り詰めた空気の漂うその場にはやたらと大きく響き、亜貴の手の平には急激に汗が噴き出した。
――どうしよう、どうしよう…助けて、えりちゃん、あやかちゃん…あやかちゃん、助けて。

「あ…き?」
ふいに聞こえた声に、亜貴は驚いて倉庫の影から飛び出した。
甘ったるい感じのする、アイドルの作り声のような声(以前は、
迫田美古都(女子7番)などが“アニメ声”と馬鹿にしていたのを覚えている。亜貴は複雑な思いで、友人に対して度々吐かれるそんな陰口を聴いていたのだが)。聞き間違える筈がない。
「あやか、ちゃん…?」
月明かりで幾分見えにくかったが、こちらへ歩み寄ってくる人影は間違いなく
久米彩香(女子5番)だった。泣いているのだろうか、時折その白い手を顔の辺りに当て、小さく嗚咽を漏らしている。
「あやかちゃん、あたし、亜貴だよ! 良かったぁ、あたし、怖くて…」
亜貴は見慣れたその細い脚、ゆるくウェーブのかかった髪にすっかり安堵して、そちらへ駆け寄った。良かったぁ…ほんとに、良かった。こんな所で、あやかちゃんに逢えるなんて…
「うるさい!」
突然、彩香の細腕が強く亜貴を突き飛ばした。訳がわからないまま、亜貴の体は地面に崩れた。
あやかちゃん? ――今、あたしを突き飛ばしたの? ああ、ごめんなさい――あたし、またドジって、あやかちゃんを、怒らせちゃった…のかな? ごめんなさい、あやかちゃん、怒らないで――お願い、あやか、ちゃん、なんでも、買ってあげるから――怒らないで、お願い。
焦りと突然のショックで、亜貴の頭の中にはぐるぐると言葉が巡った。あやかちゃん、お願いだから怒らないで、今月のお小遣い入ったら、また、色々買ってあげるから――
縋るように自分を見上げる亜貴を、彩香は涙に濡れた瞳で鋭く睨みつける。
「もーいい! 亜貴も恵梨もナオちゃんも、みんなみんな死んじゃえばいいんだよぅ! あんたなんかとっとと死んじゃえ!」
吐き捨てるように彩香は言い、爪先で亜貴の腹を蹴り付けた。
「あ…」
亜貴の中で、何かががらがらと音を立てて崩れた。死ンジャエ、アンタナンカ、トットト、死ンジャエ――死、死ンジャエ…ミンナミンナ、死ンジャエ。

「あやか…ちゃん」
亜貴はそっと身を起こし、ゆるゆると顔を上げた。虚ろな目で彩香を見上げると、彩香はまだ鋭い目付きで自分を睨んでいる。
「あやかちゃん、おねがい、なんでも、なんでも買ってあげるからぁ…ねぇ、こないだ欲しがってたピアスも、新しい服も、買ってあげるよ? お金、お金だったら、大丈夫…足りない分は、また、ママのお財布から盗んでくるから、ねぇ…あやかちゃん」
彩香の短いスカートの裾を縋り付くように掴み、亜貴は彩香を見上げた。
自分を見る、焦点の合っていない亜貴の瞳がひどく不気味だった。彩香は小さく後退り、突然降って涌いたケダモノを見るような目で、亜貴を睨み返した。
「な、なによぉ…キモチ悪い、寄んじゃねーよぅ」
凄んでみせたつもりだったが、彩香の甘ったるい声には恐ろしく似合っていない。亜貴は更に、縋るように彩香のスカートに掴みかかった。
「お願い…なんでも買ってあげるからぁ…あたしの、こと、嫌いにならないで…ねぇ、あやかちゃん、なんでも、なんでも買ってあげる、なんでも言う事聞くから、だから、あたしを――」

見捨てないで。
そう続ける筈だった亜貴の言葉が、ぱん、という銃声に遮られた。
彩香はその音にびくっと身を震わせ、それから、スカートを引っ張っていた力が無くなっている事に気付き、その足元に視線を動かした。
俯せに地面に倒れこんだ、セーラー服。少し長めのスカート、ワンポイントの刺繍が入った白いソックス。間違いなく、それは森下亜貴の筈なのだが――亜貴のおかっぱ頭はぐちゃぐちゃになり、その頭部から飛び散った脳漿が、彩香のルーズソックスにも付いていた。

「相変わらず酷いオンナだね」
ふいに、後方から耳に届いた嘲笑うかのような声に彩香はもう一度体を震わせ、すぐに振り返ろうと頭を動かしかけた。動かしかけたその時、彩香はがつっという鈍い音と共に、頭部に強い衝撃を受けた。
なになになに――何が、誰が……彩香の視界がぐらりと揺れ、そのまま、彩香は意識を失った。

「意外と当たっちゃうんだねー。森下の方にも、もうちょっと痛い思いしてもらいたかったんだけど」
彩香のすぐ後ろに忍び寄っていた彼女は右手に握ったベレッタM92FSを下げ、小さくひとりごちた。
それから足元に倒れ込んでいる彩香の脇腹をスニーカーの爪先で小突き、彼女はくすっと笑い声を上げる。不思議な事に、顔は全くの無表情だったのだが。
「探したよー? く・め・あ・や・か・ちゃん?」
穏やかな口調とは全く裏腹に、冷めきった瞳で彩香を見下ろし、
遠藤茉莉子(女子3番)はもう一度くすっと笑い声を洩らした。



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