■4

――あれ? いない…
木の陰からひょこっと、毛先がくるっと跳ねた二つ結びの頭が覗いた。
水谷桃実(女子16番)だ。
理紗がいない…なんで? 行っちゃったのかな。

桃実はもう一度、辺りを見回した。だが、
穂積理紗(女子15番)の姿は何処にもなかった。やっぱり先に行っちゃったんだ、仕方ない。桃実は肩に掛けたデイパックのストラップを、きゅっと握った。誰かいないかなぁ。1人じゃ不安だし…
次に出てくるのは
宮田雄祐(男子17番)だった。ダメだ、まともな会話すらもした事が無い(まして男子だ、絶対ムリ)。
しかし、桃実には殺し合いの最中にたった一人で行動できるような度胸なんてなかったし、これと言った特技がある訳でもない。それに何より、支給武器は
定規セット(ビニールのケースに入った三角定規、分度器、コンパスの3点セットだ)だった。こんなもので人を殺せる筈がない。とりあえず、この中で一番ましなコンパスだけは桃実の右手にしっかり握られていたが。

――どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう…。

長距離走の直後のように、心臓がどくどく鳴った。手の平は、汗でべたべただった。怖かった。どこに“乗った”クラスメートが潜んでいるかわからないのだ。そして、自分がいつ死ぬかもわからない。
先程あの教室で見た、
鬼頭幸乃(女子4番)の死体。あれは――桃実が知っている幸乃ではなかった。やだ、あんな風になるのは絶対嫌。怖い、怖い、怖いよぅ。早く、家に帰ってお姉ちゃんと仲直りして、一緒にイチゴのアイスを食べたい(きっと、水谷家の冷蔵庫には、まだ封を開けていないハーゲンダッツのストロベリーが2つ、スプーン付きで並んでいるはずだ)。
不意に、それは聞こえた。右の方の茂みが、がさっという音と共に揺れて、明るい金色に染めた髪がちらっと見えた。桃実は、その手入れをきちんとした金髪に、覚えがあった。――理紗?

「理紗!? あたし、桃実! 桃実だよ!!」
桃実の、緊張して張りつめていた頬が緩んだ。親友に会えた嬉しさと、独りぼっちの不安から解放された安堵とで、目には涙が滲んだ。
大丈夫、理紗だったら絶対大丈夫。まだ1年足らずの付き合いだったが、桃実には自分と理紗との友情に自信があった。殺し合いなんてする子じゃない。桃実は確信していた。

頬をほころばせたまま、右の茂みを覗いた。そして桃実は、妙な事に気が付いた。
理紗の金髪とは別に、もう一つ白い半袖シャツが見える。それを着て仰向けに倒れていた男は、
佐々木弘志(男子7番)だった。目は驚いた様に見開かれ、黒眼は下の方に寄り、口からは赤い筋が一本、頬に流れていた。そして、その下――喉には、鋭く尖った包丁の様なものが刺さっていた。
そしてその隣、穂積理紗は座り込み、弘志のものだと思われるデイパックのジッパーを開き、中をごそごそと探っていた。それは、桃実にとってとても奇妙なものに見えた。
――何、コレ? 殺ったの? 理紗が? まさか。嘘。そんな、そんな訳、ないよ、ね?
「…桃実」
理紗は手を動かしたまま、独り言の様に呟いた。
「理紗…これ、佐々木くん…誰が?」
口の中がからからに乾いていた。言いたい事は山ほどあったのに、これだけ言うのが精一杯だった。
理紗はそれには答えず、弘志のものだった水のボトルとパンを自分のデイパックに移した。そして腰の辺り、スカートとベルトの間に差した軍用ナイフを鞘から出した。それは、もう日も暮れて辺りが随分暗い中でも、白い光を放っていた。

「――さっさと行きィや、桃実。死にたないんやったら」

何も解らなかった。解りたくもなかった。ただ、何か不思議な物を眺める子供の様に、桃実は突き付けられたナイフの先、眩しい光をぼぅっと見ていた。
「聞こえんかったんか、行けっちゅーてんねん」
理紗はまだ、背を向けていた。
「何コレ…冗談? 面白くないよ」
精一杯口にしたが、声が震えていた。腕も足もがくがく震えていた。しかし、次の一言だけはしっかり言った。

「一緒に、行こう」

ナイフを桃実に向けたまま、理紗がゆっくりと振り返った。その顔は、子供をなだめる母親の表情をしていた。

「…桃実。うちはな、このゲームに乗る事にしたんや。まだ、死にたないし――だから、桃実とは行けへん」
手の平に、また汗がじっとりと滲んでいた。
「それでも行かへんかったら――」
理紗の金髪がさっと揺れた。次の瞬間、ナイフは桃実の喉に触れる寸前まで突き付けられていた。

「今、殺すだけや」
桃実は知らず知らず、じりじりと後退りしていた。信じられなかった。理紗が――ちょっと怖そう、なんてみんなは言ってるけど、本当はすごくすごく優しい理紗が、あたしを――殺そうと、してる? 恐怖と悲しみで幾分潤んでいた瞳から、涙がこぼれた。
なんで? なんで殺すの? 殺したの? 佐々木くん殺したの? 行かなきゃ、殺す? ゲーム? 乗る? 死にたく、ない? 死にたくない。
「あ…」
ほとんど、無意識だった。桃実の唇から、声が漏れた。
「あ…あたしだって、死にたく…ない」
瞬間、桃実はくるっと踵を返して走り出した。

行かなきゃ、殺される、理紗に、殺される、死んじゃう、やだ、死にたくない!



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