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もう、どれくらい離れただろうか。地図上ではF=07に位置する林の中に
水谷桃実(女子16番)は居たのだか、当の桃実にはそこがどこにあるかなどという事はどうでもよかった。桃実は、木陰に身を潜めてぶるぶる震えていた。
なんで? どうしてあたしを殺そうとしたの?
疑問と、言い知れぬ恐怖が桃実の頭の中をいっぱいにした。なんで? なんで? なんで? なんで? ――わからない。桃実には、何もわからなかった。自分にナイフを向けた
穂積理紗(女子15番)と自分の友情は、結局そんなものだったのだろうか。
「水谷?」
突然、声と共に黒いズボン(男だ!)が桃実の視界に入った。体がびくっと震えるのが分かった。――あたしを殺しにきたんだ。殺される。殺される殺される。やだ、死にたくないよぉ!

右手に握りっぱなしだったコンパスを、黒いズボンに投げつけた。ポケットにしまっておいた定規も、ハンカチも手鏡もリップクリームも全部、手当たり次第投げた。投げるものがなくなると、桃実は顔を伏せて頭を手で庇った(ドッチボールでコートの隅に追いやられた時のどんくさいポーズだ)。
ああ、来る。ボールが。あたしは――――死ぬんだ。

「おい、水谷何やってんだよ」
その声は、少し笑いを含んでいた。そして、桃実が恐る恐る顔を上げた頃には――やっと、気付いていた。桃実は、自分の瞳が潤んでいくのがわかった。神様! これ、夢じゃないよね?

その声は、桃実が2年の頃から好きだった
荒川幸太(男子1番)のものだった。
「こ…こーたぁ……」
桃実の瞳から、ぽろぽろ涙がこぼれた。肩も足も、すっかり力が抜けて、桃実は木にもたれかかったまま、座り込んでしまった。

「水谷!? 何で泣いてんだ?」
桃実の今までの恐怖など露ほども知らない幸太は、今朝方ポケットに急いで突っ込んだくしゃくしゃのハンカチを取り出し、桃実に差し出した。

「ずーっと…怖くって…理紗だって、理紗だって訳分かんないし…」
しばらく泣いてから、桃実は幸太のハンカチで涙を拭い、それを返した。
「…穂積? 穂積とケンカでもした?」
桃実は小さくしゃくり上げ、けほっと咳き込んでから、ようやく頷いた。

「理紗、ゲームに乗るとか言ってて…いつもと、全然違ってた…ナイフ、突きつけられて、あたし…あたし、怖くて逃げちゃって」
桃実も、先程よりは幾分落ち着いた様子で話し出した。
「あたし達って、結構仲良かったって思ってたんだけどな。理紗にとって、あたしってそんなもんだったのかなぁ………」
桃実は膝に顔を伏せた。涙がまたこぼれていた。やだなぁ、あたし。好きな人の前でびぃびぃ泣いちゃって。
理紗に、笑われちゃいそう。
ふいに、桃実は頭に何かが触れるのを感じた。少し顔を上げると、幸太が頭を軽く撫でてくれていた。
「泣きたかったら、泣いとけ」
幸太が笑って、桃実の目にはまた涙が込み上げていた。

「なぁ、水谷」
幸太が、ふと口を開いた。

「水谷が怖がってんのと同じくらい、穂積も死にたくねぇんだと思うな、俺は」
桃実は黙って聞いていた。

「鬼頭だって――死にたく、なかったんだよなぁ」

幸太が、ぽつりと呟いた。その声は、少し、ほんの少しだけ震えていた。



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