■6

手元の腕時計にちらっと目を落として、
永田泰(男子11番)は目にかかる鬱陶しい前髪を振り払った。7時25分(水谷桃実が荒川幸太と合流する少し前ということになる)。あと20分で、今自分が居るE=05は禁止エリアになってしまう。
早く、アイツと合流しなくちゃな。そしたら――

泰のズボンのポケットは、あちこちがボコボコ出っ張っていた(自分の支給武器の、
手榴弾が入っている所為だ)。そのポケットを擦って、泰はにやりと笑った。
そしたら、この手榴弾をデイパックの奥に見つけたときからずっと考えていた作戦を実行するんだ。タイムリミットは、あと20分。早くアイツを見つけなきゃ。
泰は、焦りの所為とは違う緊張感に酔いしれていた。泰の考えた作戦――それは、このE=05が禁止エリアになる前に、分校にこの手榴弾を投げ込み爆破して逃げる、というものだ。まるでそれは、泰がいつも好んでやっているTVゲームや、毎週欠かさず見ているアニメの中での話のようだった。
最高だ。これでいつも、自分のことをオタクだとかキモイだとか言ってバカにするクラスの連中に、自分がどれだけ素晴らしい人間なのか思い知らせてやれる。そして、本当にバカなクラスメートどもは放っておいて、今、自分が探している
畑野義基(男子12番)とふたりだけでこの下らない殺し合いから逃げるんだ。他の奴等なんて、死ぬなり何なりどうにでもなればいい。
泰はまた、自分の口元が歪むのを感じた。
――完璧だ、俺の作戦は。

腕時計の針は、もう7時32分を指していた。
もう、義基は遠くへ行ってしまったのだろうか? 泰と義基は出席番号が近かったので、分校の近くに隠れて待っていようと思ったのだが、泰が潜りこんだ茂みに
佐々木弘志(男子7番)の死体が転がっているのを見て、泰はとても怖くなり逃げてしまったのだ。そしてやっと気分が落ち着き、引き返してきて義基を探している。――いや、そんなはずは絶対ない。あの義基が、俺を待ってないはずがないんだ。泰は浮かんだ嫌な考えを打ち消した。絶対、見つかる。
泰はとても頭の悪い男だったので、自分の都合が悪くなる事は絶対信じなかった。考える事すらしようとしなかった。全ては、自分の思い通りになる。絶対的に、そう信じていた。

だから気付いていなかった。自分の立てた脱出方法についても、肝心の“島から脱出する手段”が抜けている事、このまま義基と合流する事ができなかった場合、自分がどうなるかという事も全く考えていなかった(これで本当にプログラムから脱出できたら、それはテレビ番組のドッキリだとしか思えない。少なくとも、普通の人間にとっては)。
「だっ、誰!?」
突然、背後から泰の耳に声が届いた。とても聞きなれた声――それは、今、まさに彼が探していた畑野義基の声だった。

「義基! 義基か?」
泰は細い目を見開いた。見つかった! これで俺たちは、とっとと家に帰ってのんびりTVゲームの続きができるんだ。あぁ、まだあのゲーム、クリアしてなかったんだっけ。

「俺、泰だよ! 聞けよ、島から逃げる方法、思いついたんだ」
興奮して一気に喋る泰の視界に、見慣れた小柄な体、怯えて青白くなった顔が映った。
「ゆっ、ゆんち? 良かった、ゆんちじゃん」
義基はまだ顔は青いままだったものの、幾分ほっとした様子で泰に駆け寄った。

「なぁ義基、俺、島から逃げる方法思いついたんだ。聞いてくれよ」
泰は声を弾ませて“作戦”を義基に話していたが、その一方で妙な事に気がついていた。義基はそれを途中までにこにこした顔で聞いていたが、話が進むにつれて顔が曇っているのだ。しかし泰は、その事は考えない事にしておいた。彼は自分にとって都合が悪い事は考えない男だったので。


「あの…さぁ」

“作戦”について一通り話し終え、少し黙っていた義基が突然口を開いた。
「ん? どーした?」
泰は手榴弾をズボンのポケットから引っ張り出し、分校に向かう準備をしていた。

「やめた方が、いいと思うよ」
遠慮がちな声だった(義基はとてもお人好しで、人の意見に反対することなんて滅多にしない男だったので、仲の良い泰に対してでも反対意見を述べることに躊躇したのだろう)。

「――は?」
泰の口が、ぽかんと開いた。泰の頭の中は、大きな疑問符で埋まっていた。
「今、なんつったんだよ? なんでだよ、俺たち、助かるんだぜ?」

「えっと…俺の武器、これだったんだけど」
義基はポケットから
探知機を取り出して、泰の方に向けた。スクリーンには2つの点が表示されていた。
「この2つの点が、俺とゆんち。で、俺たちが今いるエリアは、E=05の隅っこ。今、7時35分で…ここが禁止エリアになるまであと10分、分校まで行くのに間に合わなかったら、首輪が爆発して死んじゃうんだよ? それに…逃げたとしても、これからずっと逃亡生活だよ?」

基がためらいがちに言うのを聞きながら、泰はいらついていた。全部、筋が通っている。それも、泰にとって都合が悪くなることばかりだった。

「大丈夫だよ。ダッシュすれば間に合うし、逃亡生活なんて毎日スリルの連続で、楽しいじゃねーか。一緒に逃げよーぜ?」
泰はいらつきを抑えて、義基を宥めた。全く、俺の言う事聞いてりゃいいのに。
しかし義基の方はと言えば、「ん…」と口篭りながら俯くばかりだ。
「な?」
もう一度、少し強い調子で泰は言った。
「………うーん、でも……」
その曖昧な返事に、泰のいらつきは頂点に達した。
「何なんだよお前ー。俺がせっかく、脱出作戦にお前を誘ってやってんのに。態度でけぇよ。黙って俺の言う事聞いてればいいんだよ、お前は」
泰はぶつぶつ文句を言いながら、片手で前髪を弄った。機嫌が悪い時に自然に出てしまう癖だった。しかし、義基は珍しいことに謝りもせず(普通の人間の場合なら謝らないのが当然なのだが、お人好しの義基にしてみれば普段は謝るのが当然なのだ)、黙って俯いていた。
「オイ、なんか言えよ、ウゼぇな」
「……うるさい」
義基はぼそっと言ったが、泰には聞き取れなかった。
「はぁ? 聞こえねぇよ、もっとでけぇ声で…」
「うるさい!」
義基は怒鳴って、探知機を泰に投げつけた。
「何だよ、何逆ギレしてんだよ」
泰は怒った口調を続けていたが、本当は驚いていた。泰が何をしても怒ったことがなく、いつもにこにこ笑って許してくれた義基が初めて自分に敵意を示している。
「なんで、なんで俺がそんなこと言われなくちゃいけないんだよ! お、お、俺…おまお前のせいで…」
義基はぶるぶる震えていた。
「俺、嫌だったのに…ゆんちがくっついてくるから、ク、クラスの人にもホモとか言われちゃってさぁ…」
そうだった。泰がオタクだった所為か、クラスメートが自分と距離を置いている中で、義基だけは自分と親友のように接してくれた。それが嬉しかった泰は、義基とやたら親密にしたがっていたのだ。
「そ、そ、そのせいで、遠藤にも笑われちゃったしさぁ…」
半泣きに近い声だった。泰は少し驚いた。――コイツ、
遠藤茉莉子(女子3番)のこと好きだったのか。まぁ、釣り合ってないけどな。
「ゆ、ゆんちが居なきゃ、俺がキモいとかウザいとか、い、言われずに済んだんじゃん! 全部、ゆんちのせいだよ!! 迷惑なんだよ…お前の存在、迷惑だよ!!」

泰は、妙に冷めた目で、涙目でぶるぶる震えている義基を見ていた。
何だコイツ、やたら仲良くしてくれた割には、やっぱり俺より遠藤とか、他の連中の方が大事だったって訳か。

バカバカしい。

「もーいいよ、じゃあ好きにしろよ。勝手にどこでも言って、遠藤と感動の再会でもしてろよ」

泰はくるっと踵を返して走り出した。

「…あ……ま、待ってよ!」
義基は遠ざかっていく泰の背中を見て、我に返った。――何やってんだ俺! ゆんちの存在、今まで一度も迷惑だなんて思ったことなかったじゃん。そうだ、こんな状況で、ついアタマおかしくなってたんだ。謝らなきゃ。ゆんちに、謝らなきゃ。
義基は駆け出した。義基は体育が苦手で、特に足は遅かったのだが、それでも精一杯泰を追いかけた。
その所為で、義基は気付いていなかったのだ。その首に巻かれた首輪が、警告音を発している事に。
「ご、ごめ、ごめん! ゆんち、俺、俺そんなつもりじゃ…」
義基の声を無視して、泰は走り続けていた。――信じてたのに。この、裏切り――
どん、という鈍い音が泰の思考を遮った。

――何だ?

泰は足を止め、ゆっくり振り返った。
そこには、かつての親友――いや、まだ親友だったのかもしれない、ついさっきまでは――が、うつ伏せに倒れていた。その首の下には、月明かりに反射して黒っぽく光る水溜りができていた。
「義基…? おい、義基…」
泰は物言わぬ親友に駆け寄ろうとして、すぐ足を止めた。
まさか、まさか、まさかこれは――――

泰は手首に巻いた、支給の腕時計に恐る恐る目を落とした。

7時45分、30秒。



残り35人

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