■42

「12月8日、幸乃の誕生日――あたし、見てたんだから」
遠藤茉莉子(女子3番)の言葉で、久米彩香(女子5番)の顔が痛みと驚愕に歪む。その苦痛に満ちた表情を冷たく一瞥し、茉莉子は折り畳みナイフを彩香の顔にちらつかせて続けた。
「これ、可愛いでしょ? なっちゃんに、1万5000円で売ってもらった」
持ち手は明るい黄色のプラスチック、赤い星のステッカーまで貼ってある。確かに
植野奈月(女子2番)らしい趣味だったが、可愛らしい見た目とは全く裏腹に切れ味は予想以上だ。茉莉子は彩香の脹脛にぱっくりと開いた傷口を見て、満足そうに小さく頷く。
「なんで、あたしがこんなの買ったかわかる?」
彩香はマスカラの溶け込んだ黒い涙を流しながら、首をぶんぶんと横に振る。
「知らない、それはほんとに知らない」
茉莉子はその様子にくすっと笑い声を上げ、それから続けた。
「今度幸乃があんな事されてたら、あんた達全員刺し殺してやろうと思って。あたし、見ちゃったんだ。あの日偶然、幸乃を公園の裏で見かけて…」

そう、あの日――12月8日のことだった。
折角の誕生日だというのに、
鬼頭幸乃(女子4番)は学校へ来ていなくて。幸乃は同じクラスの久米彩香たちのグループから外され、その頃はクラスで孤立していて、茉莉子の方もなんとなしにそんな雰囲気に気付いていた。
茉莉子はどうにか幸乃がクラスで上手くやっていけるように手伝ってあげたかったのだが、性悪で手の付け様のない彩香たちを説得できる筈もなく、それならせめて幸乃が寂しくないようにと休み時間は彼女のクラスに通い、話し相手になっていたのだ。それでも幸乃は以前のような明るい笑顔を取り戻す事もなく、ときどき寂しげな笑顔を薄く浮かべる程度のもので、茉莉子も幸乃がどうにか元気になってくれないものかと思い悩んでいた。
幸乃に渡そうと買った腕時計にラッピングをして、学校帰りに彼女の家に寄ろうと茉莉子は歩いていた。公園の裏を通り掛かった時、ふいに聞き覚えのある甘ったるい声が聞こえ、茉莉子は植え込みの陰からそっと公園を覗き込んだ。

「ねぇ、喉乾いてない?」
彩香がそう言い、手にしていた缶ジュースを高く持ち上げる。
そこで、茉莉子は大きな瞳を更に大きく見開いた。彩香と同じグループの真衣や奈々美に両脇を押さえ付けられたまま立っているのは、幸乃だったのだ。
ふいに、彩香の缶ジュースが傾けられ、中身が幸乃に頭から振り掛けられる。幸乃はその冷たさに小さく悲鳴を上げて身を硬くし、真衣が甲高い笑い声を上げるのが茉莉子の耳に届いた。彩香は幸乃の腹を蹴り付け、甘ったるい声で言う。「うぜーんだよ、ひとりだけイイコぶりやがって」。

その瞬間、茉莉子はびしょ濡れになったまま俯いている幸乃の映る瞳から、彩香たちの罵声や笑い声の聞こえる耳から、憎悪のこもった何かが体の中に注入されるのを感じた。そのおぞましい程の憎悪は瞳から耳から体中を駆け巡り、足が一瞬、動きかけた。彼女たちの残酷な行為から、幸乃を救けるために。
しかし、次に茉莉子の視界に映ったそれが、足を止めさせた。
俯いたままの幸乃の頬を、ぴしゃぴしゃと叩く鋭い刃物。――ナイフだった。彩香のグループ内でもNo.2の地位を誇る歩美がそのナイフを持ち、幸乃の頬をからかうように叩いている。
歩美は一年の頃まで植野奈月たち、学年で一番危ない遊びをしている(学年で一番の権力を持つ不良といったところだ)ヤンキーのグループに入っていた者だ。そのあまりにも自己中心的過ぎる性格が災いしてグループを抜け、今に至る。抜ける際に入れられたらしき右腕の根性焼きの痕から、彩香のグループの中でも一番危険な女だと噂されていた。
ふいに真衣と奈々美が幸乃の腕を離し、歩美は幸乃の後ろ髪を掴んでナイフで切り捨てた。
「断髪式だよ。うっとーしいから切ってあげる」
幸乃の髪が次々と不揃いに切られ、彩香たちがまた甲高い声で笑う。
次に、彩香の後ろからおずおずと亜貴が歩み出て、持っていた白い小箱から黒っぽい虫のようなものをこわごわと幸乃に投げ付けた。幸乃が小さく悲鳴を上げてそれを避けようとすると、歩美が思いきり幸乃の腹を蹴り上げた。
「テメーなんかゴキブリ以下なんだよ、いっちょまえに怖がってんじゃねーよ!」
歩美の罵声に真衣が「ちょー言えてるぅ」と言い、きゃははは、と笑い声が続く。そのまま地面に崩れ落ちた幸乃の背中を奈々美が蹴り付け、それを合図に亜貴以外の全員が幸乃の体を蹴り出した。

茉莉子は一歩も動くことが出来ず、ただ立ち尽くしていた。
歩美の握るナイフの白い光が目に焼き付いて離れず、手が小さく震えている。あたし、怖がってる? 幸乃があんな事されてるっていうのに、ナイフくらいが怖くて動けないなんて――最低じゃない、あたし…
「チクったら殺すかんね」。彩香の吐き捨てた言葉の後、それはようやく終わった。
彩香たちが去った公園裏で、ひとり赤いパーカーとミニスカートに付いた落ち葉を払い落としている幸乃に、茉莉子はやっと声を掛ける事ができた。偶然にここを通り掛かった事、彼女たちを止めようとしたが歩美のナイフに足がすくんでしまった事、泣きながら全てを幸乃に打ち明けた。
幸乃は普段のような寂しげな笑顔を薄く浮かべ、小さくしゃくり上げる茉莉子に言った。
「いいよ、あたしが茉莉子でも止めたりできない。ナイフなんか持ってたら怖いのは当然だし、茉莉子はこんな事に関わっちゃダメだよ」
ふっきれたように言う幸乃に、茉莉子は涙を拭いながら訊いた。
「なんで幸乃はそんな風に言えるの? 久米たちが憎くないわけ?」
その言葉に、ふいに幸乃の表情が少し曇った。それからまた、どこか寂しげな笑顔に戻った。
「…そりゃ、あたしだってこんな事されて悔しいけど…根っから悪い人なんて、居ない筈だよ? 久米ちゃんたちだって」
幸乃はそれから肺炎をこじらせて、学校に来なくなった。冬休みが終わり三学期になっても、三年に進級してクラスの友達が学校へ来るように勧めても、学校には絶対に来なくなった。
あの日の、幸乃の顔。笑っているのに、どこか寂しげな笑顔。
あいつらのせいだ。あいつらのせいで、幸乃は昔みたいに心から楽しそうに笑わなくなった。そして、あいつらを止められなかったあたしの責任。
――根っから悪い人なんて、居ない筈だよ?――
ごめん、幸乃。
あたし、そこまで優しくなれない。幸乃みたいには思えない。

「違う、あやかじゃないよぅ…歩美だって真衣だって、もっと酷いことしてたもん…あやか、悪くない」
足の痛みに顔を真っ青にして、彩香は必死に弁解した。それを恐ろしく冷たい目で見下ろし、茉莉子は胸ポケットから安全ピン(
森下亜貴(女子17番)の支給武器だったものだ)を一本取り出した。
「言い訳だったら地獄で言って」
茉莉子はリボンで縛った彩香の白い手を掴み、人差し指に安全ピンを突き立てる。彩香が悲鳴を上げたが、茉莉子は構わずもう一本の安全ピンを取り出し、今度は彩香の中指を掴んだ。
「やっ、やめてよぉ…」
彩香の哀願するような声を無視し、茉莉子はその細い指の上、きついピンクのマニキュアを塗った桜貝のような爪と指の間に針を差し込んだ。
「痛っ! や、やだやだやだぁ!! やめてぇっ!」
濡れた栗色の髪を振り乱して彩香は叫んだ。しかし茉莉子の手は止まらず、そのままずぶっと爪の裏に針を進め、血塗れになった爪をじりじりと剥がした。彩香の指から、血が滴り落ちる。
「あぁっ! あああああああっ、やぁあああっ」
あまりの痛みに泣き叫ぶ彩香を、茉莉子は恐ろしく無表情なままで見下ろしていた。
「いやぁっ…こ…んな、ことして…っ! もぉ、許さないんだからぁ!」
彩香は怒りのこもった目で茉莉子を睨み、叫んだ。茉莉子は折り畳みナイフを彩香の細い腿に突き立て、素早くスカートに差したベレッタM92FSを抜き出した。銃口が彩香の頭部を向き、彩香が悲鳴を飲み込む。
「許さない…? ざけた真似もいいかげんにして。あんたが存在してる事自体、あたしにとっては許されない事なの。あんたたちが幸乃の笑顔を奪ったんじゃない。それに…あんたたちを止められなかった、あたしのせいだね」
吐き捨てるように言い、茉莉子は彩香に一歩、歩み寄った。
「あんたを殺して、あたしも死ぬ。それで全部おしまい。やっと幸乃に顔向けられる」
彩香の体にぶるぶると震えが伝わり、この事態を否定するように彩香は頭を振った。
――やだ、やだやだやだやだやだ! なんであやかがこんなトコで死ななきゃいけないの、あやかのせいじゃない、あやかのせいじゃないもん…
トリガーに掛けられた茉莉子の細い指に、すっと力が込められる。

「まりちぃ!」
ふいに、暗い倉庫の中に声が響き渡る。はっとして茉莉子は指の力を抜き、後ろを振り返った。彩香も目を見張っている。
「遠藤、何してんだよ」
倉庫の入り口の辺りに見える、二つの影。
息を切らして茉莉子に歩み寄るその影、毛先がくるっと跳ねた二つ結びと男にしては幾分小さい体は、
水谷桃実(女子16番)荒川幸太(男子1番)だった。



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