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「桃ちゃん…幸太?」
遠藤茉莉子(女子3番)はすっと通った眉を持ち上げて、二つの影に視線を向けた。
「何、してんの…まりちぃ」
影のひとつ――
水谷桃実(女子16番)はよほど急いで来たのだろうか、息を切らしながら茉莉子に言った。
もうひとつの影、
荒川幸太(男子1番)は複雑な表情で、茉莉子とその足元で縛られている久米彩香(女子5番)に視線を往復させている。

「復讐、ってトコかな。こいつが幸乃に酷い事したから。死んで当然なんじゃない?」
足元の彩香を冷たい目で睨み、茉莉子は淡々と言った。美しいけれど表情のない、その人形のような顔を見て、桃実は思わず息を呑む。しかし幸太は構う事もなく、茉莉子の細い腕を掴んだ。
「何?」
怪訝そうな声で言う茉莉子に一瞬ちらりと視線を向け、幸太は彼女の手に握られたベレッタM92FSを素早く掴み取った。茉莉子が抵抗するように腕に力を込めるが、幸太にしっかりと掴まれているので敵わない。ベレッタはあっさりと茉莉子の手を離れ、コンクリートの地面に落ちた。
「邪魔しないでくれる?」
茉莉子は地面に落ちたベレッタを拾うでもなく、鋭い目付きで幸太を睨み付けた。しかし幸太はそれに動じる事もなく、地面に落ちたベレッタを忌々し気に眺めて言う。
「こんな事して、何になるっつーんだよ。久米殺したって、鬼頭が生き返る訳じゃねーだろ? こんな事して、鬼頭が喜ぶとでも思ってんの?」
「そんなの解ってる」
一言吐き捨て、少し間を置いてから茉莉子は続けた。「…だったら、どうしろって言うの? 幸乃の悔しさとか苦しみとか、誰が晴らすっていうわけ?」
茉莉子は足元で未だにぶるぶる震え、泣きじゃくっている彩香に視線を落とした。
「こいつは何もわかってない。自分が幸乃にどれだけ酷い事をしたか、全然わかってないんだよ。反省もしてないし、罪悪感もない。そーゆう人間だったら、死んで詫びてもらうしかないでしょ?」
背筋が凍りつく程に冷たい眼差しで彩香を睨む茉莉子に、幸太も返す言葉を失った。最早、茉莉子の中にあるのは幸乃への優しい思いと、それと全く逆の彩香への冷たい憎悪だけだ。

「…よく、わかんない…けど」
ふいに、桃実が口を開いた。茉莉子の突き刺すような視線が桃実に移り、少し躊躇いながらも桃実は言った。
「あたし、今までずっと、まりちぃのことすっごく綺麗だって思ってた。いつも優しくて、可愛くて、憧れてた。一年のときとか、ゆきちゃんと一緒に喋ってるまりちぃ、すごく幸せそうで綺麗だった」
桃実は少し唇を噛み締め、「だけど」と続ける。
「…だけど、今のまりちぃは綺麗じゃない。全然、幸せそうじゃないんだもん。すっごく、つらそうだよ」
茉莉子の目を見据えたまま、桃実は言い終えた。桃実の目を見つめ返す茉莉子の視線からは、毒々しい憎悪の色は抜け落ちている。茉莉子は唇を噛んで、桃実から視線を逸らした。
「じゃあ桃ちゃん、幸乃返してくれる?」
言って、茉莉子は強く唇を噛んだ。形の良い唇に薄く血が滲み、口の中に錆っぽい匂いが広がる。
「返してよ。早く、ここに幸乃連れてきてよ! 久米があたしから幸乃を奪ったんじゃない! 返して、あたしの一番の友達、かえして、よぉ…っ」
茉莉子は叫びながら、ゆるく握った拳で桃実の肩を力無く叩いた。噛んだ唇から小さく嗚咽を漏らし、茉莉子は感情のままに泣き崩れる。ずっと冷たいほどの無表情だった彼女に起きた大きな変化に、桃実はただ驚愕した。
「無理だよ」
ふいに、幸太が言った。茉莉子の涙に濡れた大きな瞳が幸太へ向けられる。それを真っ直ぐに見つめかえし、幸太はもう一度、しっかりとした口調で言う。
「無理だ。もう、居ないんだよ。鬼頭は――死んだんだ。返って来ないんだよ。復讐なんて無意味だよ」
胸を締め付けるような痛みに溜め息を吐き、幸太はもう一言言った。
「認めろ」

もう、居ない。死んだ。返って来ない。無意味。復讐。居ない。死んだ。もう、もう、もう――
幸太の言葉が頭を巡り、その一言一言が茉莉子の心に認めたくない事実を突き刺していく。それから逃れようと、茉莉子は大きく頭を振る。

「う…るさい! 認めない、あたしはそんなの絶対認めない!! 無意味なんかじゃないっ!」
頭を抱え込んで、茉莉子は叫んだ。
本当は解っていた。復讐なんて悪意を連鎖させるだけだ。幸乃が最も嫌う種類の行為。
それでも、茉莉子はこの行き場のない怒りと悲しみを心に抱える事が出来なかった。どうしようもないその感情を誰かに向けなければ、気が狂ってしまいそうだった。
だからその感情を憎しみに変え、彩香に向けた。
復讐と名付けて、正当化して。
復讐鬼の仮面を外せば、親友の死を認められずにのたうち回って苦しむ醜い自分が、露になってしまうから。
そんな弱い自分を、認めたくないから。
「嫌…やぁっ! 認めないっ、あたしは間違ってない!」
泣き叫び、茉莉子は美しい黒髪を掻きむしる。認めろ、認めるしかねぇんだよ。幸太が言うのが聞こえ、茉莉子はうずくまって耳を塞ぐ。
しかし塞いだ耳に突然、ぱららららら、と小気味良い音が届き、茉莉子は抱え込んでいた頭を上げて振り返った。

「あっ…ひぁぁぁっ」
もう一度、ぱぱぱ、と銃声が響き、それに彩香の悲鳴が重なる。セーラー服を真っ赤に染めて絶命した彩香から、茉莉子はその虚ろな視線を開け放された倉庫の入り口に移した。



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