■44

濃い、血の匂いが漂う。縛られたままの
久米彩香(女子5番)の体がびくん、と痙攣し、それきり動かなくなった。
体の所々が撃たれた衝撃で爆発しぐちゃぐちゃになっているそれは、既に久米彩香ではなく“ただの塊”として
水谷桃実(女子16番)の瞳に映った。間違いなく、彼女は絶命している。あまりにも突然に起きたそれに、傍らの荒川幸太(男子1番)遠藤茉莉子(女子3番)も言葉を失い、暗い倉庫の中には二つの足音だけが響いていた。

「り…さ?」
少し掠れた、蚊の鳴くような声で桃実は呟く。
「なんや、まだ生きとったん?」
桃実の向ける視線の先、
穂積理紗(女子15番)は構えていたイングラムM11サブマシンガンを降ろして言った。
数歩遅れて、右手に斧を持った
土屋雅弘(男子10番)が彼女の後ろを歩いている。その姿を認め、幸太が眉をひそめた。
「土屋…オマエ、何してんだ?」
その言葉で、雅弘は初めて幸太に気が付いたように彼に視線を向ける。しかしそれは小学校以来の親友に向けるものではなく、まるで街ですれ違った他人に向けるかのような、何の感情も無いものだった。
ふいに理紗が振り返り、雅弘に視線を向ける。雅弘は理紗の目配せに気付くと、幸太から視線を外して彼女を見た。
一瞬だけ、理紗の視線がちらりと茉莉子に向けられた。

次の瞬間に起きた事も、あまりにも突然だった。雅弘は目にも止まらぬ速さで茉莉子の元へ走り、素早く斧を振り上げる。適度な筋肉の付いたたくましい腕に握られた斧に、茉莉子は一瞬目を見開き――
がつっ、ごっ、と気味の悪い音が二回、聞こえた。恐怖に瞑った目を桃実が開くと、そこには“ただの塊”がもうひとつ、増えていた。
「あ…」
幸太は地面に倒れ込んだ茉莉子のぐちゃぐちゃになった頭部を見て、小さく声を漏らした。それから、脳漿のトッピングが付いた斧を握っている雅弘に、ゆっくりと視線を移す。
「土屋…オマエ、何…してんだよ」
雅弘は何も言わず、ひゅっと斧を振って脳漿を払い落とした。ぴちゃっ、と小さく音を立てて、それはコンクリートの地面に飛び散る。
「何してんだって聞いてんだよ! ざけんなテメー、答えろよ!」
罵声と共に雅弘に飛び掛かろうとした幸太に、理紗が素早くイングラムを向ける。それを見た桃実は目を見張り、雅弘の胸倉に掴み掛かった幸太の背中にしがみついた。
「幸太! ダメ、やめてっ!」
桃実の言葉にはっと我に返り、幸太は雅弘のシャツから手を離した。桃実はそっと幸太の背中を離れ、理紗に向き直る。小さく拳を握り、桃実は言った。
「理紗…どーゆうつもり?」
桃実の真剣な眼差しに冷たく視線を返し、理紗は応えた。
「言ったやろ。うち、まだ死にたないねん。だから乗る事にしたんよ」
その言葉に一瞬、桃実の顔が曇る。それを振り切るように唇を噛み、桃実は理紗に歩み寄った。理紗は怪訝そうに眉をひそめた。しかし次の瞬間、左頬に鋭い痛みが走る。桃実は躊躇なく、理紗の頬を殴ったのだ。
「目ぇ覚ましてよ、ばか!」
口の中が切れたのだろうか、錆っぽい味が広がる。続いて右頬にも桃実の平手が叩き付けられ、理紗の金髪がそれに合わせて揺れた。
「ばか、ばかばか! ばかばかばかばか!」
言いながら、桃実は何度も何度も理紗の頬を殴る。理紗は抵抗する事もなく、ただ次々と頬に感じる痛みを堪えた。

『きゃははっ、ほら、理紗ぁ。みーぎ、ひーだり、みーぎ、ひーだり、みーぎ、ひーだり』
みーぎ、ひーだり、みーぎ、ひーだり、みーぎ、ひーだり、みーぎ、ひーだり、みーぎ、ひーだり…
狂った笑みを浮かべながら、自分の頬を殴り続ける彼女。
いつまで続く? いつまで耐えればいい?
心の奥底に沈めておいた筈の記憶が、嫌でも思い浮かぶ。彼女の顔と桃実が重なってしまうのが嫌で、理紗は殴られながらも瞳を閉じた。

ふいに痛みが途切れ、理紗は目を開く。桃実は真っ赤になった手の平で、瞳に溢れる涙を拭っていた。
「ど…して? なんで? みんなを殺してまで、生き残りたいの? おかしい…間違ってるよ、そんな…の」
言い終え、桃実は小さくしゃくり上げた。
口の中に広がる血の匂いに吐き気を覚え、理紗はひどく荒んだ気分でイングラムを桃実に向ける。子供のように泣きじゃくる桃実が、銃身の向こうに見え――理紗は、イングラムを降ろした。
撃てない。撃てる筈がない。
理紗は深い溜め息と共に、吐き捨てるように言った。
「やっぱ邪魔やわ、アンタの存在」
桃実が涙に濡れた頬を拭い、顔を上げた。
「今すぐ消えて、桃実。二度とうちの前に現れんで」
言った理紗は、桃実ですら今までに一度も見た事のない、恐ろしく冷たい瞳をしていて。
「…わかった。勝手にしてよ、もう理紗なんて知んないから。友達でもなんでもない。理紗なんかだいっきらい」
濡れた瞳で理紗を睨み、桃実はおぼつかない足取りで歩き出した。
「水谷? おい……」
幸太が驚愕した表情で、声を掛ける。
桃実はふらりと立ち止まり、ゆっくりと振り返った。理紗の瞳は硝子玉のように冷たく光り、それでもどこか、濁っていた。
視線は、合わなかった。一言だけ、桃実は言った。
「――バイバイ」



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