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荒川幸太(男子1番)は少しの間、立ち尽くしていた。水谷桃実(女子16番)が夢遊病の子供のようにふらふらと倉庫を出、その影が雑木林の前まで行ったところで、やっと我に返った。たった今目の前で起きた、あまりにも非日常な出来事に、自分は衝撃で動く事すらできなかったようだ。
「水谷!」
幸太は足早に倉庫を出ようとするが、ふいに振り返る。そこに立ち尽くしていた
土屋雅弘(男子10番)に鋭い視線を突き刺し、言った。
「土屋。見損なった、テメーは」
雅弘はその言葉で、俯いたまま唇を噛んでいる
穂積理紗(女子15番)から幸太に視線を移した。幸太の刺々しい視線に、雅弘は肩をすくめる。
「何とでも言えよ」
乾いたその声に更に怒りを刺激されたのか、幸太の視線が一層鋭くなる。しかし、どんどん小さくなっていく桃実の影をちらりと眺めると、幸太は「最低だな、オマエ」と吐き捨て、桃実を追って走り出した。

幸太の背中を無言で見送ると、雅弘は俯き加減に立ち尽くしている理紗に視線を向けた。いつも綺麗に背筋を伸ばしているだけに、その姿がひどく痛々しく見える。
ふいに、理紗はふらりと歩き出した。事務的な手付きで、死体の傍に転がるベレッタM92FSと折り畳みナイフ、そして二人分のデイパックを取り、出口へと向かった。しかし、そこで足を止める。
「穂積?」
雅弘が小走りに理紗の後を追い、小さく声を掛ける。理紗は桃実の影が消えていった雑木林の方を少しの間眺め、ふいにそれを振り切るように、桃実たちとは逆の方向へ走り出した。
「おい、穂積? 待てよ」
雅弘が言ったが、理紗は足を止めようとせずそのまま走り続けた。
「――ついて、こんで」
背中を向けたまま、理紗は小さく言った。聞いた事のない、声だった。人込みの中でも聞き取れそうな程によく通る、いつもの穂積理紗の声ではなかった。全く別の人間になってしまったかのような、か細く弱気な声。
それを聞いて、雅弘は更に足を速めた。そんな状態ならば尚更、放ってはおけない。
さほど距離が離れない内に、雅弘は理紗に追い付いた。驚かせないように、軽い力で理紗の細い腕を取る。
「別に…お前のやってる事をどうこう言うつもりはねーし、俺も人の事は言えないけど」
言って、雅弘は自分が手にかけた
遠藤茉莉子(女子3番)の姿を少しだけ思い浮かべた。愛想が良くて優しい、とても感じの良い女の子だった。そして、彼女の美しい顔に思いきり斧を振り降ろした時の、頭蓋骨の折れる生々しい感触が、まだ手に残っている。――殺した。俺が、この手で、殺した。
気味の悪い感触を振り切ろうと、雅弘の手に少し力が込もる。
「だけど、穂積はこれでいいのか?」
その言葉に、理紗は小さく、それでも確かに頷いた。
「…ええねん」
こんでええねん、死にたないもん、こーするしかないやん、生きるって決めたんよ。独り言のように小さく小さく繰り返し、理紗は腕を掴む雅弘の手を振り解く。ぐっと唇を噛み、理紗は早足で歩き出した。
「穂積」
雅弘の呼び止める声が耳に届くと、理紗は足を止め、少しだけ振り返った。
「…ちょい、ひとりにさせて?」
雅弘を真っ直ぐに見据えて言った理紗の視線に、悪意や敵意は無い。それでも彼女の瞳は、何かを強く拒絶するかのように冷たく濁っている。
一体、何なのだろうか。何をそんなに拒絶しているのだろうか――その答えは、まだ雅弘にはわからない。
それでも。それでも、俺は――
「ダメ。それはダメ」
気が付けば、口が先に動いていた。
「なんで?」
理紗は強い真剣な意志を持った目で自分を見る雅弘を、何を考えているのか解らないとでも言いた気に見つめ返す。
ふいに、雅弘は切れ長の瞳をくしゃっと細めて笑った。幸太に向けたひどく無感情な表情でも、つい今まで理紗に向けていた強い意志の宿る視線でもない、教室で仲間とふざけ合っている時のようなあどけない笑顔を浮かべて雅弘は言った。
「言っただろ、一人より二人の方が楽だって。そんなふらふらしたままでひとりにして、勝手に死なれたら俺も困るんだよ」
冗談でも言っているかのような、ごく軽い口調。くるくる変わる表情や口調に、理紗は怪訝そうに眉をひそめる。今までに見た事のない種類の人間だった。何を考えているのか、全く読めない。唯一理紗にも解るのは、雅弘は決して自分に敵意を向けている訳では無い、というところまでだけだ。
「アンタ、ほんっとにわからん奴やな」
怪訝な表情のまま言う理紗に、雅弘は肩をすくめて応える。
「そう難しい顔すんなよ、目障りにならないところに居てやっから。お望みだったら3メートル離れて歩いてやってもいいぞ」
雅弘の幾分戯けた口調に、理紗は苦笑する。
「ん、ええわ。3メートル離れんでも、目障りなんて言ってへんで。ちょい疲れてんねん、休憩してええ?」
「いいよ。俺もちょっと疲れた」
雅弘は小さく伸びをして応え、少しだけ後ろを振り返った。

――『最低だな、オマエ』。
鋭い目付きで吐き捨てた幸太の姿が、小さく頭に浮かぶ。
幸太の、あの目。付き合いの長い雅弘でも珍しく見る、本気で怒った時の目だった。
女の子をゴキブリを叩き潰すかのように殺してみせた雅弘を、幸太は絶対に許してはくれないだろう。荒川幸太とはそういう男だという事を、雅弘は誰よりもよく解っていた。
でも、構わない。
親友もクラスメートも俺の命も、失ってしまってもいい。何も要らない。気持ちが伝わらなくてもいい。何も求めない。
人を傷付けていい理由なんてどこにもない事くらい、解ってる。それでも、最期まで傍に居たい。



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