■46

「えーっ!? それで、安池くん行っちゃったの?」
蝋燭の赤い光が揺れる部屋の中に、
鈴村正義(男子8番)の可愛らしい声変わり前の高い悲鳴が響く。夏バテ気味の玄関先の犬よろしくに机に寝そべった大野達貴(男子3番)が、小さく「おー、行っちまったよ王子の野郎は」と応えた。
G=07に位置する、医者の家だった。王子――こと、
安池文彦(男子18番)が飛び出していってから、もうかなり経っている。正義がようやく目を覚ましたので、彼が眠っている間に起きた事を説明したのだ(と言っても、達貴は「おっきーが撃たれた。植野がやった。危ないんだとさ。んで王子が助太刀。以上!」と言っただけだった。その意味を正義が理解するまでに、少し時間がかかったのだが)。
「でもでもっ、安池くんだって危ないじゃん! まだ帰ってこないし、もしかしたらもう…ダメっ、そんなのやだよー!」
慌ててパニックに陥っている正義を小突き、達貴は声を掛ける。
「落ち着けって、すずちゃん。大丈夫だろ、一応銃持ってったし、王子だし」
「王子だし、とかそーゆう問題じゃなくて!」
「否、ホント多分大丈夫だって」
正義の突っ込みをさらりと流して、達貴はまた机に寝そべった。――大丈夫、大丈夫だろ…多分。
口ではそう言いながらも、正直なところ達貴も不安だった。いくら銃を持っていったとはいえ、他にも同じようなものを支給された生徒も居るだろうし(他のクラスメートが銃を撃つ等という事は想像したくなかったのだが、事実もう11人が死んでいるし、ところどころから銃声も聞こえている)、それに
沖和哉(男子4番)を撃ったらしい植野奈月(女子2番)――彼女については、達貴も色々と噂を聞いている。他校の同じような不良連中と喧嘩をして、既に何人ものヤンキーを病院送りにしているだとか、一年の時に派手な言動に目を付けられて上級生から呼び出しを食らい、その日のうちに呼び出した上級生全員と“仲良し”になっただとか(“仲良し”の意味については深く語るまい)、裏ではやばい事にも首を突っ込んでいるらしいとか(たまに後藤沙織(女子6番)あたりの言動がおかしくなるのもその所為だとか)、例を挙げればきりがない程だ。
それに、担任の
久喜田鞠江についても、半分は奈月の所為だ(当然、残りの半分は達貴たちにも原因がある)。奈月の暴れっぷりは誰にも止められるものではなかったし、正直達貴だって、あのいけ好かない神経質なオンナが奈月によって散々な目に合わされていく様は、まあ――爽快、だった。傍観する事に大した罪悪感もなかったし、3年4組にとって鞠江の存在は“憎むべきもの”か“どうでもいいもの”のどちらかだったのだ。

とにかく、達貴は植野奈月を“危険な人間”と見ていたのだ。
しかし、クラスメートの大半は彼女の事をさほど危険視していないだろう。確かにしている事は危なっかしかったが(丹羽中では有名な暴れん坊だし)、彼女は明るく無邪気な性格の所為か、他のクラスメートともとても仲が良いのだ。
達貴自身も話した事はあるし、確かに少し変わり者だったが違和感は無く、なかなか良い奴だと思った。何よりの魅力は、あの気取らない人懐っこい笑顔だ。あの無垢な子供のような笑顔には、不思議と惹きつけられるものがある。それに、奈月は学校をサボる事も多いというのに圧倒的な存在感があった。ただの“不良学生”としての存在感だけではない、なにか圧倒的なものだ。達貴には上手く説明できないのだが、こういうものを「カリスマ性がある」とでも言うのだろうか。
そこまで考え、達貴はふいに顔を上げる。未だにパニック状態に陥っているらしく頭を抱え「どうしようどうしよう」と可愛らしい声で呟く正義に目をやり、それから何となしに席を立った。見張り窓の前に立ち、外を眺める。窓の外には、まだ文彦の影は見当たらない。
「オイオイ、早く戻って来いよー…」
どうしようもない不安を振り切るように、達貴はゆるく握った拳で小さく窓を叩いて呟いた。――アホ王子、帰ってきたら一発殴ってやんべ。コンチクショー。
深く溜め息を吐き、達貴は重い足取りで椅子に向かう。そのまま椅子を引き、そこに座ろうとした――丁度、その時だった。

かちゃかちゃっ、とドアノブを回す冷たい金属音がその場に響いた。達貴の椅子を引く手が止まり、正義の呟く声も一瞬にして止まる。二人はそのまま、顔を見合わせた。
「…な、なに? だれ? やだやだやだ……」
正義が小さく頭を振って呟く。ふいに、かちゃかちゃ、という音が止まり、今度は小さく、こんこん、と遠慮がちなノック音が聞こえた。
「…あの、えーっと……誰か、居るの?」
ドアの向こうから、少し困惑したような声が聞こえる。もう一度、二人は顔を見合わせた。少し高めの声。男でこんな声を出すのは、このクラスでは目の前に居る正義くらいのものだから――間違い無い。女だ。女の、声だった。
達貴は恐る恐る見張り窓の前に足を進め、そっと金属製の鍵を開き、窓を開けた。そこから顔を覗かせると、声の主であろう者の姿がはっきりと見えた。セーラー服に、膝上の短めのスカート。右耳の上で一つに束ねた、セミロングの黒髪。いつもは彼女らしくすっと伸びた長身を、恐怖と緊張の所為か小さく震わせ、
横井理香子(女子18番)は扉の前に立っていた。
「たっちゃん…?」
見慣れた達貴の姿を認めると、理香子の今にも泣き出しそうな程に青ざめた顔にようやく安堵の色が広がった。
「な、なんだ…横井じゃねーか、ビビらせんなよ」
達貴の方もほっと息を吐き、窓から顔を引っ込めて正義に向き直った。
「すずちゃん、大丈夫だ。横井だよ」
「あ…横井さん? 良かった、横井さんかぁ」
理香子の名前を聞くと、正義も胸をほっと撫で下ろした。確かにまだ多少の不安はあったものの(まあ、自然な事だ。この状況で全く不安を抱かない人間というのも、少し不気味なものだし)、正義も理香子とは普段から交流があったし(というか可愛がられていたし)、加えて担任教師を登校拒否にまで陥れたこの3年4組の学級委員を務めるしっかり者と来れば心強いものだ。
「あたしもびっくりしたんだからー…もう、怖かったんだよ?」
理香子は緊張の所為で、未だにどくどくと鳴っている胸の辺りを抑えた。また、恐怖に顔が緩む。我ながらに情けないよ、だけど本当に怖かったんだもん。
「らしくねーカオすんなよ、学級委員の横井サン。ま、中入れや」
達貴がいつもの調子で、理香子に言う。――これで王子が戻って来れば、すっげー心強いんだけどな。

意外にも(というのも失礼だが)幾分軽い
長谷川美歩(女子12番)の体をひょいと背負い直し、安池文彦は道に残る血痕と記憶だけを頼りに、来た道を戻っていた。
――ちゃんと食ってんのか、コイツ。場違いな心配が小さく頭を過り、その呑気さに思わず文彦は呆れを覚える。
どういう経緯があったのか浜辺で眠っている美歩を発見した時、文彦は彼女をどうするべきか少し迷った。美歩は荷物すら持っておらず、全くの丸腰だったのだ。
大野達貴たちの元へ戻る予定だったし、どうせならば彼女も連れていこうかと思ったのだが、このクラスでは見事に一匹狼と化してしまっている美歩を達貴たちが手放しで受け入れてくれるか、という不安もあった(彼女がそれほどとっつきにくい人間ではないという事を知っている分、文彦にとっては認めたくない事だったのだが)。
とにかくどうにか美歩を安全な場所に移そうと、その体を揺らして起こそうと試みたのだが――美歩は、ただ眠っているだけでは無かった。
もう7月だとはいえ、夜は流石に冷える。まして水辺で意識を失っていればそうなるのも当然なのだが、彼女の腕は潮風に体温を奪われて氷のように冷たくなっており、驚いて額に手を当てると、既に少し熱っぽくなっていたのだ。
こんな状況で病気にでもなったら、ひとたまりもない。それにこのまま美歩を放っておけば、“やる気”になった他のクラスメートが彼女を殺してしまうかもしれない。長谷川が、死ぬ――少し俯き加減に煙草を吸う仕草も、時折見せる思いがけないあどけない笑顔も、全てが消えて無くなる。無になってしまう。それを思った途端、文彦は不思議とたまらなく嫌な気分になった。そう、不思議と。
ともかく、丸腰で発熱まで起こしている女の子を放っておく訳にもいかない、と自分に言い聞かせ、全身びしょ濡れになっている美歩を背負ってここまで来たのだ。医者の家に戻れば薬もある。――まあ、ここまで勝手な事をすれば一発殴られるくらいの覚悟は要るよな。文彦は苦笑して、もう一度、美歩の体を背負い直した。



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