■50

真っ黒だった空が、少しずつ深い藍色を帯びていく。月も幾分西に傾いていたが、星はまだ見える。夜明けまで、まだかなりあるだろうか――時計なんて無くても大まかな時間は自然が教えてくれる、といつだったかもう老衰で死んでしまった田舎の祖父が言っていたのを思い出す。じーちゃんが遺した言葉。「お前の所為じゃないんだよ、明人。死っていうのは自然の摂理なんだ」。
黒田明人(男子6番)はG=06に位置する茂みの中、休憩場所として適当に選んだそこに寝転がっていた。端から見ればまるきり死体が転がっているようなものだったが、ごくごく並の体格の明人ならば丁度良く隠れる。木の影から覗く星空を眺めながら、明人は祖父の言葉を思い返していた。
自然の摂理――だとは、思わない。あの時の交通事故。自分の目の前で、トラックに跳ね飛ばされて死んだ従妹。あれを自然の摂理だなんて、明人には絶対に思えなかった。確かに、自然に囲まれた山梨の小さな町での祖父の老死は、自然の摂理だと言えるかもしれないが。

ふいに、明人は首に嵌められた硬く冷たい首輪に手を触れる。その感触は幾分馴染んだものの(馴染むのも嫌な事だが)、学ランの詰め襟など首回りがうざったいものが大嫌いな明人にとっては未だに強い嫌悪感を与えていた。
もしも、自分がこのプログラムで死ぬのなら(可能性は充分有り得る)――それは、自然の摂理だとでも言うのだろうか?
「…馬鹿言え」
明人は嘲笑うように、小さくひとりごちる。そんな筈は無い。大人達が勝手に決めた、腐った法律。自然の摂理とは程遠い。
そんな事は解っているのに、心のどこかではこのまま死んでしまっても構わないと思っている。――俺の所為で、死んだから? お前の所為じゃない、なんて言葉を掛けてくれる人も居た――けれど。
『川合が死んだの、オマエの所為だっつってんだよ』
悪戯な敵意の込められた、
古宮敬一(男子14番)の言葉。川合康平(男子5番)が死んだのは、自分の所為だと彼は言った。違う、川合を殺したのは俺じゃない――けれど、彼を救けられなかったのもまた、言い訳の出来ない事実だ。だとすれば、結局は自分の所為だという事になるのだろうか。
深く溜め息を吐き、明人は目を閉じる。止めよう。誰の所為だとか、そんな事は考えても仕方ない。ただ、せめて出来る事をしたい。康平の紙飛行機を、
横井理香子(女子18番)に届けなければ。
瞼の裏に、空に輝いていた幾つもの星の光の残像が見える。目を閉じても、星の煌めきは青のような赤のような不思議な色彩を放ってちらつく。
明人が再び目を開くと、そこには星空でなく、人影があった。

「……死体かと思ったじゃねーか、黒田」
人影は言ったが、それほど動揺している様子はない。割と落ち着いているようだ。それで、明人は何となく直感的に――コイツはまぁマトモな奴だ、と思った。やる気になっている訳でも無さそうだし、発狂している訳でも無い。まあ、この状況で冷静だというのは少し気味が悪い気もするのだが。
「王子サン…だっけ、アンタ」
すっと伸びた180センチ近くの長身を俯き加減に曲げてこちらを覗き込む
安池文彦(男子18番)を寝転がったまま見上げ、明人は教室でよく聞いた彼のニックネーム(王子って何だよ、確かに白タイツは似合いそうだけど)を小さく口にする。
「なんだ、顔覚えててくれたんだな」
苦笑混じりに言う文彦の影に、何か重なるものがあった。明人は起き上がって、それの正体を覗き込む。文彦に背負われたまま、彼の肩の辺りに顎を乗せて眠っている彼女は(女子だ。白い線が一本入ったセーラー服の襟が見える)――確か、自分と同じようにクラスでもどことなく浮いた感じだった
長谷川美歩(女子12番)だろうか。
「…で、長谷川が姫?」
美歩の顔を覗き込み、ぽつりと零した明人の言葉に文彦は思わず小さく吹き出す。明人はこのクラスにもあまり馴染んでいないようで、学校に居ても寝ているかサボっているかぼーっとしてるか程度のものだったが(まるきり美歩の男バージョンだ、無気力な感じのあるところも)意外と面白い事も言うようだ。
「姫…ってガラじゃないな。どっちかって言うと女王だよ」
言った文彦の耳元で、丁度囁くような声がした。
「女王、ですか。そりゃ光栄」
濡れた髪を揺らして、眠っていた筈の美歩が少し顔を上げる。文彦が固まった表情でちらりと後ろを振り返ると、美歩の皮肉っぽい笑顔がそこにあった。
「いつから起きてたんだ、オマエ。心臓に悪いぞ」
「寝たふりとか得意だから。悪いね」
幾分馴れ合った感じのする二人のやりとりを意外そうに眺め、明人はちょっと悪戯っぽく笑った。
「何、アンタらそーいう仲だったんだ」
その言葉に、美歩と文彦の視線が同時に明人を向く。面喰らったような顔をしている文彦とは対照的に(彼のこんな表情は滅多に見られない)、美歩は明人のそれと同類の悪戯っぽい笑顔で応えた。
「そーいう仲ってどーいう仲?」
「SM専門のセフレとか」
明人の口から零れたとんでもない言葉に、美歩は肩を揺らして笑いを堪える。それでも小さく、くすくすと笑い声が漏れていたが(コイツ、意外と笑いの才能あるかも)――文彦の方も、笑いの混じった声で言った。
「すげぇ勘違いしてんな、黒田。言っとくけど俺、そっちの趣味ないから」
「あたしも鞭でオトコ叩くなんて疲れる事したくないよ。別に、トモダチみたいなもんでしょ?」
美歩の言葉の後、文彦が「そうだな」と続ける。明人はそれで、少し眉をひそめた。
以前の3年4組の教室でも、美歩と文彦がそんなに親密そうにしている事は無かった筈だ。まあ、外での交流なんかがあったのかもしれないし、二人にはどことなく似た雰囲気がある。先程のあれ――SMどうこう、というのは半分冗談だったが、実際友達なんだろうな、と明人は思い直した。
それからふと、彼等に訊ねるべき事を思い出し――そうだ、やんなきゃいけない事があった。明人は再び、口を開いた。
「…そんで、訊きたい事があるんだけど。横井、見なかった?」
「リカコ?」
それに反応したように、美歩は小さく、それでも素早く身を起こす。しかし、その所為か突然に頭痛が跳ね上がり、美歩は思わずこめかみの辺りに手をやった。頭部に感じるぼんやりとした熱が、少し強くなってきている。セーラー服の袖から出た腕にも、寒気を通り越して熱を感じた。
「どした、長谷川?」
明人が異変に気付き、美歩の額にそっと手を触れる。額にかかる前髪も、少し水気を含んでいた。
「…熱、あんじゃねぇか。しかも濡れてんし……どうしたんだよ」
訊ねるような視線を明人から向けられ、文彦は美歩の体を背負い直して応えた。
「否、ちょっと色々あって…横井は、見てない。黒田の方こそ、どうしたんだ? 確か、川合と――」
「こっちも、色々あったんだよ」
そう言った明人の顔に、自己嫌悪の陰がちらっと覗く笑顔が浮かんだ。先程までの笑顔とは少し違う感じのするそれに、文彦は上手く返す言葉が見つからず、少しの間、三人は沈黙する。

「…とにかく」ふいに、文彦が沈黙を破った。「俺、戻らなきゃいけない所がある。急いでないんだったら、話は歩きながらでもいいか?」
「ああ、いいよ」
明人が頷く。文彦は辺りをちらっと見渡し、小さく後ろを振り返って美歩に言った。
「長谷川、もうちょっとだから。頑張れよ」
「だいじょぶ。それより――ほんとに、重くない?」
小さく言った美歩に、文彦は苦笑して「重くないって。本当に変なトコだけ気にする奴だな」と応える。美歩の、少し色めいた表情。熱の所為だけではないだろう。
アンタらやっぱ、そーいう仲なんじゃねーか。明人は心の中で呟き、肩をすくめた。



残り20人

+Back+ +Home+ +Next+