■54

――あー、もう。マジだりぃんだけど。
口の中で小さく呟き、
麻生加奈恵(女子1番)は頬にかかる黒髪の毛先を指で弄った。体を支配する疲労感の所為か、次々と心に沸き上がる苛立ち。無意味な苛立ちに、自然と汚い言葉を思いきり叫びたい衝動に駆られる。全員ウゼェ、とっとと死んじまえ。ボケが。
普段からそんな衝動を抑える事には慣れていたのだが(イイヒトの麻生かなチャンはそんな事言わないもんね)、流石にこの状況だと、それを抑えるのも面倒だ。
まあ、“いいひと”の演技にすっかり騙されているバカなクラスメート達を見下すのも、加奈恵としては結構爽快なものだったのだが――だりぃモンはだりぃんだよ。誰でも良いよ、早く残り全員殺してよ。とっととこんなクソゲー終わらせちまえよ。
心の中で毒吐きながら、加奈恵は手首の腕時計に視線を落とす。4時30分過ぎくらいだろうか? ああ、6時になったら――放送が、ある。
あの
榎本あゆとかいうふざけた担当教官(だとは、加奈恵は正直認めていない。ただのギャルじゃん)の、こっちまで脱力しそうなけだるい声はちょっと聞きたくなかったが、死亡者の発表は気になっていた。何人くらい、減ってるかな。ホンット、早く終わればいーのに。

それから、加奈恵はふと茂みの中から小さく腰を上げ、少し離れたところに立っている家(北部集落に属するものだろうか、地図で確認したところC=04だった)にちらりと視線を向ける。あそこで休もうか。誰か先客が居るかもしれないが、まあ、他にも家は沢山あるし――多分、大丈夫だろう。根拠の無い自信を抱き、加奈恵はデイパックを肩に掛け直して茂みを出た。
加奈恵は辺りを注意深く眺めて人気が無い事を確認すると、家に向かって歩き出した。茂みの脇に沿うようにして身を隠しながら、どうにか家の傍まで来ると、その正面、玄関口のドアにそっと歩み寄る。小さく息を吐き、加奈恵はドアノブに手をかける。そのまま、自分の家に帰宅したかのように自然な手付きでノブを捻り、手前側に引いたが――開かなかった。加奈恵は少したじろぎ、今度はドアノブを押し、それからもう一度手前側に引く。それでも、開かない。鍵か何かがかかっているのだ。
不機嫌に舌打ちし、加奈恵は溜め息を吐く。鍵かけてんじゃねぇよ、ボケ。
それで、少し脱力した。苛立ちに注意力が散漫し、幾分ずかずかとした足取りで加奈恵は玄関口を離れる。ちらちらと家の壁を見て回り、窓を探した。これで窓にまで鍵がかかっていたら、加奈恵は今度こそ確実にキレるだろう。まあ、こんなところでキレても意味は無いのだが。
ふいに、家の裏まで回った時――それを、見つけた。
朝日の薄い明かりを反射して光る、窓。しかし、その前に大きな問題があった。開いた窓の縁にまたがり、丁度家の中に侵入しようとしているセーラー服の姿。半分程家の中まで入りかけたその顔が、ひょこっと辺りを見渡すようにこちら側に覗き、立ち尽くす加奈恵と視線が合った。
あの、ちりちりの縮れっ毛を高く結い上げて焼きそばみたいに散らした、変なアタマ。このクラスでたった一人、そんな髪型をしている彼女は間違いなく
後藤沙織(女子6番)だった。

ゲッ、後藤じゃん――この時ばかりは流石の演技派女優、麻生加奈恵も全く無意識に、露骨に嫌な顔をした。
まあ
植野奈月(女子2番)迫田美古都(女子6番)なんかに混ざっていればさほど目立つ事も無いのだが、それでも“不良娘”と呼ばれる(しかも時々、奈月が仕入れた変なクスリで益々騒がしく、おかしくなっている)沙織だ。
しかし、とにかく――条件反射で、慌てて笑顔をつくる。少し狼狽気味な愛想笑いを沙織に向け、加奈恵はいつもの穏やかな調子に少し安堵した感じを混ぜて口を開いた。
「……さおちゃん? よかったぁ、びっくりしたよー…」
それで、固まっていた沙織の表情がやっと緩んだ。ほっと安堵したように息を吐き、沙織は窓の縁に足を掛けたまま喋り始める。
「さおもびっくりしたよぉー…かなちゃんで良かった、マジで……きゃわ!」
いつものようにぺらぺらと口を動かしかけた沙織の体が、ふいにバランスを崩して家の中に転げる。どたん、と派手に音を立てて沙織が床に転がり落ち、続いて「いったぁ…」と小さく高い声が聞こえた。
加奈恵はその様子に少し苦笑し(正直嘲笑ってやりたいけどね)、窓の方へ歩み寄る。そのまま、開いた窓から手を差し伸べて沙織の体を起こした。
「さおちゃんってば、大丈夫?」
身を起こした沙織の目に、いつもの優しい加奈恵の笑顔が映る。その笑顔のまま、加奈恵はもう一つ付け加えた。
「あの、あたしも…そっち、お邪魔していいかな。ひとりじゃ、怖くて」
穏やかな加奈恵の言葉に、沙織はちりちりの髪をばさばさ揺らして頷く。
「いいよいいよー。別にさおのおうちじゃないけど、入る?」
にっこりと極上の笑みを浮かべて、加奈恵は「うん」と答えた。

「さおちゃん、出発してから誰かに逢った?」
壁に寄り掛かって地面に座り、加奈恵は沙織に聞いておくべき事をそれとなく口にする。
沙織と二人でこの部屋に入ってから、沙織がやたらと空元気を振りまいて喋り続けていたので(あーあ、ヤだね。誰かサン思い出しちゃう)とりあえず情報を集めておこうと考えた質問も、ここまで後回しになってしまった。
「――え?」
一瞬、沙織の表情が固まる。それを、加奈恵は見逃さなかった。何かやましい事でもあるのだろうか(否、あたしもあるけどね)。
「んっと……1時くらい、だったかな? 志田サン、見ちゃった」
思い出しながら、つっかえつっかえに沙織は言った。そう、1時頃確かに沙織は
志田愛子(女子8番)を見たのだが――愛子は、ひどい事になっていた。首に奇妙な痣が付き、顔は――とても、見れたものではなかった。
「あい? あいが、どうしてたの?」
続きを促すように言う加奈恵に小さく頷き、沙織は言っていいものかどうか少し躊躇いながら、言った。
「……死んでた、けど」
その言葉に、加奈恵の表情が驚いたように固まり、それから少し曇った感じになった。
「そっか…あい、死んじゃったんだ」
そう、加奈恵の表情は確かに曇り、愛子の死を悔やむように、少し俯いてもいたのだ。しかし、沙織は少しだけ「ん?」と思った。妙な感じ、とでもいうのだろうか。
「それで、さおちゃん」
ふいに加奈恵が顔を上げ、また言葉を切り出す。沙織はそれで妙な感じを胸から追い出し、加奈恵の言葉に耳を傾けた。
「他には、誰にも逢ってないの?」
その言葉に、沙織は返事を詰まらせた。“あのこと”を言おうか言うまいか、散々迷い――無言で、淡いスミレ色のラメマニキュアを塗った長い爪を、意味も無く弄る。躊躇った挙句、沙織はそっと、口を開いた。
「あの…ね、かなちゃん」
「なに?」
沙織は少し息を吸い、きゅっと唇を噛んだ。
何か、追い詰められたような感覚がして――そう、いつもは奈月や美古都たちと一緒になって悪事を働いていたのだが、ある時、一人でなんとなしに立ち寄ったコンビニで万引きをして、それが見つかり――店の裏に連れていかれて、無茶苦茶に問い詰められて大泣きした事があった。それ以来、沙織は悪い事をする時は絶対に仲間と一緒になって、していた。生来の小心者である沙織にとって、悪い事というのは仲間と一緒の時は楽しい事でも、一人の時はそうではないのだ。
「…さおり、ね。悪い、コト……しちゃった」



残り20人

+Back+ +Home+ +Next+