□55

後藤沙織(女子6番)は出発してすぐ、茂みに身を隠してぶるぶると震えていた。こんなに突然に、自分が殺し合いなんか投げ込まれて、怖くて――恐怖のあまり飛びそうになる理性をどうにか引き留め、迫田美古都(女子7番)を待とうと思ったのだ。
美古都は確かに不良と呼ばれるような生徒だったし、ちょっと気の強いところはあるけれど、沙織にとっては大切な友達だった。出席番号も近かったし、少し待てばすぐに出てくる。そう思って、大人しく待っていたのだが――ふいに、自分の居る茂みの方に、誰かが歩いてきた。
佐々木弘志(男子7番)、だった。美古都が出てきたものだと思い込んでいた沙織は、つい錯乱して――

「――それで、カバンに入ってた――ほら、あゆとかいうオンナが武器って言ってたヤツ、さおのは包丁で……それ、投げちゃっ…て、だけど、あんなの当たる訳ないのに――マジだよ、さお、夏祭りのときのダーツ投げだって、全部0点だったのに――なんでか、わかんないけど……目、開けたら、佐々木っちの首に――」
沙織はそこまで喋ると、少し青ざめた顔を小さく振った。違う! さおり、みこちゃん待ってただけなのに――なんで?
「……そっか。そんな事、あったんだ」
隣でそれを聞いていた
麻生加奈恵(女子1番)は頷き、沙織に向き直った。――うっわ、さおちゃんマジで顔色最悪じゃん。一人殺ったくらいでこんなにビビってんじゃねぇつーの。
加奈恵は心の中でほくそ笑みながらも、それを噫にも出さずににっこりと笑った。
「仕方ないよ、さおちゃん怖かっただけなんでしょ?」
その優しい言葉に、沙織は顔を上げ――にこっと感じの良い笑顔を浮かべる加奈恵に、未だに残る恐怖の所為か少しぎこちなくなったが、笑顔を返した。
「かなちゃん…ありがと」
沙織の謝辞に「うん、いいよ」とだけ返し、沙織が佐々木弘志を殺した、という事には全く構わずに愛想の良い笑顔を浮かべる加奈恵に、沙織はまだ少し震えながらも、妙な感じを抱いた。

それから、沙織は加奈恵の服装をちらりと見た。加奈恵が着ているのはセーラー服ではなく、私物らしい半端丈のデニムパンツと黄色のタンクトップだ。なんで着替えたのかな――汚れた、とか? えっ、何に汚れたの?――ううん、汗かいてキモチ悪かっただけかもしんない。だけど、だけど――
沙織はもう一度、加奈恵に視線を向ける。いつも優しくて、お人好しで、“いいひと”だった加奈恵。
このコは、志田サンが――トモダチが死んで、こんなに平気でいられるコだったっけ? さおは最初の放送でみこが呼ばれた時、すっごい泣いちゃった。かなちゃんは、そんなに悲しくないのかなぁ? それに、さおりは人殺しなのに――かなちゃんはいっしょに居て、平気なの?
ふと、加奈恵がこちらを向く。沙織の視線に気付いたようだ。
加奈恵は沙織と視線が合うと「さおちゃん、大丈夫? まだ怖いの?」と優しく微笑んだ。沙織はそれで、だいじょぶ、と首を振り――思った。やっぱこんないいコの事疑うなんて、さおがどーかしてるんだ。かなちゃん、意外としっかり者さんなだけなのかもしんない――うん、そーなんだ。自分に言い聞かせるように繰り返し、沙織はきゅっと唇を噛む。ふいに、膝を抱えるように座っていた加奈恵が、ぺたんと足を伸ばした。

「はぁー…疲れたね」
溜め息と共に加奈恵が零した言葉に、沙織はこくっと頷いた。
「うん」
加奈恵はそれでちらっと笑ってみせ、それから再び、口を開いた。
「ホンットさ、こんなの早く終わってほしいよね。さおちゃんもそう思わない?」
それで沙織は少し、そう、ほんの少しいつもと違う感じの加奈恵に、やたらと細い眉を少しだけ寄せ、それから応えた。
「うん……そりゃ、さおもそー思う…けど」
少し優柔不断で、曖昧な返答。しかし加奈恵はそれに構う事も無く、初対面の女の子と共通のものを見つけて親近感を抱いた時のような(血液型同じだね! みたいな)弾んだ口調で言った。
「やっぱ? さおちゃんもそー思うよねぇ?」
だよねだよねー。加奈恵はそう続けて、唐突に笑い出す。普段の愛想の良い笑い方とは違った感じで、まるきり
植野奈月(女子2番)のように、きゃはははっ、と甲高い声を響かせて。
「…かな、ちゃん? どしたの? なんか、ヘンだよ?」
沙織は加奈恵の豹変ぶりに、少し困惑して呟く。それで、ふいに加奈恵の笑い声が少しずつ小さくなり――やがて、止まった。
「…っはは……何、さおちゃんまだわかんないの? マジでバカだよね、救いようも無いバカじゃん。クスリでのーみそ壊れてんじゃない?」
突然の言葉に、沙織はまるきり鳩が豆鉄砲を喰らったような、きょとんとした顔をした。一瞬、頭の中が漂白剤で綺麗に洗濯した新しいシーツのように真っ白になり――それから、認識した。今の、空耳…じゃ、ないよね? かなちゃんが、言ったんだよね? うっそ、マジ? クスリでのーみそ…って、そりゃホントだけど――って、そうじゃなくて! なんで、なんで……かなちゃん?
困惑した表情の沙織に構わず、加奈恵は不愉快そうに「はっ」と鼻を鳴らして続ける。
「あたしさぁ、あんたみたいなオンナって大っ嫌いなんだよねー。何? 古宮の彼女だかなんだか知んないけどさ、ただの薬中のヤリマンじゃん。どーせなっちゃんとか居ないと何にもできない癖に調子こいちゃって、バカじゃねーの? はっきり言ってマジウザイっつーか、目障りなんですけど。だからさぁ――」
加奈恵は口角を上げていかにも意地悪そうな笑みを浮かべ(“裏の顔”がすっかり丸出しになっていた)、デニムパンツの後ろポケットに引っ掛けた支給武器のダイヴァーズナイフをすっと抜き出した。そのままそれを、素早く沙織に向ける。
「とっとと死ねば?」
その言葉と共に、加奈恵のナイフが振り下ろされた。

沙織は一瞬、目を見開き――いつだったか、奈月が他校の生徒と喧嘩をしていた時に、ナイフで不意打ちされかかったのをするりと見事に避けたあの動き(そうだ、あの時なつきが刺されて死んじゃうかと思ってすっごい怖かった)を、無我夢中で真似する。体を右に捻って浮かせ、そのまま床に突いた手に力を込めて反転。奈月ほど身軽には出来なかったが(元々沙織は喧嘩が苦手だった)、どうにか沙織の体は紙一重でナイフを避けた。しかし着地の際に気が緩み、背中を思いきり床に叩き付けてしまう。その衝撃に、沙織は床に倒れ込んだまま激しく咳き込む。口元を歪めて加奈恵は舌打ちし、沙織には刺さらず床に刺さったナイフを乱暴に引き抜いた。
苛立ちをぶつけるように、横向けに倒れる沙織の背中を思いきり何度も蹴りつけると、沙織はまた苦しげにぐっと息を漏らした。その瞳には苦痛と恐怖の所為か、微かに涙が滲んでいる。
「……っ、ごほっ…ぁ、かなちゃ……やだぁ、やめっ…」
途切れ途切れに言葉を零す沙織をこれでもかと足で痛めつけ、加奈恵は妙に満足げな表情で再びナイフを沙織に向けた。何とも言えない優越感が加奈恵の心を満たし、ある種のサディスティックな悦びを与える。
「そーやって泣きながら命乞いしてもらえるとさ、結構キモチいよ。ありがとね、さおちゃん」
加奈恵は唇を三日月のように細めて笑い、もう一発、沙織の鳩尾にスニーカーの爪先で蹴りを入れる。うぅっ、と沙織が泣き出しそうな声を上げ、その体が幾分ぐったりと脱力する。――オッケ、今度は外さないよ。
倒れた沙織に向けて、加奈恵はナイフを振りかぶる。そのまま、それを振り降ろそうとしたが――突然、ばぁんと派手な物音がして、加奈恵はそれを止めた。何事かと加奈恵が振り返り、沙織も身を起こしかけたその時、部屋の隅にあった押し入れの襖がゆらりと揺れ、そのまま床に倒れた。

「――ったく…ヒトが気持ち良く寝てるっつーに、うっせぇべ?」
襖の外れた押し入れの中、ぱさぱさの金髪を掻いて身を起こした
岩田正幸(男子2番)は、そのまま押し入れの上段からひょいと飛び降り、床に倒れた襖の上に着地した。
ちょっと不機嫌そうに細い眉を寄せて目を擦る正幸は、ふと壁際で唖然としている加奈恵と沙織に視線を向ける。それで、彼の表情がぱっと明るくなり――そう、オンナノコの前じゃ笑顔で! いつものように、へらへらとした笑顔(そこがまた親しみやすいのだ)を浮かべ、人差し指と中指を立てた右手をふらっと二人の女子に向ける。
「グッモニ★」
何がグッモニだ、畜生――いつものように軽く言ってみせた正幸を前に、加奈恵は驚愕しながらも思った。



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