■58

いつだって、ヒーローが居ればいいと思ってた。
無力な自分のところにヒーローがやって来て、アンパンチでもウルトラキックでも何でもいいから一発ぶちかまして、何もかもぶっ飛ばしてくれればいいと、思ってた。

岩田正幸(男子2番)は足元のうじゃうじゃとした雑草の中をひょこひょこと軽快に歩きながら、思い返していた。
幼い頃の自分はとても非力で、酒に酔っては自分や母親に暴力をふるう父親も、それに泣いて耐えながらも父親についていく事しかできない哀れな母親も、どうにかしたいと思いながらも、どうする事もできなかった。

正幸の家庭は、絵に描いたような“荒んだ家庭”だった。
仕事が上手くいかなくなって会社を辞め、働きもせずにいつも昼から酒を飲み、学校から帰ってきた正幸を憂さ晴らしに殴った父親。
父親が会社を辞めてから水商売を始め、いつも露出の多いけばいワンピースの下に父親からつけられた暴力の痕をひたすら隠して働いていた母親。
母親はそれでも父を愛し、いつも殴られた正幸に泣きながら言い聞かせていた。「お父さんは、マサくんがいいこに育つように、叱ってくれてるのよ。マサくんは、強い子にならなきゃ駄目よ」。
そんな母親の戯れ言にまともに耳を貸していたのは、小学校低学年までだった。――だって、そんなんおかしいんじゃねぇの? 俺が良いコに育つようにやってるように見える訳? 良いコって何? とーちゃんみたいなダメなオトナにならないように、殴ってくれてるっつーの?
何もかもがおかしい筈なのに、どうする事もできず、幼い頃の正幸は家に帰るのが嫌でたまらなかった。学校帰りはいつも公園に寄って、滑り台の裏に日が暮れるまで隠れて、流行っていたヒーロー物の漫画を読み続けていた。
いつか、ヒーローが俺の家にも来てくれる。とーちゃんもかーちゃんもみんなぶっ飛ばして、“フツウの家”にしてくれる。そう信じていたけれど、いつまで経ってもヒーローはやって来ず、殴られた傷痕ばかりが増えていった。
やがて、小学5年生になった正幸はヒーローの漫画をびりびりに破って、公園のゴミ箱に捨てた。
誰も救けてくれない。ヒーローなんて、居ない。

ヒーローへの憧れを断ち切るように、正幸は“悪者”になろうとした。小学6年生から酒と煙草に手を出すようになり(お陰で今だって身長は158センチしかない)、荒んだ家庭から逃れるように夜中まで学校の悪ガキどもと連るんで騒ぎ続けた。
そんなバカな事しかできない自分も嫌だったけれど、他にどうすればいいかなんて、わからなかった。
そうしてやり過ごしていた正幸も中学に上がり、ほんの何となしにバスケ部に入部して――彼を、見つけた。一年だというのに無茶苦茶に運動神経が良く、二年や三年の生徒たちと互角にやり合っていた彼、
土屋雅弘(男子10番)だ。
コートの中で、真っ直ぐにボールを追いかけている彼を見た時、正幸は物凄い衝撃を受けた。
心の奥底に沈めておいた、幼い日のヒーローへの憧れが、ふっと息を吹き返した。
ヒーローを、見つけた――正幸はそれから、ヒーローを追いかけるようにバスケットに打ち込んだ。夜遊びも煙草も辞めた。やっと腐った生活から解放されて、充実した日々が始まろうとしていたのだが――ヒーローへの憧れは留まる事を知らず、その感情はどんどん成長していって――気が付けば、正幸は恋をしていた。そう、男である彼、土屋雅弘に。

自覚したのは、ほんのある時だった。更衣室で、着替えている雅弘と目が合った時――小学校の頃、付き合っていた女の子と初めて手を繋いだ時のような気持ちになったのだ。
胸が、高鳴った。どきっとした。
雅弘は全く気にしていない様子で「マサ、どした? お前も早く着替えとけよ」なんて言っていたが、正幸はそれに空返事しかする事ができなかった。
なんで――なんでドキドキしてんだ俺、土屋はオトコだろ、と自分に言い聞かせてもみたけれど、感情は止まらなかった。気付いてしまった、自分が彼に憧れ以上の感情を抱いている事に。
感情がそれ以上に成長して、いつか止められなくなってしまうのが怖くなった。雅弘を距離を置こうとして、バスケ部の練習も休みがちになり、正幸は小学校からの悪ガキ連中との付き合いを再開した。もう、ヒーローに夢を見るのは止めよう。半ば自暴自棄になって、正幸は彼への気持ちを振り切るようにひたすら、ヒーローとは逆の方向へ走り続けた。
不特定多数の好きでもない女をとっかえひっかえに抱いて、偽物の愛情と仮面だけのへらへら笑いに塗り固められた“遊び人のナンパ師”になった。
それでいいと、思った。
ヒーローになんかならなくていい。不良連中の間では、嘘の上に造られた陽気な遊び人の自分が一番歓迎される。
本当の感情は、幼い頃公園のゴミ箱に捨てた漫画のようにびりびりに破って、消し去ってしまおう。そうやって、生きていけばいい――どうせ、俺は恋に恋しちゃってるおバカだしね。

ふいに、正幸は手元にちらっと目を落とす。ずっと握ったままだった、支給武器の鉄アレイ。
麻生加奈恵(女子1番)の頭にそれを叩き付けた時の、あの不気味な骨の感触は、未だに手の中に残っている。確かに自分は彼女を殺してしまった。仕方の無い事だ、正当防衛なのだから――
防衛?
正幸は少し自嘲気味に、ふっと唇を細めて笑う。防衛する必要など、あるのだろうか。どうせ、自分には帰る場所も無い。あんな家に帰るくらいだったら、ここで野垂れ死ぬ方がずっとマシだ。ただ、死ぬのだったら――その前に、せめて。せめて、びりびりに破って捨てた筈の本当の想いを、彼に伝えたいと、正幸はささやかに願った。



残り19人

+Back+ +Home+ +Next+