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F=04に位置する茂みの中、
三木典正(男子16番)はじっと息を潜めてその場にうずくまっていた。頬の辺りに植え込みの枝が引っ掛かってちくちくと痛んだが、そんな事に構ってはいられない。もう、残ったクラスメートもかなり減っているのだ。
幸い、典正が探していた彼女――
渡辺佑子(女子19番)は6時の放送でも名前を呼ばれておらず、まだ無事で居るようだったが、頭の中では体中に銃弾を浴びて事切れる佑子の姿が何度も浮かぶ。その度に、典正は頭を振るってそれを打ち消していたのだが――それでも、心配だった。
気の弱い彼女が、こんな状況の中でひとり不安と恐怖に駆られて泣いているのかと思うと、どうにもいたたまれない気持ちになる。自分の事など、どうなっても構わなくなってしまう。
こんな風にちゃんと女の子を好きになったのは、まだ二回目だ。

そう――あの時以来、まともに女の子を好きになった事は無い。
小学生の頃、バレンタインにチョコレートをくれた女の子(美奈ちゃんだったよな)と付き合った時。典正は、本気で彼女の事が好きだった。夢中になっていた。
だというのに、夢は一週間で終わりを告げた。付き合って6日目、そう、たった6日目だったというのに、その日の学校帰り、彼女が別の男の子(コイツは一生忘れない、佐伯ってオトコだ)と一緒に帰っているのを見てしまったのだ。翌日にそれとなく聞いてみたところ、彼女は涙ながらに自分の浮気を告白してみせた。
「ごめんね、あたし三木くんの事ほんとに好きなの。だけど、佐伯くんの事もほんとに大好きだから」
安っぽい表現だが、典正はその時、金属バットでぶん殴られたような衝撃を受け――嗚呼、オンナノコって残酷なもんだ、と思った。結局彼女はごめんね、ごめんね、と繰り返して典正に別れを告げ、佐伯の野郎と付き合ってしまったのだ。

それ以来、典正は普段は明るいお調子者として振る舞っていても、恋愛の事に関してだけはひどく臆病になってしまった。
ちょっと気になる女の子ができても、絶対に恋なんてしないように、他の事に打ち込んで――それでも、どうにも思い通りにならないようで、中学三年生になった今、また恋をしてしまった。よく一緒に騒いでいた
福原満奈実(女子14番)の隣にいつも居た彼女、渡辺佑子。
大人しい感じでろくに口も利いた事のない彼女を、どうして好きになってしまったのか、典正にもわからなかった。どちらかと言えば自分が最初に気になり出すのは、満奈実のようなタイプの女の子だ。佑子のように、ちょっと静かな感じの女の子は、苦手だった筈なのに――だけど…恋って、そーいうもん…だろ。
典正は小さく溜め息を吐き、手元の腕時計にちらっと目を落とす。7時35分を、丁度少し過ぎたところだ。もう、30分近くここらに留まっているが、佑子の姿は見えなかった。少し、動いてみようか。
そっと茂みから腰を上げ、典正は辺りを見回した。ふと、遠くに人影が見えて――典正は少し眉をひそめて、その人影を見据えた。
茂みの脇に沿うように歩いている、人影。黒のズボンと白いシャツは、男子だろうか。そして、もう一つ見えた。明るい、金色。
朝日に輝くそれと、セーラー服。女子だ。女子で金髪といえば、
穂積理紗(女子15番)なのだろうか? 人影は少しずつ、こちらに歩み寄ってきている。それで、男子の方も誰だか認識できた。土屋雅弘(男子10番)のようだった。
土屋!――典正は思わず叫びそうになったが、それを堪えてそっと茂みから出た。
そう、福原満奈実が――もう死んでしまった彼女が、言っていた。気持ちを伝えて欲しいと。それを今、果たさなければいけない。それに、手掛かりがあれば佑子を見つける事が出来るかもしれないのだ。

「…土屋、だろ?」
典正は少し声を潜めて、言った。それで、二人の足が同時に止まり(息合ってんな、オイ)先に雅弘の方が、こちらを向いた。
「誰……三木か?」
雅弘がこちらに歩み寄りながら、小さく呟く。理紗もそれに続いて足を動かしかけたが、何やら雅弘が振り返ってそれを制していた。その意味すらも、今の典正には解り得ないところだったのだが。
「おう、俺。三木だよ」
言うと、雅弘の表情がほんの一瞬だけ陰る。しかし、すぐに笑顔に変わった。
「無事だったんだなー。良かったよ」
安堵したような笑顔を浮かべ、いつものように言った雅弘に、典正はほっと息を吐いた。良かった。おう、こっちも良かったよ。いつもの、土屋じゃねぇか――
そう、いつも通りの笑顔だった。その笑顔のまま、雅弘の腕がすっと動き――その後の動きは、あまりにも速すぎた。突然に、鉛色の何かが見えた。金属バットだ、と典正が認識した時には、それが頭上まで来ていた。
反射的に身を捻ったが、避けきれず右肩に激痛が走る。肩の痛みに小さく呻き、典正の体はそのまま地面に倒れた。
「っ…土屋?」
訳も解らなくなって、典正は倒れたまま困惑した目で雅弘を見上げる。雅弘は先程の笑顔とはうって変わった、冷たいほどの無表情で典正を見下ろしていた。
「土屋…オマエ、まさか――」
――乗った…のかよ?
続きは、言えなかった。
有り得ないと思っていた。まさか、あの雅弘が――いつも一緒にふざけ合って、バカやって。友達、だった雅弘が、まさかそんな――コレがホントの、金属バットでぶん殴られたような衝撃、ってヤツか? ってオイ、冗談言ってる場合じゃねぇだろ。
「……ざけんなよ、冗談キツイって」
典正は笑い混じりに、小さく呟く。こんな時に笑ってるよ、俺。否、だけど状況的に考えてさ、もー笑うしかねぇじゃん?
どこか虚しげなその笑いが止まり、ふと典正は押し殺したような低い声で言った。

「マジ、ざけんなよ。オマエは――今のオマエは、福原が好きだった土屋雅弘じゃねぇよ」
その言葉に、雅弘の表情が少し変化した。驚いたように切れ長の目を少し見開いて、雅弘は小さく訊き返す。
「…福原、が?」
「ああ、そーだよ。福原はテメーが好きだったんだよ」
怒りを吐き捨てるように、典正は言う。雅弘は何も言わず、ただ少し目を伏せて――それから、もう一度金属バットを振り降ろした。不思議と速度を増したそれは、がっと鈍い音を立てて典正の頭部に直撃する。典正の視界が、ぐらりと歪んで暗転し――混沌とする意識の中、思った。福原、オマエの惚れたオトコはこんなヤツだってみてーだよ。畜生。
ごめんな、渡辺。俺、死んじゃうかも。渡辺、今もどっかで泣いてんのかな。ごめん、ホントごめんな。
ちゃんと伝えらんなくて、ごめんな。
守ってやれなくて、ごめんな。

雅弘は素早くバットを捨て、後ろ手に持った斧を再び、典正の頭に振り降ろす。
遠藤茉莉子(女子3番)の時と同様に、頭蓋骨の割れる確かな手応えがした。そのまま、斧に付着した脳漿をひゅっと振り落とした。
それからもう一度だけ、俯せに倒れ込んだ典正に視線を向ける。仕方無い、仕方無い事だ。こうする事を望んだのは、自分なのだから。それでも、それでも――
何だかどうにもやりきれない気持ちになって、雅弘はぐっと唇を噛んだ。



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