■66

「……ぁぁぁああぁ」
ふいに聞こえた悲鳴に、
水谷桃実(女子16番)は足を止めた。
「今、なんか…聞こえたよね?」
桃実が口を開くと、前を歩いていた
荒川幸太(男子1番)も歩みを止めて、振り返った。少し眉を寄せて、幸太は呟く。
「俺も、聞こえた。多分、オンナだよな」
幸太の言葉に重なるように、また同じ悲鳴が響く。高くて、綺麗な声――桃実は耳をすませて、その声の主を思い返す。中学に入って以来でも、片手の指で数えるくらいしかその声を聞いた事が無いような気がする。それでも鈴のようにとても綺麗で、女の子らしい魅力のある声だと憧れ、印象に残っていた。
「……ゆーちゃん?」
小さく呟き、桃実はばっと身を翻して駆け出した。
「オイ、水谷!? 勝手に動くなっつーに!」
その声の方向に駆け出していく桃実の背中を見て、幸太も叫びながらそれを追った。

桃実は茂みの中をがさがさと走り、植え込みを掻き分けて進んだ。ふいに、腰の高さ程までの植え込みの向こう側、茂みにうずくまっている
渡辺佑子(女子19番)が髪を掻きむしって叫んでいるのが見えた。
「ゆーちゃん!」
桃実が言うと、佑子はびくっと顔を上げた。
日光を浴びて煌めいた、佑子の少しだけ茶色っぽい髪がばさっと揺れる。――誰か、来た! これだけ派手に叫んでいれば誰かに見つかっても文句は言えないのだが、そんな事は最早佑子の頭には無かった。突然の事にパニックに陥った佑子は、茂みの中に落ちたままになっていたワルサーPPK9ミリをがさがさと探り、拾い上げると、そのままそれを手にしっかりと握った。やだ、やだ――もうこんなの嫌!
「ゆーちゃん、どうしたの? 大丈夫だよ、あたしたちやる気なんかじゃ…」
「嫌ぁっ!」
駆け寄った桃実の言葉を遮り、佑子はぶんぶんと頭を横に振って叫んだ。そのまま、ぶるぶると震える手で握ったワルサーPPKを、桃実に向ける。桃実は思わず言葉を呑み込んで、その場に立ち尽くした。
「嫌、もう……もうこんなのたくさん! 早く終わっちゃえばいいんだ! やだ、やだよぉっ!」
元々白かった頬を真っ青にして、佑子は吐き捨てた。真っ赤に腫れた目は虚ろに桃実を捉え、その桃実が同じくぶるぶる震えているのも見えていたのだが――もう、認識していなかった。ただ佑子は迫りくる恐怖に涙をぽろぽろと零して、叫んでいた。
「やだ、やだやだやだ死にたくない! 嫌ぁ、怖いよぉっ……ああああっ」

――渡辺! 誰かが自分を止めるように、叫んでいたような気がする。しかしそれも、もうどうでもよかった。トリガーに掛けた指に、ぐっと力を込めて――
どっ、という音が聞こえた。
一瞬、ほんの一瞬だけ、目の前に何かが見えて――木の棒のような、ものだった。震えている桃実の向こうに、誰かの姿が見えていた。裾を出した、白い半袖シャツ。小柄な体。
そこまでだった。額にカーブした刃物――カマを生やしたまま、典正の横に仰向けに倒れ、最期には親友の顔も、幼い頃犬の前を一緒に通ってくれた男の子の顔も思い浮かべる事無く、佑子は死んだ。

「あ……」
そこだけ地震でも起きたかのように、ぶるぶると震えている桃実の向こう、カマを佑子に向けて投げた張本人である荒川幸太は小さく震え、おぼつかない足取りで倒れた佑子に歩み寄っていた。そのまま、額にカマを生やした佑子の顔を、覗き込んだ。
間違い無い。カマが額に刺さって、生きていられる訳が無いのだ。間違い無く、佑子は死んでいた。
殺すつもりは無かった。ただ、佑子の握る銃の、彼女の腕の震えに合わせて激しく揺れていた銃口が、それでもしっかりと桃実の方を向いていて。無我夢中で、カマを投げた。だけど、だけどそんな――まさか本当に刺さるなんて――
胸の奥から、何かとても気味の悪い感覚が込み上げる。吐き気に似たそれをぐっと堪えて、幸太は後方で未だにその小さな肩を震わせている桃実に向き直った。

「み…ずたに、オマエ……見てた、んだろ? 今の、俺が――殺したんだよ…な?」
縋るように言う幸太の前、桃実はただ大きく頭を振るって、体の奥の方から沸き上がってくるような震えと恐怖を抑えるように、自身の腕をぎゅっと抱いていた。
「違う、違う……」うわごとのように繰り返し、桃実はたった今目の前で起きたそれを、幸太の言葉以外に解釈しようとしたが――駄目だった。幸太が佑子を殺した、それはこの目でしっかりと見た事実だ。しかし――
「違う、違うよ、幸太…仕方ない、よ……」
セイトウボウエイ、だから。
すっかり混乱してしまった頭に、ふとそんな言葉が思い浮かぶ。しかし、言うのは止めた。正当防衛。そんな言葉なんて、今の幸太には何の意味も持たない。桃実がふいに向けた視線の先、幸太は噛み切ってしまいそうな程に強く唇を噛んで、何かを堪えるようにぐっと拳を握っていた。
どうにも悔しくて、やるせなくて、恐ろしくて、幸太は唇を噛んだ。きつく閉じた口の中、呪文のように言葉を繰り返していた。決めたんだ、決めたんだよ――もう、嫌なんだよ、あんなの。
「……決めたんだ」
低く押し殺した声で、幸太は小さく呟く。
「決めたんだよ……守る、って」
言って、幸太は立ち尽くす桃実にふらりと腕を伸ばした。桃実が少し驚いたように目を開いたが、そのまま桃実の肩をゆるく抱いて、引き寄せた。ほぼ並ぶくらいの身長。桃実の肩に顎を乗せて、幸太は口の中に言葉を繰り返す。
守る、絶対守る。もう、失いたくない。
桃実は決してそれを、拒絶するような事もせず――しかし、幸太の腕に体を預けながらも、口を開きかけていた。
守る――だれ? あたし? 幸太が本当に守りたかったのは、だれ?
あたしは、あたしは、水谷桃実、だよ?
声にならない呟き。その唇の動きはきっと、幸太には見えていなかったのだと、思う。



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