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「ったくもー……どこ消えてんだか、アイツ」
B=07に位置する茂みの中、彼女らしくもなく溜め息混じりに呟き、
植野奈月(女子2番)は手に握ったドリンク剤の茶色い小瓶の栓を開けた。きゅっきゅっと良い音を立てて封を切ると、奈月は形の良い唇を瓶の口に付けて、一気にそれを飲み干した。ファイトー、いっぱーつ。
空になったドリンク剤の瓶をそこらの茂みに投げ捨てると、奈月は愚図る子供のように小さく頬を膨らませた。かなり可愛らしく見えるその表情、男の前ならば
久米彩香(女子5番)あたりがそれを真似しそうだ。まあそれでも、この状況の中、ひとりでこんな表情をしてみせるのは奈月くらいしか居ないだろう。

――つまんなーい。
奈月は少し、機嫌を損ねていた。もうかなりの間ここらを歩き回っていたが、彼を見つける事はできずにいた為だ。
丁度良い遊び相手は居ないものか――それを考えて一番最初に思い浮かんだのは、ゲームが始まってから顔を合わせた中で唯一奈月が見逃した彼、
黒田明人(男子6番)だった。
別に奈月は、彼を殺したくないと思った訳では無かった。ただ何となしに、思っていたのだ。明人はちょっとやそっとでくたばるほど柔な奴ではない、彼の別の面をもっと、見てみたいと。
明人の、別の面――それが一体何なのかと聞かれれば、上手く答える事は出来ない。ただ、彼にちらつく暗い闇を、覗いてみたいような気持ちが少しだけあった。
そんな感情についても、奈月は上手く考えられなかった。
恋愛、なんて甘ったるいものでは無いだろう。奈月自身も思う、自分が誰かを本気で好きになるなんて笑い話にもならないものだ。恋なんて何になる? あたしはそんなの要らない、オトコは一緒に騒ぐか、貢いでくれるか、性欲を解消してくれるかすれば充分。
ともかく、恋愛で無くとも――明人の事が気に掛かっているのは、事実だ。
そう思うようになったのは、いつからだったか。その事はよく覚えていた。

五月だっただろうか、中間テストの日。
久喜田鞠江(元担任教師)がヒステリックに喚き散らすのを適当にあしらい、奈月はテストも受けずに校舎の中を歩き回っていた。いつものお散歩だ。
何となしに、屋上へも行った。それで、彼を見つけたのだ。屋上の床に寝転がって煙草を吸っていた、黒田明人を。
その時、一緒に居た
迫田美古都(女子7番)が軽く明人をからかうように(なかなか怖いもの知らずのようだ、美古都も)、言っていた。「黒田チャンてさぁ、いっつもこの世の終わりみてーなカオしてんね」。
まあ美古都の事だ、無愛想な顔ばかりしている彼を皮肉って言ったのだろう。しかし明人は、いつもならそんなものにも無視を決め込んでいるというのに、何故かぽつりと呟いていたのだ。
「この世の終わりなんて、いつ来るかわかんねぇだろ」
その言葉が、不思議とひどく奈月の心に残っていた。
彼も、暗い絶望感と寂しさを、味わった事があるのだろうか。
いつだって、彼は真っ暗だ。暗くて、冷たい。たまに少しだけ笑っていても、目の奥には何処か虚しいものがあって、寒気がするような闇に包まれている。
何だかそれが、少し気に掛かっていた。他人に対してこんな風に興味を持ったのは、初めてかもしれない。
だから、あの時は見逃した。そしてきっと、彼はまだ無事だ。まあ全て奈月の勘なのだが、これは自信のあるところだ。あたしにだって喧嘩と勘くらいの取り柄はある。
ふいに、その勘が鋭く働いた。奈月は背後に何か気配を感じて、ブローニング・ハイパワー9ミリを握って踵を返す。
「だーれだ♪」
ブローニングを向けた先で、茂みががさがさっと動いた。しかし、動いている位置は人間とは思い難い程に低い。ふと、茂みの中からそれが姿を現した。その姿に、奈月は大袈裟に落胆してみせる。
茂みの中からそろそろと出てきたのは、薄汚れた灰色(色合いが妙に不自然で汚い感じだった、元は白かったのだろうか)の猫だった。
子猫のような可愛らしさは無く、充分成長したように大きくなっていたのだが、それでもどこか痩せていた。頬のあたりが、どことなく年老いた感じを思わせる。その猫が奈月に向ける目に濁る不信感からすると、人に懐くタイプにも見えない。きっと、野良なのだろう。

「猫じゃん…もー、つまんないな」
唇を尖らせて奈月がぼやくと、ふいにその猫が動いた。
歩いているのだが、その姿が妙に不自然だ。奈月はその場に屈み込んで、猫の方をじっと見つめる。薄汚れた猫は前足を一本失っており、欠けたその部分は滑稽に見えるほどひしゃげていた。
心無い者に悪戯でもされたのだろうか、猫の眼差しは暗く鋭かった。世界中の全てのものを蔑むような、ひねくれた眼差し。ひきこもりの中学生なんてメじゃないくらいだ。
「……おいで?」
そんな言葉が自分の唇から零れた事に、何より驚いていた。全く無意識に、奈月は猫に向けて言い、小さく手招きをする。自身もそんな声がまだ出せたのかと思うくらい、優しい声色で。
猫は妙に疲れきった視線で、奈月を見つめていた。かなり長い事そうした後、猫は奈月からふいと顔を背け、ふらつきながら茂みの中へ向かっていった。

しばらくの間、奈月はそのままうずくまっていた。
茂みに消えていった猫は、どうなるのだろう? このゲームが終わるまでに、誰かの流れ弾に当たって死ぬのかもしれない。もしも無事のままでこの島に残り続けていられたとしても、きっと一生あんな風に、何も信用せずに、誰にも寄り掛からずに生きていくのだろう。
「…勿体無い、ね」
何も信じなくたって、誰も頼らなくたって、別に結構。
だけど、だからって楽しく生きる事まで諦めてちゃ勿体無いよ。惨め過ぎるじゃん、そんなの。
ほんの小さく呟き、奈月は唇をふっと緩めて微笑んだ。それから自身の頬をぱちんと二回叩いて(らしくもなく物思いに耽ってしまった後の癖だった)、奈月はリュックを肩に引っ掛けて立ち上がる。仕上げにちょっと肩をすくめて戯けた笑みを浮かべると、いつもの陽気で自由気侭な植野奈月の調子も戻ってきた。



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