■74

「何だよ、薄情モンの黒田チャンじゃねーか」
突然現れた
黒田明人(男子6番)の姿に、古宮敬一(男子14番)はさほど驚いた様子も見せず、その口調に嘲笑を混ぜて言った。傍らの藤川猛(男子13番)後藤沙織(女子6番)は驚いたように、明人を凝視している。
明人は二人の方をちらっと見て、それから――敬一の足元、スプラッター映画の精巧な小道具のようなものを腹部から零している
松岡慎也(男子15番)に視線を向ける。その腹部に目をやって、明人は口を開いた。
「ヒトの腹をイチゴ味のモンブランみてぇにしてる奴に、薄情モン呼ばわりされる覚えは無いけど」
敬一と同じどこかおかしな例え方に、猛はちょっと驚いて眉を寄せる。――何、オマエら意外と気ぃ合うんじゃねぇの? しかし例え方は同じでも、それと相性とは別の問題らしい。明人と敬一は互いにただ黙り、睨み合っていた。
どこか口を挟み難いその空気に、猛は口を閉じる。沙織の方は最早放心してしまったように、ベッドに座り込んだまま、ぼんやりと敬一の方を眺めていた。

明人は右手のシグ・ザウエルP232SLをきゅっと握り直し、こんなところまでわざわざ駆け付けてしまった自分に、少しだけ呆れを感じた。
面倒な事は大嫌いだというのに、悲鳴を聞き付けてつい来てしまった。もう他人とは関わりたく無いと思っていたのに、矛盾している。それでも――悲鳴を聞いたのに通り過ぎてしまえば、見殺しにするのと同じになってしまうような気がして、嫌だった。
「…オマエらは、さ」
暫しの沈黙を破り、明人は小さく呟く。少し考えてから、続けた。
「何がしてぇんだよ。見たトコだと、レイプか? 虐殺か?」
敬一はその言葉にちょっと眉を持ち上げ、はっと笑ってみせた。
「別に何でもいーんだよ、んな事は。まあ、強いて言えば――」
応える敬一の口元に、にやっと嫌な笑みが走る。その笑みに形の無い不快感を覚え、明人の眼差しが少し刺々しくなった。しかしそれにも構わず、敬一は続ける。
「楽しいコト」
その言葉に、明人は目元が引き攣るのを感じた。ハァ、そうですか。オマエは快楽主義のSですか。ふーん。明人は小さく唇を噛み、シグ・ザウエルを持った右手をすっと上げる。銃口を空に向けて、もう一度口を開いた。
「気分良いもんじゃねぇな。止めろ」
敬一はまだ、どこか気味の悪い笑みを浮かべていた。銃を見ても臆する様子は無く、挑発するように戯けた調子で敬一は言う。
「や・だ・ねー」

後に続く敬一のひゃひゃっという笑い声にまた疑問を感じながら(何がそんなに楽しいんだよ、人生ってそんなに楽しいもんか?)、明人は空に向けた銃口を動かし、また唇を噛んで――トリガーを、引いた。
ぱん、と銃声がひとつして、敬一の向こう、壁に掛けられた時計の近くに穴が空く。
その銃声に、沙織がようやく我に返ったようだ。びくっと身を震わせて、沙織は壁に空いた穴に視線を向ける。
「――もう一度、言うけど」
明人は小さく息を吐いてシグ・ザウエルを下ろし、じっと敬一を見据える。これで言って駄目だったら、どうなってしまうのか。それは、判っていたけれど――言葉を、続けた。
「止めねぇか」
傍らで猛がひっと声を洩らすのが、敬一には聞こえていた。
ちらっと視線を向けた先、猛は素早く踵を返し、床に落ちていた彼自身の支給武器である鉄パイプだけを拾い上げ、勝手口のドアから飛び出していった。

タケ、逃げやがったか――敬一は逃げ出していった猛を、小さく嘲笑う。別に構わなかった、どうせ猛がただの腰抜けである事くらい、敬一もとっくに解っている。
「オマエもとっとと行けよ。どっかで勝手に消えちまえ」
明人が吐き捨てた言葉に、敬一は嘲笑うように返した。
「あんなヘタレと一緒にすんじゃねぇよ。上等じゃねぇか、黒田チャン?」
何が黒田チャンだ。明人が小さく吐き捨てたが、構わず敬一は慎也の腹部、イチゴ味のモンブランのような塊の中から折り畳みナイフを抜き出していた。
ああ――面倒な事に、なりそうだ。明人は諦め混じりに(敬一が素直に止めるとも思えない)、それを制する。
「オイ、喧嘩売ってるつもりはねぇんだけど」
しかし明人の予想通り、敬一が素直に止める訳は無かった。折り畳みナイフを明人に向け、敬一はまたひゃはっと下品な笑い声を上げて言う。
「関係ねぇべ。オマエはどーにも好きになれねぇかんな」
言い終えてすぐ、敬一がナイフを素早く持ち上げる。
畜生、喧嘩なんて面倒な事は真っ平なのに――明人は思いながらも、ナイフを避けようと動く。しかしナイフは振り降ろされず、代わりに身を捻った敬一が、すっと上に伸びた足を振っていた(フェイントですか、Sの古宮君?)。
流石に喧嘩なんてろくにした事の無い明人と、そういったものにも慣れているのであろう敬一では、実力的にも差が開いているかもしれない。明人は咄嗟に身を屈めて、敬一の足をすれすれのところで避け――ふとそれを、悲鳴が遮った。

「けーいち、ダメぇっ! やだよ、もうこんなのやめてよ!」
ベッドの上、沙織が叫んでいた。敬一はさっと足を降ろし、小さく舌打ちして明人から沙織の方に視線を動かす。
「お願い…さおり、もうあんなけーいち見たくない……もう、止めようよ」
沙織が泣き出しそうになりながら、続けていた。敬一は心底うんざりした表情で、ナイフを明人から放し、それをちらりと沙織に向ける。
ヤバいって、オイ――そのナイフの光、敬一が沙織に向ける嫌悪たっぷりな視線に、明人はやばいと確信した。最初から話して説得できる相手では無い。沙織が殺されれば、事が益々面倒になってしまう。
「古宮――」
言って、明人は再びシグ・ザウエルを敬一に向けた。沙織が悲鳴を上げて、素早く敬一に歩み寄る。
敬一は素早くナイフを握り直し、きゅっと踵を返して明人に向き直った。その素早い身のこなしは全く、いつものだらついた敬一とは別人だった。その口元に広がるにぃっとした気味の悪い笑み以外は。

そのまま敬一がナイフを振り、明人はそれを避けようと後方に退いた。瞬間、足元がずるっと滑り(ああ、滑ったんだ。床に零れた血とモンブランに)――慎也の体の丁度右、明人はどっと腰を付いて倒れた。
その隙を、敬一が逃す訳が無かった。素早く敬一が、ナイフを振りかぶる。その刃の白い光に、明人は目を見開き、思った。殺される。死ぬ――死ぬ!
心臓の鼓動を、強く感じていた。耳を刺すような甲高いブレーキ音が、幻聴のように聞こえて――
無我夢中、だった。自分がそんな風になる事なんて、かなり珍しいような気がする。

銃声が二発、していた。そして明人の指には確かな手応えがあり、手の平も軽く痺れ――撃ってしまった、敬一を。明人は思ったが、それは違った。
敬一が居る筈の目の前には、彼の体を庇うように、沙織が立ちはだかっていた。沙織のちりちりの髪、その下のセーラー服の背中の真ん中辺りに、赤黒い穴が二つ空いているのが、明人には見えていた。
沙織はただ、背中が無茶苦茶に熱くなるのを感じていた。未だに意識が残っているのが、不思議なくらいだった。全身からふっと力が抜けて、よろめきながら敬一の胸に寄り掛かり――それでも残る力を振り絞って、敬一の首に手を回し、彼の顔をぐっと引き寄せる。ほんの少しだけ驚いたように、敬一が目を見開くのが見えた。
泣き出しそうな気分なのに、何故かとても鮮やかな笑顔を敬一に向けて。沙織は彼の唇に、そっと口付ける。
「け…いち、すき……すき、なの」
きっと自分は、とんでもないひとを好きになってしまった。沙織は思いながら、それでも精一杯に、彼への想いを口にする。それでも、口にできないくらい。言葉にできないくらい、痛いくらいに愛おしい。
ぼんやりとした視界の中、敬一の顔が見えていた。その彼の唇が、鳥肌が立つような嫌悪に歪むのが見え――突然、脇腹に更なる熱が込み上げた。沙織は目を見開き、自分の脇腹に何が起きたのか、視線を向けて確認する。
自分の脇腹、はだけかけたセーラー服を貫いて、ナイフが生えていた。
そのナイフの持ち手から、丁度敬一の手(そう、好きだった彼のオトナっぽい手)が、すっと離れていった。ナイフの刃は、しっかりと沙織の腹に刺さったまま。
――なんで?
「最期までうざってぇオンナだな、オマエ」
吐き捨てるように敬一が言うのが聞こえ、沙織は視線を再び上に向ける。視線の先、敬一は恐ろしく冷酷な眼差しで、沙織を見下ろしていた。反吐が出そうだ、とでも言いたげに。
それで、沙織の表情が歪んだ。物理的な痛みだけでない何かが、ぎゅっと胸を締め付ける。沙織は敬一の首筋に掛けた腕を、片方だけふらっと降ろした。片手は彼の首に掛かる、赤く長い襟足の髪に絡めて。
降ろした手に、力を込める。沙織は歯を食いしばり、脇腹に刺さったナイフを抜いた。無茶苦茶に痛かったけれど、それもどこか、もうどうでもよくなっていた。そのままナイフを握ったままの手を再び、するりと敬一の首に絡める。
――どうして?
「……すき…すき、なんだもん……け、いちぃ…」
絞り出すように細い声で、沙織は呟く。
視界が、彼の顔が、涙に滲む。首を抱いた腕。ナイフを握った手。そのナイフが彼の体に沈んでゆく、確かな感触があった。
「わらっ…て、よぉ…っ」
敬一が驚愕したように目を見開き、それでもその口は二度と言葉を発する事も無く、ただほんの一瞬、固まっていたのが見えていた。けれどもう、構わなかった。
なんで――どうして、笑ってくれないの?

ベッドの中でくれた優しいキスも、戯れ合っていたときのあの笑顔も、もう二度と手に入らない。
手に入らないのなら、もういい。せめてこの手で、何もかも奪ってしまおう。
敬一の後ろ首の付け根に、その手に握ったナイフを更に沈めてゆく。沙織は最期の力を全て注ぎ尽くし、最愛の彼の命を奪った。
彫刻のように固まっていた二人の体が、ふいにもつれ合い、そのままどさっと床に倒れ込んだ。首の後ろにナイフを生やしたまま絶命した敬一の体に、沙織は折り重なるように寄り掛かり、愛し続けた彼の胸の中で事切れていた。

「あ……」
三つの死体が転がる床の上、明人はうずくまったまま小さく声を洩らした。
手の平に残る、引き金を絞った時のあの感触。腕の軽い痺れ。
撃った。殺した、殺した――俺が、殺した。俺の所為で死んだ。殺した。殺した。
『――オマエが殺したんだ!』
耳の奥に、昔どこかで聞いたその声がふと蘇り、明人は頭を振るう。その体を伝う震えが、少しずつ大きくなっていくのを、拳を握って必死に堪えていた。



残り13人

+Back+ +Home+ +Next+