■76

「――ふーん。カワイイ従妹ちゃんが交通事故でご臨終、ねぇ」
足元の赤い水溜まりに煙草の吸殻を落とし、
植野奈月(女子2番)はどこか間延びした口調で呟く。黒田明人(男子6番)はその言葉に頷く事もせず、ただ俯き加減に唇を噛んでいた。
口を開いてからは、ただ言葉が紡がれ続けていた。気が付けば、過去の出来事――あの時の、交通事故の事を全て奈月に喋っていたのだ。
どうして彼女に、そんな事を言ってしまったのか。微かな後悔を覚えたが、それでも心のどこかでは、ずっと誰かに聞いて欲しかったと思っていたのかもしれない。
奈月は煙草を吸い、ただ黙ってそれを聞いていた。無駄に相槌を打つ事も、途中で慰めの言葉を挟む事もせずに。

「それが?」
ふと立ち上がり、傍らのベッドに腰掛けて奈月は言う。小さく伸びをして、そのままベッドに寝転がりながら。
「それが……って、何がだよ」
明人は小さく顔を上げて、訊き返す。奈月はベッドに寝転がったまま、天井の模様をぼんやりと眺めて口を開いた。
「だから、それがどーしたって聞いてんの。まさかアンタ、そんなつまんない事ずるずる引き摺って根暗人生やってる訳?」
嘲笑うような声が続く。それに少し腹を立てたように、明人の視線がまた鋭くなった。怒りのこもった声で、明人は言い返す。
「違う。俺は、ただ――」
言いかけたが、言葉は続かなかった。ふと奈月が身を起こし、「何?」と続きを促す。唇を噛み、明人は勢いを失った声で続けた。「……もう、嫌なだけだ。オマエには関係無いだろ」
――結局、諦めてるだけじゃない。奈月は肩をすくめて、呆れ混じりに笑んだ。
それからふと、思い出したように呟く。
「で、なつきっつーのは?」
奈月の問いに、明人はまだ俯いたままぶっきらぼうに応えた。
「従妹の名前。夏に葵で、なつき」
「ナツにアオイ? へぇ、読み方はあたしと同じじゃん。奇遇♪」
何が奇遇だよ、寧ろ不吉じゃねぇか。明人は思いながら、ほんの少しだけ苦笑する。それからはっと、自分の口元に浮かんだその笑みに気付いた。笑ってる。俺、この状況で、笑ってる?
なんだか、妙におかしく思えた。たまらない死臭の中、人を殺したオンナに(そう、確かに彼女は人殺しだ。明人の目の前で
川合康平(男子5番)を撃ってみせた)あんな込み入った昔話をして、おまけに談笑までして――大体、なんでコイツ、何もしてこねぇんだよ。
明人はちらっと、腕の切り傷に視線を落とす。前逢った時、奈月は果たし状だとか何とか言っていたけれど――ならば今、自分をここで殺してみせるというのだろうか?

「なーんか、さ」
ふいに、奈月が呟いた。ほんの軽い口調。「黒田、つまんない人生送ってるよね。生きてて楽しい?」
言いながら、奈月はごく自然な手付きでスカートの脇に差し込んだブローニング・ハイパワー9ミリを抜き出し、明人に向ける。少しだけ体に緊張が走ったが、不思議な事に実感が無かった。銃を向けられているという、実感が。
「…別に、楽しくねぇけど」
応えながら、明人は考える。どうして実感が無いのか? 先程――
古宮敬一(男子14番)にナイフを向けられた時は、もっと緊迫していた。殺される、と思った。これから死ぬと思うと、急に怖くなって――ひとを、殺してしまった。

もう少し、考えていた。どうして彼女だと、実感が無い? それを考え続けるように、繋ぎの言葉を口に出す。
「オマエ……植野は、生きてて楽しいか? 俺には理解できねぇな」
明人の言葉に、奈月は細い眉を持ち上げる。変わらずブローニングを明人に向けたまま、奈月は少し、空を眺めた。
「えー? つーか、なっちゃんには黒田チャンの方が理解できないけど。楽しくもないのに生きてるなんてすんげぇ無意味じゃん、あたしは生きてて楽しいよ?」
言って、奈月は無邪気に笑う。ちょっと悪戯好きな幼い子供のようで、変にひねくれた様子も無い。天真爛漫。きっとそんな言葉が、一番似合う。
ふと、答えに行き着いた。
どうして実感が無いのか? 彼女には、殺意というものがまるで無いのだ。ただ水鉄砲を向けて遊ぶように、自分に本物の銃を向けている。
コイツには、殺人への禁忌が無い。ヒトを殺すのも虫を殺すのも、きっと、同じくらいにしか思ってない――殺される、という恐怖とは少し違う、目眩がしそうになるような変な感覚を、明人は感じた。

「なんで……」明人の口から、言葉が紡がれていた。「なんでだ? そこの…後藤とか、古宮とか……トモダチ、だったんだろ? 死んでて平気なのかオマエ? それとも、最初からトモダチだとも何とも思ってなかったのかよ」
やたらと饒舌になっていると、明人自身も思った。奈月は少しブローニングを下ろしかけて、至極当然の事を言うように口を開く。
「否、好きだよ? さおもけーいっちゃんも、みこもマサもみーんな大好き★」
「だったら、なんで――」
再び明人の口から零れた疑問に、奈月は相変わらず無邪気に笑みを浮かべたまま応えた。
「大好きだけど、やっぱ人間自分が一番っしょ? 他人は他人じゃん。あたしはただ、あたしを最高に可愛がってあげてるだけ。一番喧嘩が強くなった御褒美なんだもん♪」
それだけ言い終えると、奈月はベッドから立ち上がると同時に素早く足を上げる。奈月の短いスカートがひらりと捲れ、白い脚の付け根にピンクの豹柄が見えた。
植野サン、パンツ見えてますよ? ――言っている暇は無かった。奈月の赤い血に濡れたスニーカーの爪先は、実に素早く正確に明人の鳩尾に入る。息が止まりそうな程の衝撃によろめく明人の肩を奈月が掴み、ベッドの上にその体を半ば叩き付けるように降ろした。そのまま奈月は、明人の体に馬乗りになる。

「何……っ」
突然の事に驚く明人の肩に、奈月の赤い髪が掛かる。
唇に、柔らかい何かが触れた。煙草の味、セブンスター。奇遇だね、俺もセッタなんだけど――
しばらく、何が起きたか認識できなかった。一瞬頭が真空になって、それから物凄い速度でその事態を認識しようと脳内で何かがせっせと働いて――ようやく、自分の唇に触れたそれが、奈月の唇だと解った頃には、明人はぐっと奈月を押し退けていた。

「俺はオマエみたいな殺人鬼の快楽主義者なんか、大っ嫌いなんだよ。からかいたいんだったら他行け」
手の甲で唇を拭い、明人は吐き捨てるように言う。奈月はたった今明人に触れたその桜色の唇からちらっと舌を出して、軽い悪戯をした後の子供のようなあどけない笑みを浮かべた。
「あたしだって、アンタみたいにつまんない不幸自慢引っ提げてうじうじ生きてる根暗オトコ、大っ嫌いだよ」
結構な言われ様だ。明人はお構い無しに言ってみせた奈月を、親の仇のように睨み付ける。
「その割には、言ってる事とやってる事が逆じゃねぇか」
「別にー。ただ顔が好みだから、ちょこっとちゅーしてみたくなっただけ」
実に軽い口調で奈月は言い、明人の頬をぴっと指先で弾く。顔が、好み。そんなものは、口から出ただけの言葉だ。ごく普通、十人並みの彼の顔。特徴と言えば、目の辺りにちょっとその冷たさが滲んでいる感じくらいのもの。特別に思った事は無かった。けれど、容姿じゃなくて――

「あと、ね。黒田チャンがもっと楽しそーに生きてるの、見てみたかったかな」
ふと明人から視線を離し、奈月はくすっと笑って呟く。見てみたかった。見て、みたかった。
「……勝手に過去形にすんじゃねぇよ。生身の人間を死人みたいに」
彼女の言葉に返すように、明人も言った。
その声にはほんの少しだけ、微かな笑みが含まれている。――また、笑った。声色に僅かに含まれた笑みを、明人自身も不思議に思った。どうしてこんな時に、笑えるのか。
そう、きっと自分はここで死ぬ。床には自身の支給武器であるシグ・ザウエルP232SLがあったし、奈月を突き飛ばしてそれを拾い上げる事だって、しようと思えばできるけれど――
しかし、そうしてどうなる? 床の銃を拾い上げて、奈月を撃つ?
そうして、生き残っていって――もし、優勝しても。これからもきっと、無意味な人生が続いてゆく。明人にはどうしても、自分の人生がクラスメートの死と引き替えにするほど価値のあるものだとは、思えないのだ。
“つまんない不幸自慢引っ提げてうじうじ生きてる根暗オトコ”。奈月の言葉も大方正解だ。自分は過去と向き合おうとする事も、乗り越えようとする事もしなかった。生き抜いてゆく事に背を向けて、いじけてる弱虫の負け犬。それだけ。
自嘲的な笑みに口元を歪ませ、明人は小さく彼女に問う。
「俺を、殺すのか」
「そーだね――」奈月はちょっと小首を傾げて、にっこりと笑う。彼女は本当に、よく笑う。「黒田チャン、どーせ生きてたってつまんないっしょ? あたしがとっとと殺してあげても、いいかなって」
奈月は笑顔のままだ。ひとりの人間の生死をほんの気紛れに決める、鮮やかな程の残酷さ。無邪気であるが故にその残酷さを増した、彼女の笑顔。
明人は未だに至近距離にある奈月の顔を、じっと見据える。そんな彼を、奈月も怪訝そうな表情を見せる事も無く、ただ見つめ返す。無邪気な笑みを浮かべたまま。

いつだって、彼女は眩しくて、熱い。何故だか、明人はそう思った。
灼熱の太陽みたいに明るく、容赦無く照らし続ける。ただ光の射さないところでひとりうずくまっていたいだけなのに、彼女は影場なんて作ってくれやしない。他人に踏み込んで欲しくない、寒くて真っ暗なところにまで、お構い無しに進入してくる。
けれど――彼女が入ってきてくれなかったら、きっとずっと寒いままだったと、思う。
今は、涼しい。真っ暗で寒かったここに、ほんの僅か、彼女の光が射し込んで。

開け放された勝手口のドアから、ふいに涼しげな風が吹き込む。
ああ、まだ7月になったばっかだっけ――ふとそんな事を思い、明人はちらっと奈月から視線を離した。奈月の赤い髪が揺れて、明人の頬に掛かる。柔らかい猫っ毛。妙にくすぐったかった。
「まだ、7月になったばっかだもんね」
奈月は小さく呟き、彼の頬に掛かった髪を指先で払う。
「…そうだな」
これから殺す者、殺される者の会話としてはちょっと変わってるな、と思いながら、明人も応え、一言付け加えた。

「オマエさ、これからどーすんだよ」
少しだけ空を眺めて、奈月はまた顔に笑みを広げる。
「てきとーにやってくよ。楽しく楽しく♪」
全く軽い口調で言う奈月からは、強い意志が――生き残りたいだとか、そんな生への執着が、感じられなかった。
来るべき時が来れば、いつものように戯けた明るい笑みを浮かべ、颯爽と潔く人生に幕を降ろしてしまいそうな。そんな自由気侭な、縛られない感じがあった。
そんなのも、彼女らしい。死ぬ間際になったって、どうって事無いよ、みたいな顔をして。
「あのさ――オマエ」
言いかけた言葉を、奈月が遮る。「オマエ、じゃないもん。植野奈月ちゃんですよー」
植野奈月。彼女の、名前。
月。太陽みたいに眩しい彼女にも、先程垣間見たような闇があるのだろうか? 黄金に光るそれの裏側は、真っ暗で、冷たくて。傷付いて、ぼこぼこのクレーターだらけで?
――俺には、判る事じゃねぇな。

明人は首をすくめ、小さく息を吐いて、もう一度口を開く。
「植野奈月サン」
「何?」
変わらず人懐っこい笑顔のまま、奈月は訊き返す。彼女の赤い髪を掻き上げて、明人はその後ろ首にそっと手を掛けた。明人の口元に、皮肉めいた笑みがちらっと浮かぶ。
「オマエなんか、大っ嫌いだからな」
掛けた手に、力を込める。
どうして、こんな事をしているのか――。彼女がどんな人間であるか、彼女がどれだけの人間を殺してきたか。それだけはちゃんと解っているつもりだ。それでも――真っ暗なココロに、世界中でたったひとり、とても強引に、眩し過ぎるくらいの光を向けてくれた人間だから?
触れたいと、思った。ほんの少しだけでいい。彼女の熱が欲しい。
ほんの少し、一瞬だけ。明人は、奈月の唇に自分のそれを、当てた。

「憶えとけよ、植野奈月。オマエなんか世界で一番大っ嫌いだ」
幼い頃、世界で一番大切だった彼女と同じ名前で。
明るくて人懐っこくて、天使みたいな顔をして。
その癖に、無茶苦茶残酷で、自分勝手で、気紛れで。
他人の心の中に土足で入ってきて、悪戯に掻き回して。
だけど引っ掻き回すだけじゃなくて、光をくれて。
馬鹿馬鹿しくなる。
憎んで、求めて。
こんなに心乱されて。
植野奈月。オマエなんか、大っ嫌いだ。

ほんの一瞬、奈月は驚いたように目を見開く。しかし――すぐ、その口元にいつもの戯けた笑みが浮かんだ。
「オッケ、憶えとくよ。あたしだって、アンタなんか大っ嫌いだかんね」
言いながら、ブローニングを握る右手を上げた。銃口を、彼のこめかみに当てる。
散々焦らしやがって――そう言いたげに、明人が小さく息を吐いて笑った。天使のような奈月の笑顔を見て、明人は瞳を閉じる。ふと、思い返した。もしかしたら友達になれたかもしれない、と思った彼の顔――王子サン。あのコ、ちゃんと大事にしてやれよ。
それから目を閉じたまま、奈月に向けてもう一度、微かに笑んでみせた。とっととやれよ、憶えとけ。心の中で、呟きながら。
大丈夫。憶えといたげる。
奈月も、心の中でそっと呟く。明人にそれを伝えるように、もう一度だけ、口付けてみる。
最期に彼が覚えたのは、セブンスターの香り。

「……バイバイ」
指に力を込めると、あまりにもあっけなく銃声は響いた。びくん、と明人の体が大きく揺れて、その側頭部が弾ける。飛び散った脳漿が、奈月の髪に頬に、降り掛かっていた。
奈月はブローニングを傍らに投げ出し、ぼんやりと彼の穏やかな表情を眺めていた。
冷たい感じのする、切れの長い目元は、そっと閉じられて。眠っているように、唇は力が抜けて。ただ、爆発した側頭部だけが、合成写真のように異質なものに感じられた。
頬に飛び散った脳漿を指ですくい取り、奈月はその指先に視線を向ける。
赤でも白でも、灰色でもピンクでも無く――ひとことでは言い切れない色を、していた。様々なものが混じり合っているのだろう。明人の脳だとか、血液だとか、頭蓋骨だとか――他に何かあったっけ? 体液とか、あたし、よくわかんない。ま、理科室の人体模型だって小学校の頃悪戯して遊んだくらいの縁しか無いし、ね。

しばらくの間そうして眺めた後、奈月はお菓子を作っている間に零れたクリームを扱うかのようにごく自然な手付きで、その指先に付着したそれを口に運んだ。
唇で拭って、舌で綺麗に舐めて。形容し難い匂いが広がったけれど、何故か拒否反応は出ない。構わず、ゆっくりと飲み込んだ。
彼の一部を、体内に入れる。彼の存在を、あたしの中に、残してゆく。
「……アンタ、なんか」
――だいっきらい。
そう続く筈だった言葉は、ほんの微かに零れた嗚咽に掻き消される。奈月の頬を伝う透き通った滴が、まだ頬に残る彼の脳漿と混じり、薄く濁っていった。



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