■80

心臓が早鐘を突くように高鳴るのを抑えて、
吉川大輝(男子19番)長谷川美歩(女子12番)の露になった白い脚を見つめていた。
元通り、シーツを被せてあげなくては。ふと思い立って、大輝は落ち着かない手付きで彼女の脚の横、ベッドに滑ったシーツに手を伸ばす。瞬間手の甲が美歩の肌を掠め、大輝の心臓は再度派手にジャンプする事となった。その滑らかな柔らかい肌の感触に、思わず股間の辺りが熱くなる。
――わわわわわわぁっ!
大輝の顔――というか首の上全体が、ぼっと火が点いたように赤くなった。心拍数は上がりに上がり、ちらっと視線を落としたズボンの前は――見事に、膨らんでいた。
最早、自身で制する事のできるものではなかった。
ただ目の前で眠る彼女に、もっと触れたい。そんな本能的な欲望だけが、大輝を突き動かしていた。

大輝は導かれるように手を動かし、美歩の白い頬にそれを当てる。初めて触れたそれは思い描く通り、とても柔らかな優しい感触をしていた。
音を立てないようにそっとベッドに膝を乗せ(それでも少し軋んだが)、大輝はそのまま、美歩に股がるような姿勢になった。
その体を少しずつ前に屈め、彼女の赤い唇にそっと、自身のそれを重ねる。ドラマや漫画で見るようなものの見様見真似だったのだが、大輝はその柔らかい感触に、また鼓動が速まるのを感じた。慣れない煙草の香りに少しくらっとして、理性が溶かされてゆく。
美歩の唇に舌を這わせ、小さく音を立てて吸い上げてみる。ちゅっと漏れた高い水音に、また股間に熱が走る。大輝はゆるゆると唇を離し、ぼんやりとした目で、インディゴブルーのニットによく映える彼女の白い肌を見つめた。
キスまでされて起きないとは、ちょっと意外だったのだけれど――そんな事は、どうでもよかった。壁一枚向こうに他のクラスメートたちが居る事すらも、もう。
ただ、もっと触れたい。もっと、もっと、もっと、もっと――…。

ミルクのような色の肌に、大輝は顔を埋める。微かに、爽やかな潮風の香りがして――それからふわりと、花か果物に似たような、甘い香りが鼻腔をくすぐった。きっとこの状況、一日以上お風呂にも入れなかったに違いないのに――ああ、これが“オンナノコの匂い”ってヤツだ。心地良いその香りに、大輝はほっと息を洩らす。
ほっそりとしたラインを描く美歩の首筋に唇を当て、大輝はその肌にしゃぶり付いた。
右手はそれとなく彼女の左手を押え、左手でニットを捲り上げる。ブラジャーを着けていない裸の胸を指でなぞり、体全体は細い割に肉付きの良いその感触を、手の平で楽しんだ(美歩を着替えさせた
横井理香子(女子18番)のそれとサイズが合わなかった為ブラジャーを着けていないのだが、大輝はそれを知らない。因みにその時理香子が「どうせあたしは胸無いよ」と小さくひとりごちた事も、当然大輝は全く知らなかった)。
彼は、夢中になっていた。



背筋の辺りが、妙にざわつく。体中をまさぐられるような嫌な感触と共に、美歩はうっすらと目を覚ました。
とろんとした寝ぼけ眼が、自身の鎖骨の辺りに顔を埋める吉川大輝の頭頂部(アヒルかなんかみたいにちょこちょこ立てた前髪が見える、彼に違いない)、続いてニットの中に侵入した彼の左手、自分の手を無造作に押えその動きを奪う右手を捉え――驚愕に一瞬、その瞳が見開かれる。
体中の血液がざあっと引くような感覚がして、寝起きのぼんやりとした頭に一瞬にしてスイッチが入った。突然の事態を認識しようと、美歩は思考回路をフルを動かす(何? 吉川? 何コレ、何ですか、コレ)。
ふいに、顔を上げた大輝と視線がかち合った。あまりの事に美歩はしばらく、口をぱくぱくと動かし――ようやく、言葉が声となって出た。
「――何の、真似? コレは?」
それで、大輝が少し焦燥の混じる笑みを浮かべて(ああ、こーゆうカオ。嫌いだわ)閊えながらもどこか急くような口調で、応えた。ニットの中をまさぐるその手の動きは、止めないまま。
「否、ほら――俺、長谷川の事、ちょっと、いいなって――笑った顔とか、そーゆうの――可愛いな、って、思ったんだ――好きなんだよ」
自分の顔が嫌悪に歪むのを、美歩は感じた。先程から続く生理的なものとは少し違うような、それでも確かに、不快感と呼べるものだった。
何? 吉川くん、アナタは
高橋奈央(女子9番)チャンが好きなんじゃなかったっけ? で、愛しの高橋サンが死んじゃったらお次はあたしですか?
アンタにとって“好き”ってそんな安いもん? カップヌードルみたいにお手頃で、ささっとできちゃって。お湯を注いで三分待てば出来上がり、冷めないうちに召し上がれ、っつーの? あっはは、お笑いじゃん。だけどね――
黙って喰われちゃ、こっちは堪ったもんじゃねーのよ。バカ。

きゅっと唇を噛み、美歩は包帯を巻いた右手(横井理香子との事があった時に負傷し、イマイチ動きが鈍っていたが、それでも何もしないよりはマシだ)で大輝の肩を押し退けようと、力を込めた。
しかし大輝はニットからするりと左手を抜き、そのまま美歩の右手をベッドの上、彼女の頭上に押え付ける。痛みに美歩が顔を歪めたが、大輝は続いて彼女の左手も同じ位置に押え込み、その華奢な両の手首をまとめるように左手一本で押え付けた。空いた右手は、またニットの中に滑らせて。
「やめて、大声出すよ? ねぇ、痛…っ」
美歩が言いかけた言葉は、途中で遮られる。抵抗する事すら許さぬように、大輝は美歩の唇を貪っていた。煙草の香りにまた、頭がぼんやりとするのを感じる。
不意を衝かれて開いたままだった美歩の口内に生温い舌を絡め、言葉を奪う。それでも必死に抵抗しようと脚をばたつかせる美歩を大輝がまた制し、互いの脚がもつれ合う。

大輝はただひたすら、求めていた。
ニットの中、しなやかに揺れる二つの膨らみ。ボリュームも弾力もほどよくあるそれは、特大のマシュマロのような心地良い感触をしていた。

「…んっ、う……んー」
口内を舌で無茶苦茶に掻き回されながらも、美歩は抗議の声を上げる。それすらも最早、大輝の耳には喘ぎ声にしか聞こえていない。
大輝の情欲に狂ったその眼に、美歩はそれを悟った。彼は最早、何も考えられなくなっているのだ。ただ雄が雌を求めるように、本能のままに自分の体を貪っている。原始的な、獣じみた欲に任せて。
「なぁ…長谷川」透明な糸を引いて、大輝が一度唇を離す。「……いいだろ」
言葉と共に、彼の手がくびれたウエストのラインをなぞり、下に降りていく。
美歩ははっと目を見開いた。ショートパンツのジッパーを開く音が耳に届き、大輝の手が、下着の中にまで侵入する。そこが全く、熱も湿気も持っていない事にも構わず(当然でしょ、こんな時に濡れちゃうほどあたしは淫乱じゃない)。

「嫌っ、やめ――」
美歩が上げた悲鳴は、再び大輝の唇に遮られた。
抵抗する言葉も、その華奢な体の動きも、虚しく大輝に制されてゆき――美歩が声ならぬ悲痛な叫びを上げるのと同時に、その体の中心部、爪の引っ掛かった鋭い痛みと、膣内に侵入したおぞましい異物感が電撃のように体中を駆け巡った。
―――気持ち悪い!
乾いたままのそこに、挿入された指。爪が傷を付けたのか、ちりっとした痛みも同時に走ったのだが――そんなものはもう、強引に差し込まれた指の感触に比べれば大したものではなかった。
怖くて、痛くて、気持ち悪くて――堪えられなかった。
確かに美歩はこれまで男性経験が一度も無かった訳ではないが(初めての時は中学二年の夏、丁度理香子との事でふさぎ込んでいた時だった。気晴らしのつもりだった、今思えば浅ましい行動に走ったものだと反省しているが)、それでも無理強いされる事がこんなにも不快で、怖いものだとは、今の今まで考えた事も無かった。
彼の指がそこに侵入した瞬間、リアルな異物の感触に対する嫌悪と、得体の知れない虫に毒を注入されるような恐怖が胃を締め付け、吐き気すら覚えていた。切れの長い目元に涙が溢れ、美歩はぐっとそれを堪える。夢中になってもがき、口内を掻き回す彼の舌に歯を立てた。
舌に鈍い痛みが走り、大輝は慌てて唇を離す。大輝が怯んだ隙に美歩がその体を無茶苦茶な力で押し退け、逃げるようにベッドの端へ後退る。口内に広がる痛みと錆の味に大輝は顔を歪めたが、それでもその衝撃で、僅かに理性が戻ってきていた。

「長谷川……その、俺、ごめん」
ベッドの端で自身の腕を抱いて縮こまる美歩に、大輝はそろそろと手を伸ばす。その腕に手が触れかけた瞬間、美歩はその手を強く振り払っていた。
「触んないで。次、やったら――」美歩は濡れた瞳で、大輝のすっかり膨れ上がった股間を忌々しげに睨み付ける。「今度はそいつ、噛み切ってやる」
力強く言い放った美歩は、頬を伝う涙を拭う事もせず、怒りの宿る瞳で大輝を睨み続けていた。その眼差しと彼女の涙に、大輝の思考回路のスイッチがようやく、そう、ようやくオンになる。ああ――怒っているのだ、彼女は。本気で。
そう思った途端、つい今まで自分が美歩に対してしていた事が、急速に恥ずかしいものに感じられた。そして自分を睨む彼女に何と言葉を返せばいいものか考え、それでもその視線にこもる怒りの強さに思わず目を伏せた、そのとき――

「――おい、吉川?」
安池文彦(男子18番)の、声だった。少し間を空けてから、がちゃっと音を立ててドアが開く。中に入りかけた彼は、部屋の中の光景に足を止め、目を見開いて立ち尽くした。
無理も無い。そこにはベッドの上の男女(それも女の方は服も乱れている)、おまけに見ただけで判る程に尋常でない空気が漂っているのだ。
ふいに美歩が、大輝から文彦に視線を移す。その眼差しには、安堵と衝撃の混じったような複雑な色があった。
「コレは――」
どういう訳か恐ろしく落ち着いた、いつもの安池文彦の顔で、彼は言った。
「両者、合意の上か?」
言いながら、文彦は一歩ずつベッドの二人に歩み寄る。続いて文彦の後ろから、横井理香子と
大野達貴(男子3番)も姿を覗かせた。
二人とも驚きを隠せず、ただこの状況を受け止めるのが精一杯だった。一番後ろ、ドアの陰からは
鈴村正義(男子8番)が恐る恐る室内を覗き込んでいる。

大輝は文彦の言葉に応える事も、彼に顔を向ける事すらもできず、ただ俯くだけだった。幻想が一気に消え失せ、夢から覚めてしまったような感覚。無性に泣きたくなって、大輝は唇を噛む。
しばらくの間、美歩は複雑な色の眼差しのまま空を眺めていたが――ふいにその色がすっと失せ、美歩は怒ったように文彦を見た。
先程まで大輝に向けていた嫌悪に近い怒りとは、少し違うような。きっとこんな状況でなければ、ふざけ半分にもなり得るような眼で。
「安池…あんた、さ。あたしがこんな時に喋ったこともないオトコとヤりたいなんて考えるようなバカだって、思ってる訳?」
美歩の言葉に、文彦の表情がふっと緩む。とても大切なものに向けるような優しい微笑を、文彦は彼女に返していた。
「…否、思わないよ」言いながら、文彦はゆっくりと大輝に視線を移す。
その表情からは、既に――笑みが、消えていた。
「長谷川がそんな女だとは、俺には思えないな」
ベッドの上にあった筈の大輝の体が、軽く宙に浮く。文彦に、胸倉を掴み上げられていた。
大きく見開かれた大輝の目に、恐ろしく無表情な文彦の顔が映り――頬に走った鈍い痛みと共に、大輝の体は宙を飛び、床に叩き落とされていた。
噛まれた舌の痛みよりも、殴られた頬の痛みよりも、まだ余韻の熱が残る自身の“そいつ”が、ただただ――
痛く悲しく、虚しかった。



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