■84

「すずチャン、どーしたんだよ? 居るんだったら開けてくれよ」
拳で忙しなくドアを叩き、
安池文彦(男子18番)は言った。その隣、長谷川美歩(女子12番)はトカレフTT-33を握り、その場に立って様子を伺っている。先程――そう、丁度12時46分頃だ、鈴村正義(男子8番)の不在に美歩が気付くのとほぼ同時に、突然家の中に銃声が一発、響いたのだ(同じ頃、外からも銃声が聞こえた)。
家の中の銃声は隣室から聞こえ、加えてそこには中から鍵まで掛けてあった。だとすればそこに正義が居る事に、きっと違いは無いのだ。しかし――
その銃声。まさか家の外から、誰かが侵入したのだとすれば? 正義は――死んでいるかも、しれない。嫌な想像を振り切り、文彦はまたドアを叩く。

「安池、危ないからどいて」
美歩が唇を噛み、握ったトカレフをドアに向ける。ドアノブの辺りに狙いを定め、緊張に震える手に力を込めて(そりゃ、銃なんか撃つの初めてだし)、トリガーを引いた。
しかし銃弾は狙いの遥か上、ドアの上部、木製の部分に穴を一つ空けただけだ。肩まで伝わる強い反動に、美歩は顔をしかめて呟く。「ギブ、絶対無理。不可能だって」
文彦が美歩の手からトカレフを受け取り、代わってもう一度、撃った。そちらは幾分、様になった感じだった。ドアノブは綺麗に爆発し、美歩が思いきりドアを蹴破る(おいおい、女がそんな事)。
派手にドアが開くと、途端に嫌な血の匂いが広がった。
予感が的中し、文彦は驚愕に一瞬固まり――傍らで、美歩も硬直しているのが判った。

壁に寄り掛かったまま事切れている鈴村正義の体が、美歩の視界に入っていた。
正義の頭はぐったりと力無く俯き、白かった筈の壁は、赤だか黒だか判らないようなものにべっとりと汚れている。手で押えた口元から、無意識に掠れた吐息が洩れるのを、美歩は感じていた。
「王子あーんどハセミホちゃん、見っけ★」
ベッドに腰掛けるように寄り掛かっていた
植野奈月(女子2番)が軽やかに言いながら、こちらに銃のようなもの(黒田明人(男子6番)の支給武器だったそれは、シグ・ザウエルP232SLだ)を向けていた。その銃口は立ち尽くす文彦と美歩の間、ちらちらと揺れる。どちらにしようかな、みたいな感じで。

ふいに文彦が、右手に握ったトカレフをすっと持ち上げた。
奈月が微かに反応し、狙いを文彦の方へ定める。銃口を奈月に向けながら、文彦はその薄い唇をぐっと噛んだ。狙いがこちらに来るならいい、こっち狙えよ、植野のなっちゃん。
「おバカな王子だねー」
唄うように奈月が呟いたのと、同時だっただろうか――突然肩を思い切り突き飛ばされるような感覚がして、文彦の体はぐらりと横に傾いていた。続いて銃声が一発、耳に届く。
文彦は目を見開いていた。揺らいだ体の向こう、美歩の体が崩れていくのがゆっくりと、スローモーションの映像のようにゆっくりと、見えていた。
「あ……」
微かに、声が洩れる。そのまま叫び出しそうになる衝動を抑えて、文彦は大きく頭を振るい、美歩の元へ駆け寄った。
床に崩れた美歩の、白い右の大腿が綺麗に撃ち抜かれているのが見えた。彼女の顔を覗き込み(蒼白になっていた、そんな表情を見たのは初めてだ)、文彦は無意識に深呼吸をして、震える唇を開く。動揺していた、情けないくらいに。
「長谷川――大丈夫、平気、か?」
美歩はまともに答える事もできず、ただ小さく頭を振るっていた。これまでに体験した事のないような痛みが下半身から全身に伝わり、きつく握った手の平に嫌な汗が滲む。赤黒いどろっとした穴の空いた脚はひどくグロテスクなものに見え、とても自分の体の一部だとは思えなかった。思いたくもなかった。

少し意外そうな表情、それでも笑ったままこちらを眺めている奈月。
そんな彼女に睨むような視線を向けたまま、美歩は口を開いた。
「なに…何なの、あーもう! 訳解んないよ、大体ハセミホっつーのやめてよなっちゃん! 川が抜けてんのよ、川が!」
突然に撃たれて、気分が高ぶっていたのか。次から次へと怒りが沸き上がり、しかしその怒りをどう言葉にすれば良いのかも解らず、何もかもが絡まり、もっと訳が解らなくなって――結局、口を衝いて出た言葉がそれだ。脚を撃ち抜かれたというのに、呑気にも不本意なニックネームにケチを付けるオンナがどこに居る? 否、ここに居るんだけど――ああそう、それが何か? どうだっていいよそんなの。もういい、あたし知んねぇわ。
何故か無性に、馬鹿馬鹿しくなった。
込み上げる怒りは妙な脱力感となり、腿の痛みとともに美歩の体内を重く泳いでいく。文彦は驚きにぽかんと口を開き、場にそぐわない奈月の明るい笑い声が弾けた。
「あははっ、ごめんごめん。ハセガワミホちゃんね」
きちんと川を付けて奈月が言い直し、笑いの合間から言葉を洩らした。「おっもしろいねぇ、ミホちゃん。なつき、こーゆうコ大っ好き♪」
そう、大好き。大好き――だけど、残念だね。お別れだわ、ハセガワミホちゃん。

ふいに笑いを止め、奈月はきゅっと唇を噛む。噛んだ唇から、今度は先程のそれとは違う、含み笑いのようなものを零し、奈月は再び口を開いた。
「――二人も、ヤバイんじゃない? もーそろそろ、さ」
言い終えると同時に、奈月は窓の前に立ててあったクローゼットを片手で思いきり薙ぎ倒した。これくらいは余裕で倒せる、教室でしょっちゅう
久喜田鞠江(元担任教師)のデスクをひっくり返していたのだから。
騒がしい音と共にクローゼットが倒れ、手元の腕時計に視線を向けていた文彦が顔を上げる。それを視界の隅に認めると、奈月は身を翻して硝子の窓を大きく開き、「じゃぁねーん♪」の言葉と共にそこからひょいと飛び降りた。身軽に外の地面へと着地し、奈月は口笛を吹いて走り出す。

窓の向こうに見える、走り去ってゆく奈月の姿。それを呆然と眺め、文彦はぽつりと呟く。
「……そうだな」
再び腕時計にちらっと目を落とし、文彦は唇を噛む。時計の針は、もう50分を少し過ぎていた。
「もう時間がない。長谷川、立てるか?」
文彦は身を屈め、その場にぺたんと座り込んでいる美歩の顔を覗き込む。ようやくいつもの冷静さを取り戻してきたようだ、文彦は尚も自身を落ち着かせるように小さく息を吐く。
重い痛みに、美歩の体は微かに震えていた。震えを堪えるようにきつく口元を引き締め、美歩は「立てる」と短く応えた。負傷していない左の膝を立て、床に手を突いて力を込める。文彦が脇に手を入れて援助すると、どうにか美歩は立ち上がる事ができた。痛みはひどいものだったが、大丈夫だ。何としても、1時までにこのエリアを出なければならない。

彼女に肩を貸したまま、文彦は壁際に崩れている鈴村正義の体に視線を向ける。何かを堪えるようにぐっと唇を噛み、それから深く息を吸って、文彦は口を動かしかけた。
「行くぞ」。声になれば、きっとそういった類の言葉になっていた筈だ。
しかしそれが声になる前に、別の声が聞こえていた。そう遠くない場所から、確かにあの高く明るい声が。
「プレゼンツ、ふろーむ――」
言葉はそこで一度途切れ、文彦は大きく目を見開いた。
間違い無い、植野奈月の声だ。何故? 一体何だと言うのだ、全くもって訳が解らず、美歩もその表情に困惑の色を浮かべる。
「ラブリー★なっちゃーん!」
続いた声と、ほぼ同時だった。開け放された窓から、空き缶くらいの大きさの何かがひゅっと空を斬り、正確にこの部屋へと投げ込まれてきた。美歩はそれの正体を見て、愕然としていた。
勿論それは、空き缶である訳が無い。戦争映画か何かで見たそれと同じような、小さいパイナップルのような――。それが奈月からのプレゼントであるなら、とんでもないプレゼントだ。全然ラブリーじゃねぇわ、ていうかデンジャラスじゃん?
思考終了まで、約一秒。その思考が途切れ、頭が真空になる。
美歩の体が恐怖に、本能的な死に対する恐怖に捕われ(そう、怖いんだあたしは。アホくさい事に)、すくみかけた時だった。
「―――!」
体を掻き抱かれる感触。抱えられるように体が浮く。名前を呼ぶ、彼の声。
それに一瞬遅れ、凄まじい轟音が鼓膜を突き刺し――
温かな彼の腕に強く抱かれたまま、美歩は意識を失った。


物凄い爆音が耳に届き、
横井理香子(女子18番)はふと足を止める。これまで既に幾度も、銃声のようなものが聞こえてはいたのだが――今のものは、それらとは比にもならない程に凄まじかった。
少し遠く、東の方からその音は聞こえていた。東。元来た道の方向。つまり、文彦たちの元から聞こえたのだ。
背筋の辺りを冷たいものが走っていくような感覚を覚え、理香子はぎゅっと自身の腕を抱いた。瞼の裏に、美歩の不安に満ちた眼差しが蘇る。木々の間からざあっと風が吹き、右耳の上で一つに結った髪が、揺れた。
まさか――嘘、そんな訳、無い!
そう信じたかった。絶対に彼女は無事だと、信じたかった。
しかし、証明できない。そんな確信はどこにも無く、理香子の心はただ重い不安だけに覆われていた。無意識に足がじりっと動き、スニーカーの底が土と擦れる音が、やたらと大きく耳に届く。

クラスメート達の顔が、頭に浮かぶ。
先を行ってしまった二人。残してきてしまった三人。
判らなかった。進めばいいのか、戻ればいいのか。
しばらくの間、理香子はただ、その場に立ち尽くしていた。



残り9人

+Back+ +Home+ +Next+