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迫田美古都(女子7番)にとって、兄の真佐樹の存在は何よりも大きなものだった。それは他人から見れば、ブラザーコンプレックスを超えたある種の恋心に近いものだった。美古都自身、自分が兄に対して抱いていた感情は、恋なのかもしれないと思っていたので。
とにかく、もしもその感情が恋だったとしても、美古都にとっては何の問題もないことだった。二人は、血の繋がっていない――つまり、義理の兄妹だからだ。美古都の今の父親は、小学4年生の頃に母親が再婚した義理の父で、実の父親は美古都が物心つく前に離婚したと母親は言っていた。

そして、その義理の父の連れ子が兄の真佐樹だった。母が再婚したときに、今の家に引っ越していたのでこのことを知っている同級生はいなかった。
母親は仕事が忙しいと構ってくれず、義父ともなじめずにいた美古都が唯一心を許したのは真佐樹だけだった。年は3つしか違わないのにとても落ち着いたしっかり者で、いつも美古都の色々な話を聞いてくれた。
転校したてで、友達ができずに悩んでいたこと。
隣の席の女の子が、初めて話しかけてくれたこと。
友達とケンカして、その後の数週間少しいじめられたこと。
3ヶ月後、ケンカ相手に謝られたけれど相手にしなかったこと。
バレンタインに、少し好きだった男の子にチョコレートを渡したこと。
中学に入った日、初めて堪らなく苦い煙草を吸ったこと。

どんな話でも、一緒にお茶を飲んだりしながら最後まで聞いてくれた。美古都が少しずつ不良仲間との付き合いを深めていく中、自分とは逆で成績もよく、どちらかというといい子ちゃんタイプの兄にこんな自分をどう思うか尋ねてみたときには「まだ中学なんだから、思いっきりやんちゃすんのもいいんじゃねーか? でも体は大事にしろよ、女の子なんだから」と笑っていた。髪を染めたり煙草がバレたりして母親と喧嘩したときには、そっと仲裁に入ってくれた。

そんな優しい兄に、美古都はいつしか恋心を抱いていたのだ。そして、兄も自分のことをとても大切にしてくれていた。学校でも案外モテるらしく、たまに付き合っている女の子を家に連れてきたりしていたが、全て相手に迫られて断りきれずに付き合っていたのだと兄から聞いていた。
美古都から見ても、兄はしぶしぶ付き合っている様だったし、その女たちよりも自分の方が兄から大切にされているという自信があった。

とにかく、美古都にとって真佐樹は「この世で一番大切なもの」だったのだ。

そして兄にとっても、自分は誰よりも愛されている――意味は、美古都のそれとは異なる、つまり兄妹愛だが――自信があった。

しかし、それは突然破られた。その日、風邪で寝込んでいた美古都のところに
多村希(女子10番)が見舞いに来たのだった。希とは小学生以来(まだ、美古都が無垢な子供だった頃)の付き合いだったが、家に入れたのは初めてだった。
美古都が寝込んでいたとき、希は真佐樹と少し話をしていたらしい。そして、希が帰った後――兄は、ベッドの隣にココアを運んできて、言ったのだ。

「さっきの希ちゃんって子、いい子だよなぁ。俺、好きんなっちゃいそう」

これには、風邪で38度2分の熱にうなされていた美古都も飛び起きた。
はぁ? 今、なんて言ったんだよ兄ちゃん。希は性格はイイコだけど、肌黒いし、ヤセすぎてガリガリだし、顔は言っちゃ悪いけどちょいブスいし、地味だし、目立たねぇし。
「えー? マジで? 好きんなったりしないよね?」
冗談半分で美古都が言うと、真佐樹は照れ笑いを浮かべて返した。
「俺、マジかも。あーゆう子、弱いんだよなぁ」
…マジ?
美古都がしばらく固まったのも、無理はなかった。実際美古都の言ったことは当たらずとも遠からずだったし、他人から見たとしても真佐樹と希はまず、釣り合わないだろう。

美古都は兄が本気にならないことを祈ったが、美古都の願いに反して二人はどんどん距離を縮めていった。希にもその気があるらしく、遊びに来る回数も増えた。そして、気がつけば真佐樹は希に完全にハマってしまっていた。
前のように、のんびり話をしたりする事も少なくなった。休日は希とデートしたり、家に希が遊びに来たりしているので美古都はつまらなかった。

二年の冬休み、二人が付き合い始めてからの美古都は無茶苦茶だった。何もかもがどうでもよくなって、クスリに手を出したり男とセックスに耽ってばかりでいたり、物を盗んだりして一日中遊んでいたかと思えば、途端に「兄ちゃんが好きなタイプのオンナになって、希から盗ってやる」と真面目に学校に通ったり、髪の色を黒に戻したり、勉強を頑張ったりしていた(勿論、こんな生き方は美古都には合っていないので、長続きしなかったが)。
どうすれば兄は自分を見てくれるのか、毎日そればかり考えていた。そんな風にうじうじした自分も、それでも真佐樹を嫌いになれない自分も、何もかもが嫌だった。それを振り切るように、夜の街で仲間と騒ぎ続けた。翌朝、部屋に「遊びもいいけど、体に気をつけろよ」なんてメモが残してあったりして(もちろん真佐樹の字だった)、余計にやるせなくなった。

そして――そして、希は美古都の苦しみも露知らず、毎日平和に過ごしているのだ。

ずっと、希が妬ましかった。幸せそうな笑顔が、とてもとても妬ましかった。

「みこっちゃん?」
そして、その憎い多村希が今、自分の足元に座り込んでいる。
「なんで? どうして、こんなことするの?」
美古都は足元で、目に涙をためて自分を見上げる希を睨みつける。
「ハァ? そんなん決まってんじゃん。あたし、希のコトマジ嫌いだしね。ふつーに」
「…なんで? なんで? あたしたち、友達じゃなかったの?」
希の声は震えていた。

「…何、言ってんだよ」
美古都は支給武器の
大工用金槌を握った右手に力を込める。
「テメーなんか友達じゃねーよ! ふざけんなよ、あたしがおめぇらのことで悩んでたとき、オマエ何してたんだよ! 知ってんだよ、兄貴の部屋でイチャつきやがって! ウゼぇんだよ、あたしの気持ちも知らねー癖に兄ちゃん誘ってんじゃねぇよ!!」
罵声と共に、美古都は心の中に溜めていた醜い感情を全て吐き出した。

「…え? え?」
希は混乱した。なんで? なんでみこっちゃん、あたしとマサ君のこと怒ってるの? それって、もしかして――
「あたし…あたし、ずっと兄ちゃんのこと、好きだったんだよ。希なんかより、もっと前から」
希が顔を上げると、美古都の瞳には涙が溢れていた。一瞬、何故だかとても優しい顔をしているように見えた。しかし、次の瞬間には、口角を上げてにぃっと気味の悪い笑みを浮かべていた。

「ねぇ、希知ってた? あたしと兄ちゃん、ほんとの兄妹じゃないんだよねー。だから別に、好きになったっていいじゃん? そーだよねぇ? 兄ちゃんだって、あたしのことすっげぇ可愛がってくれてたし。なのにさぁ、希が…」

美古都の顔から、笑みが消えた。

「オメーが兄ちゃん盗ったから、だから兄ちゃん、あたしのこと前みたいに可愛がってくれなくなっちゃったんじゃねーかよ! テメーの所為だよ、全部! 人の幸せ盗りやがって、オマエなんか死ねよ! 今すぐ死んじまえよ!」

美古都が金槌を振り上げて、希はほとんど反射的に、腕で頭を抱え込んだ。
次の瞬間、バキッという鈍い音と共に、希の肩に激痛が走った。
「や、痛い! いたぁいぃ!!」
泣き叫ぶ希を見下ろす美古都の瞳には、見たこともない冷たい光が宿っていた。その口元は、不気味に歪んでいた。

右腕、左腕、右肩、左肩。
急所は外して、交互に同じ所に金槌を振り下ろされる。

「ああぁぁ! やぁぁぁっ!! やぁっ、やめてぇぇぇ!!」

希は気の遠くなるような激痛に、声にならない叫びを上げた。涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げて、美古都に哀願した。ふと、美古都の手が止まった。口元が歪んで、にぃっと笑顔をつくった。

「あ…っはは……すっげぇブスな顔…その顔で、あたしに謝ってよ。これが、あたしの苦しみなんだよ!」
美古都の赤いスニーカーが、再び希の頬を蹴った。すかさず、そのまま横向きに倒れこんだ希の肋骨に、金槌を振り下ろした。ぼぎぃっと嫌な音がして、希は目を見開いた。既に、痛いというレベルは超えていた。
「あああ!! ああああ……」
あまりの痛みと恐怖に涙を流して苦しむ希を、美古都は満足そうに見下ろした。
「希ちゃーん、そんなに痛いわけ?」
「うっ、あああ、ごめ、ごめんなさい!! あたし、知らなくて…みこっ、ちゃんが、苦しんでたこと…」
美古都は不快そうに希を睨んで舌打ちすると、地面に転がっていた斧を拾いあげた。

「今更謝ったって、遅ぇんだよ」

横倒しになった希のこめかみにぐりっと足を置いて、斧を振り上げる。月明かりに、斧がぎらっと光を放った。

「――死ねよ」

美古都がにいっと唇を細めて笑う。そのまま、ひゅっと斧が振り下ろされた。
希の思考は、そこで終わりを告げた。


美古都はけだるそうに希の頭を蹴った。切断はされなかったものの、深く切り裂かれた希の首はぐにゃりと曲がった。
「…逢いたいな、兄ちゃん」

もう邪魔者はいない。これで兄ちゃんは、あたしだけを見てくれる。考えると、自然に笑いが込み上げてくる。
「あははは、何こいつ。超キモーい。首ちぎれかかってやんのー」
美古都は首のとれかかった希の体を蹴り、笑った。あはは、ばっかじゃねーのこいつ。あたしから兄ちゃんを――


ぱぱぱ、という音が響いて、美古都は腕に衝撃が走るのと同時に激しい痛みと熱を感じた。見ると、右腕の肘から少し下のところから血が出ている。足元の地面には二つ、穴が空いていて、土がぱらぱら舞っていた。

「こっ、この人殺しぃっ!!」

視線を上げると、
宮田雄祐(男子17番)が木の陰から、イングラムM11サブマシンガンを構えて立っていた。



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