■92

落ち着き無く行ったり来たりを繰り返すその姿には、本来あるべきであった警戒心がすっかり抜け落ちてしまっている。しかし
穂積理紗(女子15番)本人には、最早そんな事を気にかける余裕も無かった。手首に巻いた腕時計に度々視線を落としながら、理紗は小さく溜め息を吐く。
――あれは、誰だったのだろう。
土屋雅弘(男子10番)が応戦しているであろう“誰か”の正体、それが理紗には判りかねていた。第一、未だに生き残っているクラスメートの数だってはっきりしない。もしも――明確でない事なので何とも言えないが、もしも、だ。もしも“誰か”の正体が、雅弘が特に仲の良かった安池文彦(男子18番)荒川幸太(男子1番)だったら、雅弘はどうしているのだろう? 自分だったら――もしも自分が同じ状況だったとして、同じく遭遇したのが、親友である水谷桃実(女子16番)だったら。甘ったれた事だと充分解ってはいるが、きっと撃てない。撃たなければいけないと解っていても、彼女を失うのが怖い。そんな風に大切な誰かを失うのは、きっと雅弘も、怖いと思う――けれど。

頭の中を巡っていく思考にどこか引っ掛かるものを感じて、理紗はふと足を止める。そういえば、どうして――どうして雅弘は、この殺し合いに乗ったのだろう? 俯き加減に立ち尽くして、理紗はゲームが始まってから見た雅弘の顔を幾つか思い返す。
殺し合いが始まってから、初めて顔を合わせたとき。出会い頭に彼の額に銃口を突き付けた理紗に、雅弘がほんの微かに見せた、打ちのめされたような表情。
船着場の倉庫で桃実と派手にやり合ったとき、彼が冗談っぽく言った言葉。――「言っただろ、一人より二人の方が楽だって。そんなふらふらしたままでひとりにして、勝手に死なれたら俺も困るんだよ」。
桃実に叩かれた頬を保冷剤で冷やしてくれたときの、自然であどけない笑顔。
何となしに、どうして乗ったのか訊ねたとき――、「死にたくねぇじゃん、普通に」。彼はそう言っていたけれど、そもそも土屋雅弘という男は、そういう種類の人間だっただろうか? 少なくとも三年四組の教室で見る雅弘は、そんな事を言って平然とクラスメートを殺すような人間では、なかったと思う。
放課は大抵、友達と楽しそうに騒いでいて。割と面倒見の良いところもあって、喧嘩の仲裁に入ったり、
古宮敬一(男子14番)あたりの連中にせがまれて廊下でバク転なんか披露していたり――かと言ってうるさい訳でも無く、けれど静かな訳でも無く、ごくごく普通に“良い奴”みたいな感じで。そんな雅弘が、どうしてこのゲームに乗ったのだろう?
――「居るよ、好きなコ」。
いつか彼の言ったその一言が、ふっと脳裏に浮かび上がる。それに連鎖反応を起こすように、先程まで雅弘に抱かれていた体に微かな電撃が走った。
走る電撃と共に、思考と感覚とが素早く結び付き、ひとつの結論を出した。仮定を元にした結論を。
まさか。
言葉の端々から感じていた、奇妙な違和感。肌に触れた、ちょっと硬いけれどとても温かい腕の感触。
まさか。嘘、そんなことが――

「り・さ・ちゃん♪」
突然後ろからばっと抱き着かれるような感覚と共に、特徴的な明るく愛嬌のある声が聞こえ、理紗は素早く振り返る。肩に掛かった赤い髪に、あの人懐っこい笑顔。理紗の体にぎゅっと抱き着いたままにこにこと笑っているのは、間違い無く
植野奈月(女子2番)だった。
「びっ…くりしたぁ」
驚きに先程までの考えも消え失せ、理紗は間の抜けた声を上げる。
あまりにも普段通りな奈月のペースにつられてしまったのやら、その声には警戒の色も無かったが――しかしまあ、決して奈月を無条件に信用していた訳でも、無かった。悪名高き植野奈月だ、実際に彼女が色々と“悪いこと”をしていたのは、この目でしっかりと見ているし――奈月のしてきた“悪いこと”と言えば正に、不良娘の模範的コースそのものだった。喧嘩やドラッグや売春、他にも恐喝だとか窃盗だとか、はたまたやんちゃなお子さんがやらかすような、しかし規模はちょっと大きい、悪戯だとか。
「逢いたかったー。なつき、理紗は生きてると思ってたんだぁ★」
ぱっと腕を放して、奈月は理紗に向き直る。理紗も少し皮肉の混じる笑みを奈月に向け、言葉を返した。
「うちも奈月は生きとるって思っとったわ。アンタ、殺しても死なへんよーな顔しとるし」
「何それぇ、あたしそんなにバカっぽい?」
いつもと全く同じような会話。深くも浅くも無かったが、普段から理紗と奈月の間には交流があった。
明るくお喋りな奈月と、口数が少なく、ぶっきらぼうな理紗。大凡似た種類の人間には見えないのに、一緒に居てもお互い不思議と、居心地は悪くなかった。理紗なんて特にうるさい人間――
後藤沙織(女子7番)辺りは苦手で堪らないのに、何故か奈月の事は嫌いになれない。奈月だって、理紗のはっきりと物を言う、さばさばした性格は気に入っていた。
かと言ってべたべたとくっつき合うような関係ではなく(奈月の方はよくくっついているが、ともかく)、あまりにも素っ気ない関係でもなく、一定の距離は保ったつかず離れずの関係を続けている。

しかしそれはさておき――、理紗は何となしに、奈月は“やる気”になっているんじゃないか、と考えていた。それはある種の直感だったのかもしれない。
幾ら中学三年生の子供であると言えども、そしてこの殺し合いの中だと言えども、あの植野奈月が自身のペースを崩している様なんて想像できないのだ。恐怖に発狂している様も、怯えて一人で震えている様も、仲間を探してどこかに留まっている様も、過ってクラスメートを殺して、慌てふためいている様も。どれもこれもイメージが湧かない。
彼女だったらきっといつも通り、明るくやんちゃな植野奈月のままで――そして時折ちらつく悪魔のような眼で、鮮やかにクラスメートを殺してみせるのだろう。
少し引っ掛かっていた、あのいけ好かないヒステリー女の
久喜田鞠江(元担任教師)が金切り声を上げる度に、ほんの微かに見せる、鋭い刺のような目線。喧嘩の最中にちらつく、凶暴で危険過ぎる表情。
普段見せる、あの天使のように愛らしく、誰もが不思議と和む人懐っこい笑顔とはかけ離れたそれを目にする度、理紗はふと思う。奈月はどこかが壊れてるんじゃないだろうか。否、まだ壊れてはいないかもしれない、でも――どこか奥の方が、少しずつ腐り始めているんじゃないだろうか。人間として大切な、どこかが。
そしてそのうっすらとした気持ちは今、確信になろうとしていた。

「ねぇねぇ、理紗」
唐突に、奈月が言った。にっこりとした天使のような笑みを顔一杯に広げ、何かをねだるように。そう、何かを――
「なつきと遊ぼ?」
言うが早いか、理紗の顔のすぐ脇の空気を何かが切り裂いた。理紗はたった今の言葉の意味と、空を切ったそれの正体――奈月の拳とを認識し、はっと目を見開く。
見開く時には既に、足が無意識に動いていた。さっと後ろに退き、奈月と距離を作る。視線を上げた先には奈月の笑顔。そして――、彼女が腰からすっと抜き出した、銃。
「――やっぱ、アンタ」
手の平に滲む汗を、ぐっと内側に握り込める。
「乗ったんやな」
理紗の言葉に返すように、奈月はもう一度、にっこりと笑んでみせた。
「ったりめーよ。任せろって★」
何をやねん、いつもの調子でツッコみかけた自分を素早く現実に引き戻し、理紗は肩に掛けたデイパックを傍らに投げ出した。そのままイングラムM11を構え、じっと奈月の顔を見据える。
「睨むな睨むな、あたしマジ暇してたんだってー。理紗だって誰か殺ったんでしょ?」
ほんの一瞬、理紗の動きが止まる。それを逃さず、奈月が動いた。ばっと理紗に駆け寄り、間を詰めて、ブローニングを握る右手を持ち上げ――

「待て!」
止まった。
理紗は見ていた。居たのだ、彼が。土屋雅弘が道の延長線上から、息を切らしながらこちらをじっと見ていた。
土屋?
声を洩らしそうになったその時、ぱぁん、という音が響いた。
見開かれた理紗の瞳に、ブローニングを持ち上げたまま、冷たく笑う奈月が映る。意識する間も無く動いた視線の先、立ち尽くす雅弘の左脇腹に赤黒い点みたいなものが、見えて。もう一発続いた銃声は、鼓膜だけでなく体中に響き渡ってゆく。痺れに似た感覚と共に広がっていくそれに、ぞっとしていた。
背筋を駆け上がるような恐怖を振り切るように、理紗は踵を返して走り出す。地面に倒れ込んだ雅弘の体、白いシャツは赤く染まり、胸の辺りにもうひとつ、穴が空いていた。
「……つち、や」
きつく噛まれた理紗の唇が、震えを帯びながらも押し開かれる。それで、雅弘が伏せていた瞼をゆっくりと持ち上げた。赤く染まった唇をちょっと皮肉っぽく歪めて、雅弘は笑った。笑っていた、――こんな時だと、いうのに。



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