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「ああ、その首輪は」

 男は田島歩(七番)を見ていた。ひょろっと背が高く遠目には大人びて見えるが、半開きの口があどけなく見える。「外すことはできない。危険だから、触らないように」
「あ、すいません」歩はようやく首輪から手を離し、男に向き直った。

「危険って、どうなるの? なんで外しちゃ駄目なんですかー」
 よく響く声の主は、それらしく容姿も派手だった。色を抜いた髪に、目を囲む黒。この手の女子は、だいたいが似通ったヘアメイクを施していて、男には判別が難しい。が、色白でぽっちゃりとした風貌と、棘のない雰囲気が特徴的だったのは、確か彼女だろうか。
「今から説明する。きみは、横田愛さんか?」
 彼女は口を尖らせる。「アイじゃなくて、マナ、って読むんだけどなあ」

「それは失礼したね」マナさん、と正しい読みで男は繰り返す。視界の端で、長い黒髪のかかる彼女の頬が微かに綻び、目が合った途端、すっと無表情に戻った。男は唇を引き締め、改めて室内を見渡した。


「挨拶が遅れてしまったが、私は三上という。さんのうえでみかみ、だ。新しくきみらの担任になった」
「えーでも」横田愛(十七番)が口を挟む。「ここ違う学校だよね?」
 なんで? つうかあんた誰? 訝しむ声が室内のところどころから上がる。

「私はきみたちの担任にはなったが、学校に赴任した訳ではなく」三上が続ける声は、教室の喧騒に遮られる。「って、聞いてるのかい。今から大事なところを話すよ」
 大事なんだって。誰かが復唱すると、生徒たちは少しずつ静まり出す。随分と賑やかなクラスだ。今から笑えない大事なところを話さなければいけないのに、三上は苦笑を洩らしそうになる。奥歯で笑いを噛み殺して、三上は言う。


「まず、転校生がいたね。近藤真彩さん、クラスの皆へ挨拶は済んでいるか」

 あ、いえ。聞き取りづらい声とともに、おかしな髪の色をした女子が立ち上がる。今度のものはオレンジ色か金か、判別がつかない。どう染めたらああなるのかは謎だが、ともかく近藤真彩(四番)は緊張した面持ちで室内を見渡している。

「近藤真彩です。えー……っと、引っ越したばっかで、なんかよくわかんないけど、よろしく」
 転入初日であれば無理もない。「先に説明しておくが、近藤はあくまでもきみらのクラスに転入しただけで」三上は頷き、彼女の挨拶に補足する。「志願者ではない。皆、よろしく」

 志願者? 疑問の声が上がる。説明する順序としては前後するが、混乱の中では転校生の紹介もままならないだろう。立ち尽くす真彩に手振りで座るよう促し、三上は口を開く。


「きみたちは今日から中学三年生だったね」

 沈黙が訪れる。今度こそ笑えなくなって、三上の表情が僅かに引き攣った。
「今年度の第一号目、だ。きみたちのクラスは、プログラムの対象に選出されている」
 三上は静かに息を吸った。プログラムに選出される、ということは、死の宣告を受けることと等しい。しかしまだ、死の宣告を受けるだけであった方がいいのかもしれない。プログラムの対象クラスを待ち受けているのは、ただの死ではない、苛酷な命の奪い合いだ。


「……おいハゲ」
 静寂を破ったのは、やはり否認の声だった。「てめえまじで言ってんのかそれ。パチこいてっと張っ倒すぞ」
 纐纈日菜子(二番)が睨み殺すような剣幕で怒鳴る。怒鳴りたくなるのはよくわかる。しかし、三上にはパチ云々のくだりが不可解であり、加えて彼は三十代を迎えてはいたが禿げてはいない。が、髪のことが全く気にならないと言えば嘘になる。男をハゲと罵るのは、たとえ冗談であってもいけないことだと、若過ぎる彼女にはまだ理解できないのだろう。三上は小さく頷き、背後から日菜子へ向いた銃口を片手で制した。軍服姿の女性兵士が、静かにマシンガンを下ろす。

「何故首輪を外してはいけないのか、横田が訊いてくれたね。その首輪を生きている間に外すことができるのは、優勝した一名の生徒だけだ」
「なんだよそれ」日菜子は立ち上がっていた。「趣味わりい、俺らは動物じゃねえんだよ」
「確かに首輪とは、あまりいい趣味ではないけれどね」三上は首をすくめる。「それはきみらの居場所や生死を把握する機能があるんだ。ちなみに田島は外そうとしていたが、まず外れることはない。無理に外せば、爆発してしまう」


 日菜子の動きが止まる。瞬間、教室中は火がついたように混乱する。はああ? 爆発って。やばい、まじだよ。死ぬの? 出せよ、なんでこのドア開かねえんだよ。数々の声が相互に響き合い、やがて悲鳴が上がる。
 まず動いたのは、日菜子にマシンガンを向けた女性兵士だった。無言でマシンガンを構え、発砲の体勢を取る。「当てんなよー伊橋」、三上は溜め息混じりに言い、スーツの内ポケットへ手を差し入れる。
 伊橋は既に発砲していた。出入口付近に集まった生徒に狙いを定め、しかし上司の指示には従い天井と足元へ軽快に銃弾を飛ばしていく。これだから三上教官は面倒でいけない、どうせ死ぬ子はすぐに死ぬのに。こんなボロい建物に発砲したら、教室自体が崩れかねない。

 耳をつんざく銃声に、悲鳴が勢いを増す。三上は小型拳銃を窓際へ向け、枠に嵌め込まれた鉄板を狙う。教室の隅で寄り添う二人の女子生徒が視界に入り、そのうちの一人と、視線がかち合う。

「やめて」
 落ち着き払った声なのに、彼女のものはよく通った。伊橋のマシンガンが一瞬動きを止め、室内の数人かが彼女を振り返る。「みんな動かないで。危ないよ」
 言い終わるときには、誰もが動きを止めていた。ざわめきが弱まり始めると、少女の嗚咽が際立って聞こえる。「楓ぇ」、愛がつられて涙ぐみ、二人の元へ駆け寄った。


 笠原幸名(一番)は顔を上げ、三上を見た。眼鏡の厚いレンズに隔てられた眼差しは、やけに厳しく見える。 「脅しつけるのはそれくらいでいいでしょう」
 生意気なほど平静を保った口調で、幸名は言う。彼女の腕にしがみつくようにして震えている小柄な身体は、藤澤楓(十三番)のものだ。楓は大きくしゃくり上げ、お下げ頭を振るって幸名に泣きついている。
 小娘が泣き出したくらいでなにを堂々と。ああ、これだからゆとりは。伊橋は舌を打ち、三上を睨みつける。この男さっさと銃を下ろしやがって。内心毒づきながらも彼に倣ってマシンガンを下ろすと、三上の横顔が苦笑に歪んだ。
「丁度いい、きみ、資料配って。説明に戻ろう」

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 ホッチキスで留められた藁半紙の束を受け取ると、三上はなんでもない風に目を逸らした。「楓も手伝う。半分」、古澤楓が涙声のまま飛びついてくる。涙に汚れた掌を、手早くスカートの裾で拭い、楓は赤い目でこちらを見上げる。
「ありがとう」
 笠原幸名は微笑して、差し出された小さな手に、紙の束を半分ほど乗せる。楓が大きく頷き、二つのお下げ髪が跳ねる。楓がすぐに窓側からプリントを配り始め、幸名は廊下側へ回る。一部ずつ差し出したプリントを受け取る彼らの顔には、驚き、恐怖、怒り、それぞれの色が浮かんでいる。

 数人目かで、手が止まる。東あかり(十二番)は腕を組んだまま、差し出されたプリントを睨みつけているだけだ。
「ひーちゃん」
 幸名は手を下ろし、鋭く細められた彼女の目を見る。なにあんなおっさんの言うこと聞いてんの、と言うように、あかりは幸名を睨み上げ、脱色した髪を不機嫌な仕草で振り払う。

「いいよユキさん、俺があとで渡しとく」新島真蔵(九番)が横からプリントをさらい、曖昧な笑顔を覗かせる。「ひーさまなにキレてんのお前は」
「別に」あかりはプリントに見向きもせず、胡坐をかいて座り込んでしまう。

 後方に陣取った田島歩らにプリントを配ると、壁にもたれて座り込んでいる日光健一の分で最後となった。根元は黒く、末端は茶色いままのひどい頭を上げて、健一は気まずそうに笑う。こんな日になってようやくのご登校、とは。幸名も苦笑を噛み殺し、彼にプリントを手渡した。自分のものが一部手元に残り、「みんなあるよね」と楓が室内を見回す。

「資料がない者は挙手」
 伊橋の声は、女性にしてはかなり低い。威圧感を肌に感じて、幸名は唇を噛む。「いいね。続けるよ」、三上が苦笑混じりに口を開く。
「手元のプリントを見てもらえば大体はわかる。重要な点をこれから説明するから、よく聞いておくように」
 幸名は紙面に視線を落とし、三上の声を耳に拾いながら読み進めていく。



 2003年度第1号プログラム 実施について
 4月8日17時開始
 会場 別紙の地図参照。

「まず会場だが、この学校は統廃合で他校と合併している。今後校舎が使われる予定はないから、存分に使っていい。現在地は北舎だが、きみらには校門側の敷地と、北舎を除いた学校内を会場としてプログラムを進めてもらう。いいか、北舎全域、北舎より北側の敷地には進入できないようになっているよ。南舎、中庭、運動場、プール、テニスコート、武道場と体育館は開放しているが、北舎・校門へ続く通路は封鎖させてもらっている。出ようと思えば出られないことはないが、きみたちの嵌めている首輪から所在地が明らかになることは覚えておいてほしい。意味はわかるね」

 首が吹っ飛ぶ、ということだろう。全く、纐纈日菜子の趣味が悪い、と喚くのも頷ける。幸名は首をすくめ、プリントを持ち上げる。

 説明事項
 ・17時より、生徒は1名ずつ2分間隔で入場する。
 ・以降、生存者が1名になるまで戦闘を行い、優勝者を決定する。
 ・試合開始後12時間以内(9日2時)に生存者が1名も減らなかった場合、全員の首輪を爆破し、試合は中止とする。
 ・以降、死亡者の出る間隔が24時間以上開いてしまった場合も、その時点で生存している全員の首輪を爆破し、試合は中止とする。
 ・生徒の入場が終わり次第、入場時通路及び北舎全域は進入禁止エリア(以下禁止エリア)となる。また、入場時の通路を除く北舎の全て・北舎より北側の敷地、及びそこへ続く通路は試合会場と認められておらず、言うまでもなく禁止エリアである。
 ・以降、禁止エリアは6時間間隔の放送により、時刻と場所が指定される。試合進行の程度を考慮し、不定期に指定するが、放送により必ず事前に通知する。
 ・禁止エリアに入った生徒は戦闘する意思がないものと認め、一定時間内に首輪を爆破し、棄権とする。また、放送により指定された禁止エリアは試合会場として認められている為、首輪が爆発する前に禁止エリアを立ち退けば再度戦闘に参加できる。
 ・生徒には1名ずつ、登校時に所持していた私物を返却し、デイパックを支給する。不要な物は受け取らなくてよい。
 ・支給品 資料保管用クリアケース・筆記具・飲用水・食料・懐中電灯・腕時計・武器
 ・武器はランダムに支給される。支給された物が戦闘の役に立たない場合、他の生徒から回収することも可能となる。
 ・優勝者は生涯の生活が保障される。負傷しても速やかに指定の医療機関で無償の治療が受けられる。



「……携帯電話を持っている者もいると思うが、外部との通信は取れないようになっている。時計代わりにしかならないと思ってくれればいい。説明は以上だ。質問のある者は……」
 すぐに手が挙がったのは、意外だった。視界の隅にすっと伸びた手を捉え、幸名は眉を持ち上げる。
「河野花梨さん……だね。なんだい?」
 三上が穏やかに問うと、まばらに散っていたクラスメートのほとんどが彼女へ振り返った。

「優勝者は生涯の生活が保障される、って書いてあるじゃない。具体的に説明して。あたしたちの命がかかってんだから、みんなだってはっきりさせといて欲しいでしょ」
 教室中の視線を集めながらも、全く物怖じした様子がない。河野花梨(三番)の高く響く声が、流暢に言葉を紡いでいく。三上が僅かに瞠目するのを、幸名は見た。

「具体的に、か。そうだね」三上はふっと笑んでみせる。「生活を営むのには、心身の健康と衣食住を支える程度の金が欠かせないだろ。優勝した生徒は心身の健康を害しても、無償で治療が受けられる。例え仕事ができない状態であっても、暮らしに困らない程度の援助は受けることができる」
「あたしら中三だってえの。仕事? そんな先の話じゃ実感湧かないんだけど」不満げな花梨の声を挟み、三上は困ったように首をすくめる。
「そうだね、近い未来の話で言えば、優勝者の世帯……保護者を通して援助が下りる、ということだよ」
「保護者を通して?」花梨が繰り返すと、三上は頷いて続ける。
「まあ、優勝者及びその家族の生活が保障される、ということになるね。優勝者が自立して生活するまでは」

「……ふうん」
 頷きもせず突き出された花梨の唇が、笑みに似た歪みを見せたのは、きっと気のせいではない。



表紙

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